110.ダルシニーの街
馬車が街中に入ると轍の音が変わった。
石畳が敷かれているのだろう。今日逗留予定のダルシニーの街はそこそこ大きな街だということが分かる。
通りに面した店の呼び込みの声が時折聞こえる。
「ダルシニーの街ね。わたくし、この街は好きなんです」
「そうなんですか?」
「ええ、他の街道とクロスしてますでしょう? 隣国の物や人が入ってくるんですの。だから、市が開く日なんかはすごい人出ですの。前に来た時がちょうど市の日で、見て回るのに一日かかってしまって。楽しかったですわ」
くすくすと思い出し笑いをするラフィーネに、ルー=ピコはじっと彼女を観察した。
「今回は自由に動けませんから残念ですけど。そうだ、ルー。あなたは自由に動けるのよね?」
「え? ええ、もちろん」
ダルシニーでは護衛たち全員、街中の宿に部屋を割り当てられ、ここまで五日分の賃金が支払われる。その金を持って、多くの護衛は娼館に行くのだ。
「じゃあ、お使いをお願い出来ないかしら」
「お使いですか? 構いませんけど」
「ありがとう。今回は市の開く日じゃないから、街のお店で、主人へのお土産を買ってきてほしいの。宿に着いたらお店と品物のリスト、メモに書くわね」
嬉しそうにラフィーネは言う。ルーもにっこりとうなずいた。
「じゃあ、ご主人へのお手紙もお預かりしましょうか? 街に出るついでに便利屋に頼んで来ます」
「ああ、それはいいわ。ドラジェに渡せば手配してくれるの。特急便で送ってくれてるみたいだから配達ミスもありませんし」
「それじゃ、安心ですね」
この街の思い出話を聞いているうちに、街の喧騒から離れて静かになってきた。馬車が止まると、ドラジェが扉から入ってきた。
「ラフィーネ様、今日の宿に到着しました。いつも通り玄関に直接つけさせましたから、こちらをどうぞ」
ドラジェが差し出してきたのは頭からくるぶしまですっぽり隠す長いフードつきローブのようだ。
ラフィーネは眉根を寄せてそれを受け取った。身を隠さなければならないのも面白くないのだろう。その気分はルーにも分かる。
「じゃあ、ドラジェさん、ラフィーネ様。あたしはこれで」
二人より先に馬車から降りようとすると、肩を押し戻された。
「お前には昨日と同じようにラフィーネ様の身の回りのことを手伝ってもらう。部屋もラフィーネ様の部屋の使用人部屋を用意させた」
「えっ?」
「あら、ありがとう、ドラジェ。わたくしのわがままを聞いていただけたのね」
嬉しそうにラフィーネはローブを身に纏うと、ルーを振り返った。
「昨日、ご一緒した時に思ったの。わたくし、お話相手が欲しかったんだわって」
「……はぁ」
「だって、王都からトリエンテまでの旅も、護衛とは会話も出来ませんでしたし、食事もいつも一人であまり食も進まなくて。でも、夕べの晩餐であなたにマナーを教えたり会話をしたりしながら摂った食事は美味しくて、いつもになく食が進んだし、とても楽しかったのよ。考えて見れば主人とも食事で顔を合わせる程度なのに会話もなくて、食事が楽しいだなんて思ったこと、とっても久しぶりで……」
いつになく興奮した風にしゃべりだしたラフィーネは、我に返って恥ずかしそうに俯いた。
「ごめんなさいね、わたくしのわがままでこんなこと……。でも、護衛の皆さんと同じ宿はやっぱり危険だと思って」
「いえ、この街に来れば危険も減るとは思うんですが……」
ルーはちらっとドラジェを見た。ドラジェは小さくうなずく。目を伏せてルーはそっとため息をついた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えます」
「ありがとう、ルー。じゃあ、さっそく部屋に入ってお使いのリストを作るわね」
ドラジェに伴われて、いそいそとラフィーネは馬車を降りていく。ルーは肩をすくめてその後に続いた。
お使いリストと資金を渡されて解放されたのは日が落ちる前だった。店によっては日が落ちるとすぐ閉めてしまうところもある。
ルーはあわてて街の中を走り回った。
そうしながらもザジへ伝書鳥を放つのは忘れない。宿は一緒だろうから久しぶりにタンゲルを誘って三人で飲むつもりだったのだが、お使いが終わったらラフィーネと一緒に食事だ。そのあと、寝るまでの時間を解放してもらえるのかどうかわからない。
もし解放してもらえるなら、飲むくらいはできるだろうが……。
程なくザジから伝書鳥が帰ってきた。宿の位置はラフィーネのための宿からは繁華街寄りの位置にある。花街に気軽に出かけていける場所を選んであるようだ。
そう考えると、騎馬隊の面々は気の毒かもしれない。
ラフィーネと同じ宿で、一応ラフィーネの護衛という意味合いもあり、花街にでかけたとしても泊まって朝帰りするわけには行かないだろう。
ただ、飲みに関しては、タンゲルが迎えに行く、と伝言が入っていた。
考えてみればタンゲルも同じ宿だ。となると、ラフィーネのところから連れ出してくれるのかもしれない。
ラフィーネの宿は比較的高級な宿泊街にあって、近くには貴族向けの高級クラブはあれど自分たちのような便利屋や傭兵が気楽に入れるバーはない。
まあ、そのあたりはタンゲルが来れば分かるだろう。
ルーは荷物を抱えなおしてリストにある最後のお店に向かった。




