121.ルーメン・アルベド
使用人部屋に逃げ込んで一息つく。流石に他人のラブシーンを見学するわけには行かないし、なによりルー=ピコ自身にとっても刺激が強すぎた。
できれば晩餐で顔を合わせるのも勘弁願いたい。使用人部屋に窓はないので分からないが、外はもう暗くなっているだろう。繁華街に降りれば食事にも困ることはない。
短剣を腰に帯び、ベッドから腰をあげたところで主人部屋に繋がる扉がノックされた。
「ルー、あの、ちょっといいかしら」
扉越しに遠慮がちなラフィーネの声が聞こえてくる。さっさと出かけてしまえばよかった。
物音をさせている時点で居留守は不可能だ。仕方なくルーは立ち上がると扉を内側に引き開けた。
ラフィーネはほんのりと頬を染めて立っていた。
「お待たせしました」
「あの……あなたをきちんと夫に紹介したいのだけれど、出てきていただける?」
「それは……」
ちらりと彼女の背を見る。幸いすぐ後ろにナレクォーツ伯爵はいないようだ。
先ほど散々煽るように暴言を叩きつけた相手とあらためて顔を合わせるのは非常にバツが悪かった。
ルーの仕草を読み取ったのだろう、ラフィーネはルーの耳に顔を寄せて囁いた。
「わたくしの騎士服を着て、晩餐に参列してちょうだい。その時に紹介するわ。それならいいでしょう?」
ルーは眉根を寄せた。
今引き合わされてしまっては、つい要らぬ口を叩いてしまいそうだ。晩餐の席ならば、まだ抑えは効くだろう。
不承不承うなずくと、ラフィーネは顔をほころばせた。
「よかった……わたくしの服はそちらの棚に隠してありますわ。案内を頼んでおきますから、着替えたらいらしてね?」
「承りました」
胸に手を当てて軽く頭を下げると、ラフィーネは背を向けた。ルーは肩を落とすと仕方なく彼女の騎士服を引っ張り出した。
案内役に導かれて入った部屋は深い緑色で統一されていた。絨毯や窓にかかるカーテン、テーブルクロスや椅子の背もたれまで、深緑を思わせる色で、所々に置かれた一輪挿しに飾られた白い花弁の花が、まるで本当に森にいるかのように錯覚させる。
テーブルは入り口に対して縦長に置かれていて、左側にドラジェが、右側にナレクォーツ伯爵夫妻が座っている。
「おまたせいたしました」
すでに席についていた三人に対して礼を取ると、ラフィーネは席を立ってルーの横にやってきた。
エスコートするようにルーの腕に手を絡める。
「まずはわたくしの夫を紹介いたしますわね」
ラフィーネに導かれて伯爵のそばまでやってくると、ラフィーネは手を離して立ち上がった自分の夫の腕に手を絡めた。
ちらりと伯爵の顔を盗み見ると、先ほどの熱いラブシーンを演じたとは思えないほど苦虫を噛み潰したような苦々しい顔をしている。おかげでこちらも苦い思いをせずに済みそうだ。
「ルーカス・マクスウェル・ナレクォーツだ。妻が世話になっている」
ルーカスの名乗りにルーは頭を下げた。
「ルーク、彼女は王都までの旅の間、わたくしの話し相手を勤めてくださっている、ルーよ。もとは護衛だったの」
「ルーと申します。ラフィーネ様には大変よくしていただいております」
そう言って頭を上げると、ルーカスはやはり鋭い視線でルーを睨むように見ている。
「護衛か。ならばルーメン・アルベドという護衛を知っているか」
その言葉にルーは口角を上げた。ちゃんとあの手紙は役目を果たしたらしい。
「……何だ?」
「いえ、ラフィーネ様からお聞きかと思っておりましたが」
「ラフィーネから?」
ちらりと伯爵が視線を妻に向ける。ラフィーネは素知らぬ顔でルーを見ている。
「失礼いたしました。ルーメン・アルベドはあたしの名前です」
「……そなたの?」
疑うような眼差しを受けてルーは苦笑した。
「ええ、女らしくない名前なので、普段はルーと名乗っております」
「その名の意味を、知っているのか?」
ルーカスの探るような物言いに、ルーは口元を引き結んだ。
この男は知っているのだろうか。だとしたら、辺境伯をただ継いだだけではないのかもしれない。
ラフィーネは事情が飲み込めていないのだろう、首を傾げて夫を見ている。
「意味、ですか。確か古い言葉で白い光、という意味だと聞いています」
「家名が白で名が光か。……そうか。わかった」
「お話しはお済みでして? では、ルーはそちらに」
示された席はドラジェの隣、ラフィーネの前だ。
今日はルーカスもいるのでいつものレッスンはないらしい。内心ほっとしてルーは席に腰を下ろした。
宿の食事は実に美味だった。やはりこれほど大きな町で、しかも他国と繋がる大きな街道の要の町ともなると食材も料理方法も様々に入り混じっている。見たこともない食材や、聞いたこともない料理法の料理を並べられ、ラフィーネも伯爵も満足そうだ。
会話は大して弾まなかったが、夫婦間は比較的穏やかな雰囲気が流れている。ラフィーネはいつも見せない嬉しそうな笑顔を浮かべ、頬を染めている。
これでラフィーネの恋愛相談が減れば儲けものであるが。
そういえば、今日は夫もこの宿に泊まるのだろう。となると、あの部屋に夫婦で泊まることになる。使用人部屋にいるのもいたたまれない状況になりそうな予感がして、ルーはそっとため息をついた。
できれば他の護衛と同じ宿か、もしくは別の部屋にして欲しい。だがおそらくそれは通らない希望だ。
最後のデザートも食べ終えると、夫婦は腰を上げた。ドラジェは早々に部屋に引っ込むと挨拶をしてデザートが提供される前にいなくなってしまっている。
ルーも二人に挨拶をして下がろうと立ち上がった。ラフィーネと視線が合うと、彼女は滑るようにやってきてルーの腕に己の腕を絡める。
「ルー、この後少しいいかしら?」
「はぁ……」
もしや食事のマナーについてだろうか。いままでのラフィーネとのレッスンの際は慣れないふりをしていたが、そういう訳にはいかない。伯爵の手前、きちんと身についているマナーで食事は進めたはずだ。
しかしラフィーネはルーの思いを余所にルーカスを振り返った。
「じゃあ、行きましょうか。隣の部屋で少しお話ししましょ」
ルーカスがラフィーネに右腕を差し出すと、彼女は左腕を夫に預けた。ルーとルーカス、両方から腕を取られた形だ。
「ラフィーネ様……?」
「ふふ、一度やってみたかったの。そうだわ、ルーカス。ルーをわたくしの専属護衛にしたいのですけれど、構いませんわね?」
「えっ」
それは馬車の中で聞いた計画ではあったけれど、あの時は夫は自分に興味が無いからこっそり一人増えても大丈夫だと言っていた。
なのに正面から宣言ですか。
ルーのこわばった表情をちらりと見たルーカスは、眉間に皺を寄せた。
「君が望むなら、構わないが……彼女は納得していないようだよ?」
「ルーみたいな女の子が男ばかりの護衛隊に一人でいるなんてやっぱりだめよ。危険すぎるわ」
ラフィーネは立ち止まるとルーの両手をすくいあげた。
「ね? うんと言って頂戴?」
「ラフィーネ様、ですが」
「ラフィーネ、少し落ち着きなさい。それに、その話もちゃんと聞かせておくれ」
ルーカスの言葉にラフィーネは頬を染めて夫の手に絡まる。かなり砂を吐きそうな状況をなんとか耐えて、ルーは苦笑を漏らした。
「君もいいかな。ルー。私の知らないラフィーネの話を聞きたいのでね」
人当たりのよさそうな笑顔を浮かべながら、ルーカスの目は笑っていない。
伊達や酔狂で辺境伯を名乗っているわけではないのだと思わせる、冷たい目だ。
「……承知しました」
隣室への扉をくぐりながら、ルーは焦る心をぐっと抑えた。




