118.身代わり
特にトラブルもなく、街には日がまだ高いうちに到着した。
宿に銀の馬車が横付けされ、案内された部屋はラフィーネの泊まるはずの主部屋だった。ラフィーネは扉で繋がった使用人部屋に通される。
宿屋の主が部屋を出たのを確認して、使用人部屋の扉を開いた。
「ラフィーネ様?」
部屋はさほど広くなく、寝室とそれに繋がる浴室とトイレがあるが、人がいた気配はなかった。ベッドに腰掛けたあとすらない。
部屋に通されてすぐ、宿を出たのだろう。予想外に行動が早い。
本当はイーリンと引き合わせてから街へ繰り出すようにしたかったのだが。
ピコは荷物の中から妖精の切手を取り出し、窓をあけてイーリンとキーファへそれぞれ指示を飛ばした。入れ違いに小鳥が二羽飛び込んでくる。
ルー=ピコは窓枠に止まった小鳥の背からそれぞれメッセージカードを取り上げた。
受け取りそこねていたオードからの連絡と、王都の情報屋からの連絡だ。
柔らかなソファに腰掛けて、メッセージカードを読む。小鳥たちは返答を待っているのだろう、逃げることもなく窓のところにいる。
オードからの連絡は現状の報告と、ミリオンについての連絡だった。ミリオンとオードが会ったのは知っていた。その後、ミリオンの監視を頼んでいたのだが、彼はあくまでも治癒師として仕事をしているようだ。市井の者と話すことを勧めたと言っていたが、その後実際に街を歩いて話を聞いて回っていたという。それ以降、オードに接触することもなく、おとなしくしているという。
直轄地になる件については今のところ動きはないという。王都につくまで何も動きがなければいいのだが。
これに関しては嫌な予感もある。あの人の名前を見たからだ。
――ドラジェの商業ギルドへの推挙人にあの人の名前がある以上、ボクが王都に向かってることはバレてると思っていい。ボクが王都に着くのを待ってるのだろう。
ルー=ピコはため息をついた。
――どうあってもあの人はボクを目の前に引きずり出したいのだろう。トリエンテはボクの出方ひとつだと言うわけか。何のために王都から遠く離れた街に引っ込んだと思っているんだよ。
苛々をつのらせながらもなんとかオードへの返事をしたためて小鳥に託すと、小さく鳴いて小鳥は飛び立っていった。
もう一通の方は王都の情報屋のものだ。こちらはクラック子爵の情報を頼んでいたものだが。
「やっぱり……」
今年授爵したばかりで、社交界にはまだ一度も顔を出したことがないこと。そのため姿形に関しての情報は得られなかったとある。
公開されている情報は他に、男性であることのみで、年齢も授爵の理由も公開されていない。
誰なのかわからない存在の貴族など、あってはならないのに。
貴族はその地位と領地の代わりに王や国民に対して義務を負う。そのために誰が貴族なのか、貴族の子供は誰なのかは公開されている。
なのに、クラック子爵についての情報は曖昧で、姿が見えてこない。
何かの隠れ蓑に使われているのではないか。今回のトリエンテの一件を成立させるために作られた仮初の存在なのではないか。
そう思うと苛立ちが募る。
ドラジェとの契約など全部放り投げて王都へ急ぎたくなってしまう。急いで王都に着いたところで何が変わるわけでもないかもしれないのに。
――こんな汚い手まで使ってボクの安寧の地を取り上げようだなんて、許しませんよ。父上。
情報屋への返礼と報酬について受け取れる手はずを整える指令を幾つか投げると、ルーはソファに座り直した。窓は開けてあるため風と町中の喧騒がかすかに聞こえてくる。
イーリンはラフィーネとちゃんと会えただろうか。護衛としてはキーファにもラフィーネの守りに回って欲しかったが、置いていかれてしまっては仕方がない。
キーファは自分の護衛に付いているだろう。こちらを放っておいてラフィーネにつけと指示を出したかったが、イーリンが絶対うんと言わないだろうことも予想はついた。
それとともに、実は自分もラフィーネと街を歩いてみたかったのだということに気がついた。
なんとなくイライラして落ち着かないのに加えてがっかりしている自分がいる。
それに裏切られた感もある。
部屋に案内されて何の一言の断りもなく行くなんて思っていなかった。大して長い時間を一緒にいたわけではないけれど、それなりに心を許してくれているだろうと思っていた。だが、そう思っていたのは自分だけだったのだな、とこれまた落胆する。
所詮は護衛対象と護衛の関係だ。同じ女性というだけで相手をさせられているに過ぎない。
ノックの音に顔を上げると、黒のお仕着せを着たベルボーイだった。
「おくつろぎ中のところ、失礼いたします。お客様にご伝言をお預かりしております」
ルー=ピコは顔をこわばらせた。
受け取った伝言には、ナレクォーツ伯爵が今宵ここに訪れることが書き記されていた。
まさか本当にこのタイミングで追いついてくるとは思わなかった。
食事の時点でラフィーネがいないとなると、ドラジェに怪しまれる。それまでに戻ってくれとは伝えてある。忘れていなければ帰ってくるだろう。
内心の焦りを押し隠して、ルーは気だるげに顔を背けた。
「分かりました。……使いの方には承りましたとお返事くださいませ。晩餐のお食事を一人分追加しておいてくださる? それと隣の部屋にドラジェさんがいらっしゃると思いますから、そちらにもご伝言を伝えておいてくださる? いらしたらドラジェさんのお部屋にまずお通しするようにして」
「かしこまりました」
ベルボーイが出ていくのを確認して、ルーは大きく息を吐いた。
最悪だ。
ドラジェにはラフィーネが出歩いていることを気づかれてはいないし、ナレクォーツ伯爵には彼女がここにいないことを悟られてはならない。
いつ彼女が戻ってくるのか分からないが、晩餐までには戻ってもらわなければならない。
ルーは妖精の切手を取り出してイーリン宛てに日が落ちたら急ぎ戻るようにメッセージを送る。
「キーファ、いる?」
小さく、つぶやくように口にすると開け放った窓から風が飛び込んできた。姿を見せないように消しているため、見えないが存在は感じられる。
「悪いけど、イーリンと合流して彼女の護衛に回ってくれ。日が落ちたら戻るように伝言は送ったけど、晩餐前に確実に宿に戻るようにしてほしい」
「あんたの護衛はどうするんだよ、ピコ」
キーファの声が虚空から返ってくる。
「ラフィーネが戻ってくるまで、ボクの護衛は要らない。この部屋にこもってる限りはほぼ安全だろうし、ドラジェが来ても困らないように浴室にでも篭っておくから」
「……あんたの護衛が誰もいないと知ったら赤の女王が黙ってないと思うけど、いいんだな?」
「ああ、もし怒り出すようならボクの命令だからと伝えてくれ。彼女の夫君がこの街に来てる」
「……はぁ?」
「ボクが身代わりになってるのがバレたら首どころじゃすまないだろうね。彼女の夫君は嫉妬深くて執着心が強いらしいから、ボクなんかあっさり切り捨てられて終わるかもしれないし」
「おいおい、怖いこと言うなよ。そんな状態ならなんで彼女を自由に出歩かせてるんだよ」
キーファの怒りももっともだが、それに関してはルーの制御できるところではなかったのだ。仕方がない。
「それはボクのせいじゃない。……とにかく頼んだよ。何かあったらラフィーネを守って」
「……分かったよ。でもこれきりにしてくれよ。俺はあんたの護衛として雇われてるんだ。他の人間の護衛は契約外なんだぜ?」
「わかってる。……この分については王都についてから必ず埋め合わせをする」
「ふぅん……じゃあさ。俺、あんたと一戦やってみたい。それでチャラにしてやるよ」
楽しそうにキーファが言う。ルー=ピコは目を見開いて虚空を見つめた。
「……赤の女王との立合いとは別に、か?」
「ああ。赤の女王が負けたというあんたとやってみたくなったんだ。かまわねぇよな?」
眉根を寄せ、顎に手をあててルーは黙り込んだ。
あの時。サーヤを奪還する時の戦いはもっぱらリュウが応対していた。自分は最後の仕上げであの四肢の自由を奪う薬を口の中に叩き込んだだけだ。直接力でねじ伏せたわけじゃない。
「……そりゃ、構わないけど。面白くない結果になると思うよ?」
「それでもいい。戦うのが一番早道だと思うからな」
なんの早道だ、と聞きたかったが、それほど時間の余裕があるわけでもない。
「わかった。……じゃあ、ラフィーネのこと、頼むよ」
「了解した」
入ってきた時と同じく、一陣の風が窓から出ていく。
厄介なことになった、と思いつつルーは『ラフィーネが風呂に入っている』偽装工作をすべく立ち上がった。




