プロローグ クリスマス・クルシミマス
※20151206 改行修正しました
「おつかれさまー」
先に帰る同僚を見送って、あたしは部屋の中を見回した。オフィスビルの四階、そこそこ広い居室の中にはもうあたししか残っていない。フロアの半分はもう明かりも落とされている。
時計は二十二時を回ったところだ。
今日も最終退出者だ。今ごろ後輩君たちはクリスマス合コンの最中だろう。いそいそと定時に帰ってったものね。
こんな日に残業してるのはもちろん、一緒にクリスマスイブを過ごす相手がいないから。
窓際でチカチカ光ってるクリスマスツリーがうらめしい。
何でかしらね。
この歳になってもあたしの王子様は現れない。
昔から占いや呪い師にはさんざん「あんたには待ってる人がおるから」って言われ続けてきたのに。
まあもちろん、それを信じてきたわけじゃない。いいなと思った人だっているし、告白されたことだってある。付き合ったこともないわけじゃない。
でもね。
あー、この人じゃない、ってなんでかわかるのよね。キスすると。
それまでそれなりに盛り上がったりしてても、そのとたん、全部冷めちゃう。
いやな能力よね。
キス一つで自分の運命の相手がわかる。
どこぞのおとぎ話の眠り姫じゃないのよ。
おかげで――すっごい悪い噂、立てられた。
『木村彩子は男を食い物にしてる。貢がせるだけ貢がせといて、すぐ捨てる』
こんな噂のせいで誰も寄ってこなくなった。悪循環。
ううん、噂じゃないよね、事実。告白されて、好きになって、デート行ってプレゼントもらって、いいムードになって、キスしたとたんに手のひら返すんだもの。
でも、あたしのせいじゃない。……嘘、やっぱりあたしのせい、よね。
こんな能力、嬉しくない。
ツリーながめてたらだんだん暗い気分になってきた。
やめよ。
PC落としてモニターの電源を切る。退出時のチェックをして、フロアの明かりも消して、鍵とセキュリティをONにすると、あたしはビルをあとにした。
電車に乗り込むと、この時間だっていうのにおしくらまんじゅう状態。なんでこんな時間なのにこんなに人がいるのかしらね。いつも思うけど、日本人、働き過ぎじゃない?
立ってる間はいいけど、乗客が減ってなんとか座れる場所を確保すると、眠気が襲ってきた。
最近いつもそう。朝が早いせいかしら。帰りはいつも熟睡してる。乗り過ごし防止に最近はスマホでゲームしてるんだけど、今日はそれも効果がないみたい。
あきらめて少しだけ、目を閉じることにした。
誰かに叩かれてる。誰? 車掌さん? あたし、もしかして寝過ごしちゃったかしら。
慌てて飛び起きる。
ショルダーバッグの紐を掴んで立ち上がり、電車を降りようとして――気がついた。
ここ、どこ?
あたしが住んでるのはコンクリートとアスファルトで作られた都会であって、下草や低木のうっそうと茂った森じゃないはず。
夜らしく、上空にかかる三つの月の光がなければなんにも見えないだろう。
――三つも月? 地球に三つも月はないわ。
「ああ、やっとお目覚めですかな」
姿は見えないけど、何かが喋りかけてくる。少し年を感じさせる声。こんな声の人、知り合いにいたかしら。
「お帰りが遅いんで心配しておりました」
年末前だもの、帰宅が遅くなるのはしかたがないわ。年末年始に出勤だなんてぞっとしない。だから、できるだけ遅くまでやって、ゆっくりお休みを迎えたいの。
「ねえ、どこにいるの? 見えないんだけど。誰? それとここはどこ?」
それに手にしてたはずのスマホもない。ポケットを探ろうとして――ポケットがなかった。白のサブリナパンツだったのに、ピッタリしたレザーのカプリパンツに変わってる。上着も、白のフード付きベストでポケットも多かったのに、黒いジーンズっぽい地厚のベストに変わってる。
カバンの中かと思って手繰り寄せた肩の紐は、紐じゃなかった。
「何これ……」
ファンタジーの映画でよく見る弓のようなものと、矢筒のようなもの。
なんでこんなもの、あたしが担いでるわけ?
「おや、これは……こちらでの記憶が戻ってきてないようですねえ。このところお忙しそうですし、忘れるのも無理ありません。忙しいとは心を亡くすと書きますし。ゆっくり眠れる時にまた、お話しましょうか」
目の前の木にふくろうが止まっているのがみえた。今まで喋ってたのはこのふくろうなの?
と、不意にふくろうは羽を広げてあたしのほうに飛びかかってきた。鋭い爪が見えて、思わずあたしは顔をかばった――。
「うわっ」
自分の声で目が覚めた。
周りを見回すと、まだあたしは電車に乗っていた。乗客がみな、こちらを見ている。うわー、恥ずかしい。居眠りこいて、よだれまで食って、寝言で目が覚めたの? あたし。
アナウンスがいつも降りてる駅の名前を告げている。
「お、降ります!」
荷物をひっつかんで、あたしは飛び降りた。
ホームのベンチに座ってペットボトルの水をあおる。なんだか動悸がする。そんなにひどい夢、見てたのかしら。
夢の内容は全然覚えてない。でも、なんだかすきっとしない。
頭を振る。
やめやめ。考えてても仕方がない。
それに明日は土曜出勤。クリスマス? そんなのあたしには関係ないわ。