【逃亡編】16.ヴェラの訪問
物音がして目を開けると、窓の側に日に透けた金髪が見える。
まだ外は明るいようで、それほど長くは寝ていなかったらしい。
椅子に座ったヴェラが何の曲かはわからないけど鼻歌を歌いながら俯いて手を動かしていた。
「ヴェラ……?」
「おっと、ごめんよ。起こしちまったかい?」
手元に集中していた顔が上がると、ヴェラはにっこりと微笑んで立ち上がった。
起き上がろうとしたらヴェラに押し戻されてしまった。
「まだ寝てな。召喚者の試練だって聞いたよ。しんどいんだろ?」
「すみません……」
迷惑をかけることになるのは分かってたのに、強行してしまったのはあたしのわがままでしかない。
「それ、何ですか?」
「ああ、これ?」
椅子を枕元に引きつけて戻ったヴェラは、ベッドサイドの机に置いていたものを取り上げた。
ピンク色の糸玉と編み途中のもの。それは小さな靴下のように見えた。
「近々子供が生まれるんだよ。その子にあげようと思ってね」
手の平に置かれたそれは、靴下の先っぽのような形をしていた。
「靴下?」
「そう。なかなかこれが難しくてねぇ」
そう言ってヴェラは気でできたかぎ針を握って糸と格闘し始めた。
「こっちにもあるんですね、編み物。初めて見ました」
「ああ、召喚者だった娘が教えてくれてね。針も彼女が作ってくれたんだ。毛玉は糸を撚り合わせて染めたものだよ。あたしも編み方を少し教わったんだけど、なかなか難しくてね」
「へぇ……」
四苦八苦しながらヴェラが糸を針で拾おうとしている。
昔そういえばマフラーを編んだことがあったな。それ以来編み物なんてしたことなかったけど。
「村の女はみんな、彼女から編み物を習ってるんだよ。そのうちこの村の特産品にして、近隣の村に売りに行こうかと思ってね。それにしても、何でこんな棒一本であんな繊細なものができるのかねえ……っと、逃げるなっ」
「あの、手伝いましょうか?」
「えっ? サーヤもできるのか?」
びっくりしたようにヴェラが顔を上げた。そのはずみでかぎ針が外れる。
「ええ、まあ多少は」
「うーん……いや、やっぱり自分でやるよ。今度これを教えてくれた彼女――タリアっていうんだが、彼女に子が生まれるんだ。その子に何か編んであげたくてさ。……サーヤにやってもらっちゃったら、あたしが編んだものじゃなくなっちゃうしね」
ごめんな、とヴェラは苦笑しながら針を糸に戻す。
「でも、もし編み物ができるなら、起き上がれる時でいいから何か作ってみてくれないか。糸と針はたっぷりあるから、今度持ってくるよ」
「ええ、分かったわ」
体を横たえたまま、あたしはヴェラの手元をじっと見つめた。
体はまだ熱っぽいし、全身がだるい。
症状はインフルエンザで全身の節々が痛くなった時に似ている。
インフルエンザの時ほど高熱が出てないのだけが幸いだ。三十八度を超える熱が出たらこんなに喋っていられる余裕もなくなるもの。
体を起こして座っていられるようになったら、ベッドの上でも編み物ぐらいはできるだろう。
リュウはダメって言うかもしれないけど、ずっと寝ているだけなのも辛いものだ。
「あ、そうそう。リュウに頼まれたものを持ってきたんだ。起き上がれるようになったら着てみてサイズを確認しておいておくれな」
ヴェラはそういって後ろのテーブルから何かを取り上げ、枕元に置いた。
手を伸ばして持ち上げると、薄手のピンクの服のようだ。
きっとリュウが言っていた、部屋着とか普段着なのだろう。
「すみません、助かります」
「いいってことよ。入るようならそのサイズで何着か見繕って持ってくるよ。試練の関係でしばらくは寝付くだろうってリュウからも聞いてるから、体を締め付けない楽な服がいいだろうしね」
「はい、ありがとうございます」
ヴェラに微笑んで返す。ヴェラもにっこり笑った。
「それと食事もこっちで準備するよ。リュウが洗濯も調理もするって言ってたけど、薬師の仕事を幾つか頼んでるから、そっちに専念できるように手配しといたから」
「あ、はい。すみません……」
「だから、気にしない気にしない。薬師に支払うべき対価としたら安いもんだよ。住まいや暮らしの不満があったら遠慮なく言っておくれ。できる限りのことはさせてもらうよ」
「はい」
着いて早々に試練に入ってしまったせいで、村の中を見回ることもできていない。村の人たちともまともに挨拶もできてない。
この村での生活を確立させるにしても、試練がどうにかならないとあたし自身、身動きができないのだ。
リュウはどうやら試練を脱して、今朝から動けているようだけど、すべて頼る訳にはいかない。
なんとか早くこの状態を抜けなければ。
「それと、リュウから聞いたけど、定住したことがないんだって?」
「ええ。……こっちに来てからずっと旅づくしだったから」
「旅づくし?」
ヴェラは編み針から顔を上げた。
「便利屋として主に荷物の配達を請け負ってて。配達した先で別の仕事を請けて、次の配達先に荷物を届けてってスタイルでやってたから、どこか一つの街に定住したことが一度もないの」
「ああ、なるほどな。それで普段着がないって話になるのか」
リュウがどこまで何を話したのかわからないけど、恥ずかしくなって毛布を引き上げる。
「じゃあ、ピコと知り合ったのも仕事がらみなのかい?」
「え? そうね……」
どう返答するべきか悩む。確かに、配達してた手紙の宛先はピコだったから、そう言ってもいいだろう。出会ったのはリュウのほうが先だけど。
「ま、とにかく何か困ったことがあったらあたしに言いな。大抵のことは何とかできるからさ。……ほら、もう少し寝てな」
「うん、ありがと……」
目を閉じ、毛布を引き上げる。
今までどこの村にも定住しなかった。だから、正直なところ、村の人とどう接していいのか分からない。
それでも、ヴェラや世話になっている人たちに何かをお返ししたいという気持ちはある。
体が動くようになったら、リュウと二人で村の中を歩いてみよう。
便利屋でなくなった自分には何ができるだろう。
これからこの世界でどうやって生きていくのか。
そんなことをとりとめもなく考えながら、夢の中に落ちていった。




