117.スカウト
今日は朝から護衛たちが騒がしい。
昼休みに入って、天幕を設営している最中だというのに、何やら声高に言い合いをしているのが聞こえてくる。
「なんだか騒がしいわね。せっかく今日は大きな街に入れるのに」
聞いてきましょうか、といいたいところだけれど、今日もラフィーネに朝から弄られてドレス姿だ。
今日のはオレンジ色をベースに何枚も薄いシフォンを重ねてふんわりと広がるドレス。なんというか面映ゆい。
――なんでボクがこんな女装をしてるんだろうね……。
化粧もばっちり施されて、髪の毛も結い上げられて。姿見がないからどんな格好になってるのかを確認できないが、ラフィーネが散々褒めちぎっていたあたり、ずいぶんこてこてな格好をさせられているのだろうということだけは分かる。
「そのせいかもしれませんね」
「え?」
「この間の街よりは遥かに大きな街ですから、気が逸っているのでしょう。お昼になったらドラジェさんに聞いてみましょうか」
「そうね……」
時折他の馬車の音も聞こえていた。街に近づいている証拠だろう、道も広くて何台もの馬車がすれ違えるようになっている。
声が遠ざかっていき、馬車の扉が開いた。ドラジェが顔を出すと同時に、うまそうな料理の匂いが流れてくる。
「ラフィーネ様、昼食の用意が出来ましたぞ」
「ありがとう、ドラジェ」
恭しく差し出された手を借りて、ラフィーネは馬車を降りていく。今日の彼女は女騎士風で、白いブラウスに青い上下の揃いを着ている。腰には細剣さえ下げていて、長い髪の毛はすべてショートヘアのウィッグの下に隠してある。
このまま外に出て他の隊商に紛れ込んでもわからないかもしれない。
彼女は馬車を降り切ると、くるりと振り向いてルー=ピコに手を差し伸べた。
「ルーちゃんはわたくしがエスコートしますわ。さ、どうぞ」
にっこりと微笑む男装の麗人にルーは絶句して立ち尽くした。
いつの間にかルーちゃん呼ばわりされている上に、エスコートとか、激しく遠慮したい。
ちらりと側に立つドラジェに目をやると、厳しい目で睨んでいる。仕方なくルーは彼女の手に自分の手を重ねた。
ふっくらとやわらかく温かい手がルーの手を握る。
「うふふ、恥ずかしがっているルーちゃんも可愛いですわね。……ねえ。ルーちゃん。王都に着いたらうちの侍女にならない?」
「え、は?」
あまりの驚きにタラップを踏み外しかけた。そうでなくとも長いドレスが邪魔で踏みそうで仕方がないのに。
ふらついたところをぐいと引っ張られて無様な姿は晒さずに済んだが、見上げるとラフィーネの笑みが深くなっていた。
全力でルーは首を横に振った。侍女と言いながら、きっとラフィーネは着せ替え人形にして連れ歩くつもりだ。着せ替えして何が楽しいのか分からないが、そういうのは真っ当な女性同士でやっていただきたい。
「あら、固く考えなくていいのよ。どうせあの人は仕事が忙しくてわたくしには興味がないし、侍女が一人や二人増えたところで気にしやしませんわ。あの人は仕事で一年のほとんどを王都で過ごしますし、わたくしは領地にいることが多いから顔を合わせることもありませんわよ、きっと。ああ、でも王都を離れることになるのはいやかしら」
馬車を降り、天幕に設えられた食卓までエスコートしながらラフィーネは一人、楽しそうに語る。
「あの、ラフィーネ様、あたしは今の仕事に満足してますから……」
「だめよ、あんな男たちの集団にルー一人だなんて、危険極まりないわ。この間の騒動のことだって……」
きっと睨みつけられて、ルーは言葉を飲み込んだ。
自分が女でないことを明かしてしまえば楽になれるだろうか。だが、それは色々な意味合いでルー=ピコにとっては命取りになりかねない。
何のために女の姿に身をやつしてまでこの一行に潜り込んでいるのか、とか、ピコの正体自体が暴露されかねない。
それだけはまずい。
確か最初の話では、彼女の相手をするのはダルシニーに到着するまでの間だけって話だったはずなのに。
ダルシニーでドラジェはラフィーネの身分に釣り合う女性の話し相手を雇うはずじゃなかったのか。
なんでそのままルーが王都までラフィーネの話し相手を務めることになったのだろう。
このまま続くと、オードやイーリンからの連絡が受け取れなくなってしまう。町中の宿に泊まる時だけは外に出られるから、その時に受け取ることはできるが、何かがあった時に後手後手に回ってしまう。
王都の情報屋からも連絡が来ているかもしれない。今日の夜には受け取れるだろうが……。
「さあ、今日も始めますわよ」
向かいに座ったラフィーネが嬉しそうに手を合わせる。ルーは苦笑を浮かべた。
今日も味わう余裕はなさそうだ。




