105.銀の馬車の貴人とルー
※20151206 改行位置修正
……どうしてこうなった。
ルー=ピコは目の前の状況を首を巡らせて確認し、何度目かのため息をついた。
急ごしらえではあるが白い布で覆われた天幕の中に、ルーはいた。
地面に敷かれた分厚い絨毯の上に貴人用のマットレスを二段重ねたベッド。手触りで最高級品と分かる柔らかな毛布、上から吊るされた小さな籠には香り袋が入れてあるのだろう、嗅ぎ慣れない上品な香りが広がっているのが分かる。
騎馬隊が使っていたあのテーブルと椅子が運び込まれ、夕食がテーブルに並んでいる。三人分。
テーブルの向こう側にはドラジェが座っていて、ルーの方を眇め見ている。
――本当に、どうしてこうなった。まさか貴人の天幕にまで引きずり込まれるとは思わなかった。
ドラジェの指示で侍女まがいのこともしている。湯の入った薬缶が置かれていたので、桶に入れて水で温度を調節してタオルを濡らし、お姫様の足を拭う。ずっと座っているせいだろう、ふくらはぎがずいぶん固くなっている。
その後はお茶を淹れて食事タイムだ。テーブルセッティングがきっちり貴族式になっていて、ルーは一瞬戸惑った。ピコとしての自分はマナーを完璧に身に着けている。
が、便利屋のルーがマナーを知っているはずがない。
「どうした、食べないのか」
きちんとマナーを守るドラジェが、フォークすらもたないルーに怪訝そうな顔をする。
「いえ、あの、こういうマナーとか苦手で……」
苦笑を浮かべながら頭をかく。
「あら、それはいけませんわね。そう難しいことではないですから、覚えましょう?」
うっと声をつまらせてルーはドラジェをちらりと見る。が、ドラジェは知らん顔だ。返事に窮するうちにラフィーネはマナー講座を嬉々として始めてしまった。
要するに、暇を持て余した貴人の暇つぶしの相手としてあてがわれたのだ。
少なくとも明日、次の街に到着するまではお姫様のお相手だ。ドラジェにこっそり確認したところ、夜警も食事当番も全て免除してくれるらしい。それはまあ、ありがたい。今日、まともに眠れるかどうかは分からないが。
「ほら、よそ見をしない。スープがこぼれましてよ?」
厳しい指導が入る。この日の夕食は砂の味がした。
馬車に荷物を取りに行く、とドラジェに言ってルーは天幕を出た。ラフィーネにはかなり渋られたが、すぐ戻ると言いくるめてきた。
今日も空は満点の星、そして三つの月。
天幕から少し離れたところまで移動してから緑の精霊が飛んでくるのを受け止める。オードとイーリンからだ。
護衛の二人についてはちゃんとついてきているようだ。グリードたちを巻き込んでしまった件を連絡しておかなければ。少なくとも、隊の中ではなんとか場所を確保出来そうだ。あの二人が突入してくるほどの危険はなくなったとは思うが、ここから先、王都に近づけば近づくほど隊外からの危険は増す可能性がある。
オードからの報告の方にルー=ピコは顔をしかめた。
ドラジェの商業組合加入の推薦人の名前に、見知った名前が並んでいたからだ。
ラフィーネの夫、ナレクォーツ伯爵の名前ももちろん入っている。
推薦人の三つ目、ドランバレー辺境伯の名前。こちらもナレクォーツと同じく古い家柄で、昔から国境を守っている砦の一族だ。
「それにしても予想通りか」
一番目の推薦人に王族の名前を認めてルーはため息をついた。
――やっぱりあの方の仕業か。ボクの街を取り上げてどうするつもりだ。まさか、戻ってこいってことなのか? ボクが十六になったから。
オードが言ってたようにトリエンテの直轄化はもはや避けようがない。どこに下賜するつもりなのだろう。
そして納付金。……こともあろうかクラック子爵の名前で振り込まれている。
クラック子爵のことは王都の情報屋に頼む方がよさそうだ。……オードでさえつかめないようだから。
妖精の札を取り出して息を吹き込むと、緑色の光がふわりと飛んでいった。
「へぇ、今の、何?」
背後から聞こえた声にルーは身を固くした。
何の音もさせなかった。いや、人の気配はなかったはずだ。
人払いの魔法をかけておくべきだったか、と思う。でも魔法は迂闊には使えない。
「返事、できないの?」
足音が聞こえないのに、声の出処が近づいてるのが分かる。
今日の夜警当番だろう。篝火からは十分距離を取ったはずなのに、なぜ気づかれた?
「黙ってちゃ、わからないよ?」
耳のすぐ側で聞こえ、反射的に体を翻すと掌底を叩き込んだ――つもりだった。付き出した両手首を捕まれ、見上げた先には、釣り上がった目が見えた。
「……ケイン」
「いやさぁ、のどが渇いて水もらいに出てきたら、おねーさんが見えてさぁ。夜警から外れたって聞いてたし、ちょっと驚かそうかなーと思って」
ぐいと両手首を上に引っ張られる。
「こうやってお近づきになれねーかなと思って来たんだけどさ。……面白いもの見ちゃった」
月を背にしたケインの顔は見えないが、きっとにやにやと笑っているに違いない。
「ねえ、あんた、何モン? どっかの間諜? まあ、どうでもいいんだけどさぁ。これ、ドラジェさんにバレたらまずいんだよねえ?」
まずい。間違いなくまずい。それこそ強制的に性奴隷にされる可能性もある。
ぐい、と顔を近づけてくる。股間を蹴り上げてしまえばいいんだけど、この状態でそれは悪手だ。
「……要求は何」
「何って……わかってんだろ?」
唇を重ねてくる。ぬらりと唇を舌が往復する。
「ほら、口開けよ」
そこに少年ぽさはまったくない。肉欲に塗れた男の目だ。口を開くと舌がぬめっと入り込んできた。掴まれた両手首を後ろに回されて肩が悲鳴を上げる。
唇を離したケインは喉に食らいつきながらルーを見上げてつぶやいた。
「いいねえ、その気の強そうな目。そういうのめっちゃソソる」
これを黙らせるには、体を与えるだけじゃダメだ。どこまでも執拗に脅される。記憶を消すしか……。
ルーは口の中で一つの名を呼んだ。
「珍しく呼び出すから何かと思ったら、男担げとか、ありえねえ」
キーファはぶつぶつ言いながらケインの体を担ぎ上げた。
「仕方がないだろ。イーリンに担がせるわけに行かないんだから」
ルーは目の前の黒角族を睨みあげた。
「で、どこに捨ててくればいいんだ?」
「いや、ボクも連れて行け。近くで魔法を使うわけに行かないんだ」
ピコの声で命じると、キーファは心底嫌そうな顔をした。
「なんであんたまで担がにゃならん。定員オーバーだ」
「仕方ない……自力で飛ぶよ」
ルーは光を纏わせて森の方へ飛んだ。もしかしたら誰かが見ているかも知れない。が、ケインが土着の精霊にからかわれたように見せかけるならちょうどいい。
森の入り口でケインを降ろしてもらうと、久々に妖精族の姿に戻った。
「あんた……本当に妖精族なんだな」
その言葉にキッと睨みつけると、キーファはなぜか吹き出した。
「なんでそこで吹き出すんだよ」
「いや……あんた、可愛い」
イラッときて風の刃を跳ばすが、奴はひらりとかわして口元を抑えている。
「避けるな!」
「悪い悪い、でもなんつーか、妖精族って可愛いんだなあ。……街にいる時は化けてる理由、分かる」
「馬鹿やってる時間ないんだっての。ちょいと押さえとけ」
「はいはい」
ケインの体を仰向けにすると、ピコはケインの額に右手の人差し指をくっつけた。白く光がケインを包む。
「これでよしと。……ま、おまけつけとくか」
ピコはそう言うなり額に唇を押し当てた。リップ痕が残り、ケインは眠ったままにやにやと表情を崩し始めた。
「なぁ、あんた何したんだ?」
「ああ、あいつの見たがってた夢を見せてやってるんだ。起きたら全部夢だって思うように呪いをかけたからな」
「じゃ、悪いけどコイツ、さっきの場所に戻しといて。ボクは透明化して戻る」
「わかった。……そういやあんた、あのお姫さんにずいぶん気に入られたみたいだな」
ケインの体を担ぎながらキーファが言うと、ピコは妖精族の姿のままぶんぶんと飛び回った。
「冗談じゃないよ! こっちの目論見が色々パアだ。まあ……明日の夜までだから大した情報は引き出せないだろうけど」
「解放してもらえればいいな。戻るのも自力で飛ぶのか?」
「ああ。透明化して飛ぶから見えないだろうし。じゃ、頼むよ」
キーファにそう言い置いてピコは姿を消した。
「やれやれ」
肩をすくめると、キーファは男を担いだまま空に飛び上がった。




