115.明日に備えて
今日は野宿だ。
この格好では天幕を出て様子を伺いに行くことすらできない。
ドラジェの運んできた食事を三人で食し、体を拭って寝床に入る。背後にはラフィーネが背を向けて横になっている。
ドラジェは外の騎馬隊の天幕で寝泊まりしているらしい。
元々はこの天幕の中で膜一枚隔てて寝ていたそうだが、ラフィーネはそれも不満だったらしい。
「だって、すごいいびきなんですもの」
外にもれない程度の声でラフィーネは唇を尖らせた。
今日は柔らかな肌触りの夜着を押し付けられた。ラフィーネの着ているものとは色違いらしい。彼女のは薄黄色、ルー=ピコの着ているものは薄ピンクだ。
肌触りもいいし香りもいいのだが、如何せん腰回りが心もとない。これでは武器も隠せない。
「それは、お気の毒に」
ルーは苦笑した。
今までの旅でも野宿はしただろうが、同じ天幕の中に男がいることはなかったのだろう。
「ところで、本当に明日は大丈夫なの?」
くるりとルーの方に体を向けたラフィーネは、声を潜めて耳元で囁いた。吐息が耳にかかってくすぐったいのを堪えてうなずく。
「ええ、一応手は打っておきました。護衛を準備しましたので」
「そう、ありがとう。……わたくしが一人で出歩くのは……ダメ?」
「それは、お勧めできません。ドラジェさんにも言わなければならなくなりますから」
ラフィーネはため息をつく。
ルー=ピコも彼女に背を向けたままこっそりとため息をついた。
彼女はおそらく、宿に着いてすぐドラジェを出し抜いて宿を抜け出すつもりだ。
普段の彼女を見たことのない護衛たちは宿の他の客だと勘違いして見過ごすだろう。
ルーがこの姿で出ていったとしても、気がつかないかもしれない。……少なくともタンゲルにはバレるだろうが。
夕食の時間までにどれぐらい時間が取れるかにかかっている。
ドラジェをうまくだまくらかしてしまえば、ルー自身も彼女について行ける。すくなくとも、町中での彼女の『身代わり』にはなれる。
まあこればかりは、一行が予定通り街に到着するかどうかにかかっている。
――イーリン、キーファ。頼むよ。
自分の護衛以外に、予定外の仕事をさせることになってしまった。
これは追加報酬を出すべきだろう。
イーリンは受け取ってくれるだろうか。
それとも、彼女に似合う髪飾りでも準備しようか。
キーファは、イーリンとの一戦が報酬になる。
それ以外を提示して受けてくれるだろうか。
思ったよりキーファを気に入っている自分がいるのに気がついて、ルー=ピコは口元をゆるめた。
この仕事が終わっても付き合ってくれればいいのに、と思う。
彼がサーヤにしたことはやはり許せない。
思い出しただけでも目の前が赤くなる。
だが、彼自身は覚えていないのだ。――自分が投与した薬のせいで。
いずれ決着はつけなければならないことではあるが。
この旅が終わって、イーリンとの立合いが終わったら、結論を出そう。
とりあえずは明日のことに集中する。
自分が彼女の影武者として宿に残ってしまった場合、イーリンが直接彼女の護衛につく。キーファはおそらくルーの護衛として宿の監視に残るのだろう。
イーリンの腕は疑っていない。今でも闇業界ではトップの腕前を維持しているだろう。
街のゴロツキ程度なら彼女に勝てる奴はいない。
それに関しては信用している。
二人で街に出られたなら、二人とも護衛につくから守りは強固なものになる。
キーファはあの能力がある。護衛対象が複数になってもいざという時には頼れるだろう。
あとは、ラフィーネが夫に宛てて出した手紙がいつ夫の手に渡るのか、だ。
もしもう手元に届いているのなら、行動を起こしていてもおかしくない。
――ボクの読みが当たってれば、だけどね。
彼女の夫……ナレクォーツ伯爵はおそらくだが嫉妬深い。
彼女から話を聞いた限りでは、そう思える、という程度だけど。
彼女のそういう意味では初めての一人旅が男所帯なのはともかくとして、彼女がその護衛と接触して仲良くなった、と知れば気にしないはずがない。
それが女性であると書かれていなければ、なおさら気になるものだろう。
ルーメン・アルベド。
どこをどう読んでも女性名には見えない。
そういう名前にしたから当然だ。
彼女の望む結果が得られるかどうかは分からないが、彼女の夫を焦らせるには十分だろう。
だから、もし次の宿で鉢合わせることになったら……最悪の展開は考えておかなければならないだろう。
そのタイミングによっては、彼女になりすました自分が、ナレクォーツ伯爵と遭遇することになる。
何が起こっても、対応できるようにはしておこう。
それと、彼女の夫が彼女に隠密をつけている場合。
――ボクのように隠密の護衛が付いているなら、彼女の行動は逐一報告が上がってるはずだ。そっちの連絡のほうが確実で、より早い。だとしたら、ボクのしかけたいたずらに引っかかるはずもない。
ただ、隠密の護衛でも護衛隊の全員のフルネームを把握することは難しいはずだ。
なにより、ルーメン・アルベドという名前の情報を得られるはずがない。
――だって、あの時思いついて適当につけた名前だし。その真の意味を知ってるはずは、ないからね。
背後から規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
せめて間にクッションをはさみたいところだ。背中を向けてくれているだけ良しとしよう。
ルーは仕方なく目を閉じた。明日は長い。




