【逃亡編】15.日の光
目を覚ますと、すでに日が昇ったあとだった。半分開け放たれた窓からは光が差し込んでいる。
――久しぶりに日のある時間にこちらに来られたな。
そう考えて、そうじゃないことを思い出す。
――そうだ、あたしはもう、こっちで生活を始めるんだった。
眠っている間、彩子のことは見えなかった。
ラトリーの言うとおり、試練が始まっているのだ。
彩子のことは自分の中ではもう『夢の世界に住むもう一人の自分』のように感じるようになっていた。
彩子として体験してきた記憶がひどく色あせて見える。
昼間の彩子が見えなかった時には何かあったのではないかとあれほど心配したのに、今ではもう、自分のことではないみたいに遠い。
そう、遠いのだ。でも、これでいい。
あたしはもう木村彩子の一部じゃない。トリムーンに住む便利屋のサーヤなのだから。
ゆっくり体を起こす。
体はぎしぎしと悲鳴を上げている。これは昨夜のせいだけではないだろう。
全身が気だるい。
熱も出てる。
リュウがまさにこんな症状だったのを思い出す。
高熱で日中ずっとうなされてた。体を動かすのもしんどそうだった。
あれを、今度はあたしが耐える番だ。
やっぱり早まったかもしれない。
リュウだってまだ試練の最中なのに。
あたしまでこの状態じゃ、本当に身動きできなくなってしまう。
枕元の水差しから水を飲むのでさえ、体を動かすのが辛い。
でも、試練を受ける以外の選択肢はなかった。
あたしが愛してるのはリュウだけだから。
それ以外の記憶は、ほしくない。
リュウはもう部屋にはいなかった。
隣の庵から音が聞こえてくる。昨日言ってた通り、朝から整理をしてるのだろう。
ベッドから起き上がる。着替えてからでないと外に出るわけには行かない。
でも、着替えはまだ荷解きしてないし、もともと大した着替えは持っていない。
昨夜脱ぎ散らかした服はベッドサイドに揃えておいてあった。
リュウの気配りだろう。なんだか恥ずかしくなって顔が熱くなる。
体の痛みを押して何とか着替えを身につけると、立ち上がった。
一歩歩くだけで全身がきしむ。
今まさにこの体が作り変えられているのだろう。
でも、外に出たかった。
日の光を浴びたかった。
玄関の扉をそっと開ける。
向かいの庵の外にはいくつかの空箱が放り出されていた。
中に収められていたはずの品々はすでに運び込まれているのだろう。
屋根の下からそっと日の当たる場所に出て、おひさまを振り仰ぐ。
月のように複数あるわけではないけれど、彩子の覚えている太陽とはサイズが違う。
それから足元に視線を落とした。
以前、ピコが言っていた。
召喚者は日の下では影が薄い、と。
今のあたしの足元にある影は、くっきりと濃い影だった。
それだけで、嬉しくなる。心が震える。
もう大丈夫だ。
――あたしの居場所だ。
空を飛んでいても、馬を走らせていても、いきなり消えることはないんだ。
あたしの足はこの世界の地面を踏んでいる。
それがとても嬉しい。
「サーヤ、起きたのか? どうした? そんなところに立って」
「リュウ」
庵からホコリだらけのリュウが出てきた。
「影が……」
その言葉で気がついたのだろう、リュウもあたしの足元と自分の足元を見た。
それから、あたしに歩み寄るとにっこり微笑んで両手を広げた。
「そうか。……おめでとう。いや、ようこそって言ったほうがいいかな」
「……馬鹿」
ゆっくり歩いてリュウの側に立つと、リュウはやんわり抱きしめて額にキスをくれた。
「熱いな。……辛いだろう? ゆっくり寝ていてよかったのに」
「うん、少し。でも、自分の影を見てみたかったの」
「ああ、俺もやったからわかるよ」
「それと、ごめんなさい。片付け手伝えなくて」
「気にするな。俺だって旅の間は全く何も出来なかっただろう?」
そう言うと、龍はいきなりあたしを抱き上げた。
「きゃっ、ちょっと、歩けるって」
「ダメだ。膝が震えてるじゃないか。おとなしく寝てろ。それに……その格好で外を歩くな」
言われて自分の姿を見下ろす。寝巻き代わりの一分丈のホットパンツとタンクトップ。他は旅装しかない。家がなかったあたしにとって、寛ぐための服なんて持ったことがない。
「でも、旅姿はちょっと」
「ダメだ。そんな姿……他のやつに見せたくない」
リュウの言葉にあたしは言葉を返せなかった。顔が熱い。
そのままリュウに連れ戻され、ベッドに降ろされて毛布で埋められた。
「ヴェラに頼んで楽な寝間着を探してもらう。動けるようになったら普段着を作ってもらおう。……今は休め」
「うん……ごめんなさい」
動いたせいで疲れたのか、目を閉じるとあっという間に眠りに堕ちていった。




