9.現実は世知辛い
※20151206 改行位置修正
今朝の予感はバッチリ当たり。今日はすこぶる快調で、定時過ぎまで調子よくプログラミングができた。こういう日はポカをやらかすことも少ないし、手戻りもない。いやー、いい気分。難しそうって思ってたところもすんなり動いたし、今日は定時で上がって本屋に寄ろうかな。
机の周りを片付けだしたところで後ろから声をかけられた。
「あのー、木村さん」
振り向くと、今年入った新人君の一人、奥野くんだった。新卒で将来有望な子。少し線が細くて押しも弱い感じだけど、覚えは早いって確か誰か言ってた。今日は打ち合わせだったみたいで白いワイシャツにネクタイも締め込んでる。
「はい、なんでしょう」
今日は機嫌も調子もいいからなんでも聞いちゃうぞー。
「今日ってもう上がりですか? あの……デートですか?」
「え?」
思わず聞き返しちゃった。
「いや、あの、クライアントとの打ち合わせもなかったのにスーツだから、もしかしてと思って」
意外。奥野くんってぜんぜん押し弱くないじゃない。というかよく見てるなぁ。ちょっと感心。本人もそれほど照れる様子でなく言ってるところを見ると、自然体でこれなのかしら。
「ああ、そういうわけじゃないんだけど、今朝はそんな気分だっただけ。デートする相手がいたら土曜日に休日出勤なんてしないわよ」
笑ってあたしは答える。そうよ、あの力のお陰で彼氏がいないのもデートする相手すらいないのも、さらっと言えるようになっちゃったわよ。あーもう、恋したいっ。あたしの運命の相手、どこにいるのよっ。
「えっと、じゃあこのあとお暇ですか?」
「え? ええ、そうだけど」
と答えると、奥野くんの表情が目に見えて明るくなった。
「よかった。あの……実はちょっとご相談したいことがあって」
「ええ、構わないけど」
「その……ここじゃちょっと」
キョロキョロと周りを見回してる。ということは仕事関係じゃないのね。まあ、まだ周りの人たちは仕事してるし、プライベートな話なら場所を変えたほうがいいわよね。
「じゃあ、会議室でも行く? それとも、奥野くんがもう上がれるなら喫茶店でも構わないけど」
ビルの一階にある喫茶店なら遅くまで開いてるはずだ。
「あ、もう上がれます。じゃあ、エレベーターのところで待っててください」
目をキラキラさせながら奥野くんは自分のデスクに戻っていった。あたしに相談って、なんだろ。他にも同期の女の子もいるし、男の子もいる。彼らじゃダメってことよね。
まあ、あんまり期待しないことにしとく。あたしの悪名は半年も会社にいれば耳に入ってるはずだしね。
片付けをとっととすませてパソコンの電源を落とすと他の子達に声をかけて居室を出る。
化粧室に寄ってからエレベーターの前に行くと、奥野くんはもう来て待っていた。
「ごめん、おまたせ」
「いえ、すみません。お仕事のあとに」
それは言うなって。分かってて声かけてるでしょ?
ほどなくやってきたエレベーターに乗り込む。他の客がいないせいか奥野くんは少し落ち着かない様子。緊張でもしてるのかな。少しほぐしてみよう。
「奥野くん、今日は忙しかったんじゃない?」
「い、いえ、大丈夫です。僕はそれほど重要なところはまだ任されてないので」
「そう? 部長がそろそろ設計もやらせてみるかって言ってたわよ」
「えっ! 無理ですよー。僕まだ入って一年も経ってないのに」
顔の前で手を振っている。なんだかかわいいなあ。こんな時期があたしにもあったのかなあ。……なかったような気もする。こんなに素直じゃないものねえ。
「まあ、何事も経験よ」
と笑ったところでエレベーターは地下一階に到着した。
「ええと、ビル地下の喫茶店でいい?」
「あ、はい」
喫茶店はさほど混んでいなかった。あたしは奥のほうの席を選んで座る。
メニューはいろいろあるけど晩御飯のつもりじゃないからコーヒーだけを頼む。奥野くんは甘いものを頼んでいた。
店員が下がったところで、あたしは切り出した。
「で? 相談って何?」
「あの……実はこの間の金曜日に合コンに行ったんですけど……」
ああ、クリスマス合コンね。
「あっ、あの、僕はその、先輩たちに誘われただけで、あんまり合コンとか好きじゃないんですけど、一度体験してみろって連れて行かれまして……」
「うん。で?」
「その時に女の子たちとメールアドレスの交換をしたんですけど、僕、誰かと付き合うとかってまだ興味がないっていうか……」
うわー、ならなんで合コンなんか参加したのよって言われるパターンだ。うーん、こりゃ分が悪いな。
「で?」
「その……一日に何通もメールが来るんです。LINEも……僕、どうすればいいんでしょう」
パフェとコーヒーが運ばれてきて、あたしはコーヒーに口をつけた。
「それ、一緒に行った先輩たちに聞いてみた?」
「はい。でも、遊んでみりゃいいじゃんって言われちゃいまして。同期の女の子たちにはこんな話できないし……」
ふーん、あたしならいいって踏んだわけ。その理由が聞いてみたいところだわねえ。
「付き合ってみたら?」
「えーっ、木村さんまで……」
「まあ、それは冗談だけど。奥野くん、好きな人はいるの?」
「へ? え? い、いませんよっ。いきなり何言うんですかっ」
「ふーん。それじゃあ、付き合ってみたらって言われちゃうわねえ。気になる人とか憧れてる人とか、一人ぐらいいないの? 片思いでもいいのよ?」
「……いないわけじゃないです」
「じゃあ、そういう人を『好きな人』にでっち上げて断る口実にしたら?」
「えっ、でも、それって相手の人にも、そのっ『好きな人』にも失礼じゃぁないでしょうか……」
うわー、青い。いや、純真って言うべきかな。ていうか、この歳で付き合った経験がないというのはちょっと驚愕だわよ。奥野くん、地味目かもしれないけど二枚目顔だし、背も普通にあるし、女の子がほっとかないでしょうに。告白されまくって振るのに慣れてるんじゃないの?
「その気がないのに合コンに参加してるほうが失礼よ?」
「……すみません」
奥野くん、しおらしく頭を下げてる。いいんだけど、パフェが前髪につくわよ?
「ま、失礼だと思うなら、正直に言えばいいんじゃない? 気になる人がいるとか片思いの人がいるからとか。」
合コンの子はその程度じゃあきらめないような気はするけど。
「分かりました。そうしてみます。ところで……木村さん、付き合ってる人はいないんですか?」
「言ったでしょ? いないって」
「あの……僕、立候補してもいいですか?」
「……冷やかしならやめてくれない?」
なーんか全部冷めちゃった。
ああそう、相談とかメールで困ってるとか、全部このためのネタなわけね。あたしを釣り出すための。
どうせ先輩たちにからかわれてけしかけられたんだろう。
「そんなつもりはないです! 僕……」
「……ごちそうさま」
コーヒーの代金をテーブルに置いて、あたしは店を出た。
少し早いですが一話更新しました。
この後もう一話、更新予定です。




