個人レッスン
月曜日が来た。俺は朝から落ち着かないまま登校した。教室に入るといやがおうにも沙耶華さんを意識してしまう。しかし、沙耶華さんは別に普段と変わった様子はなかった。ま、当然か。しかし、俺の方は違う。女の子と二人っきりって経験も無いのにそれがあの沙耶華さんなのだから。
「ヒコ。今日はなんかヘンにゃ。帰ったらイノベーターゲームでもやるにゃ!」
家に帰ると察したのかなゆらが話しかけてきた。
「あ、ごめ。俺今日から塾だから……」
「塾ってにゃんら?」
「塾っていうのは、勉強を教えてくれるところだ」
「それじゃ学校と同じじゃにゃいのか?」
「う、う~ん。まあ、そうだけど、より専門的というか、受験用というか……まあ、学校じゃ教えてくれないようなコトを教えてくれるトコだよ!」
「ニャニ!ワッチも行きたいのだ」
「いいけど……帰りは夜だゾ?」
まだ確信はなくて、ワッチも行く~~~!なんて言われたらどうしようかと内心ドキドキしていたが、ダモンいわく、なゆらも夜に外出することはできない。するとしたら車だとか明かりがある環境じゃなくては無理とのことだった。
「にゅうぅ~~~」
はたしてなゆらは困った顔した。
「そしたらインターネットでヒコのブックマーク巡りでもするかにゃ」
「お、オイ。や、やめろよな。父さんや母さんに見つかったらどうするつもりだ」
実際、なゆらはいろいろなことができるようになっていた。モノには自在に触れるようで、ゲームやネットは自分で勝手にできるのだ。だから、少し不安を感じながらも、なゆらに念を押してから俺は家を出た。嘘をついたせいか少しだけ気が引けていた。
二階堂のお屋敷に行くには自転車しかない。延々と登りつづける丘の上にお屋敷はあるので、頂上につく頃にはヘトヘトになってしまった。しかし、門の前に立つとそんな疲れは吹っ飛んでしまった。
「はは、はじめて来たけど……帰ろかな」
その門は鉄柵に囲われていて、よくあるちょっとしたお金持ちの家のように高い塀で囲まれて中が見えない、というものではなかった。屋敷まで遠すぎて見えないのだ。門の呼び鈴を鳴らすべきか戸惑っているとダモンが現れた。
「ようこそいらっしゃいましたタナガワ様。どうかなさいましたか?」
「お、おう。いや、なんでもない。こ、ココでいいんだよな?」
「左様でございます。さ、お嬢様がお待ちかねでございますよ」
「そ、そうか」
俺は自転車を押しながら門をくぐると屋敷へ向かって歩きはじめた。
「タナガワ様!こちらでございますよ!」
振り向くとダモンは屋敷から少し離れた建物の方へ向かっていた。
「なるほど、母屋じゃない方ということか」
「左様で。タナガワ様には小屋の方が落ち着いて良いだろうとの、お嬢様のご配慮でございます」
沙耶華さんが俺のコトを考えてくれた、そう思うとなんだかそれだけで嬉しくなった。
ギギギギイ~
小屋につくとひとりでにドアが開いた。小屋と言っても、その建物は大きく、ウチの家の三倍位はゆうにあった。廊下を抜け階段を登った正面に部屋があり、その扉もまるで魔法のように勝手に開いた。中央には木製のテーブルが置いてあり、その向こう側に沙耶華さんが座っていた。沙耶華さんはまるでお姫様のような服を着ていて、学校でしか沙耶華さんを見たことがなかった俺は思わずひざまずきそうになった。
「チキショウ完全に場違いだ。なんでこんなトコロに来てしまったんだ」
そのとき俺は激しく後悔していた。
「どうかしたの?タナガワさん」
「い、いえ……なんでもありません」
「そう。では、お掛けなさい」
沙耶華さんと向かい合う位置に椅子があった。それに腰掛けると、すう~っと給仕がカップを持ってきた。ポットに紅茶を入れるとお湯をゆっくりと注いだ。やさしい湯気が漂う向こうから沙耶華さん話しかけてきた。
「やはりまずは紅茶ね。ダージリンがいいかしら?」
沙耶華さんは微笑みを絶やすことなく優しい口調ではあった。
「は、はあ……」
「珈琲などという飲み物は野蛮人の飲み物です。それでタナガワさんは何がお好き?」
「こ、紅茶です。あ、ダージリンの」
少し沙耶華さんが笑ったような気がした。
「それで?ミルクか砂糖でも入れるのかしら?」
「できましたら、ぎゅ、牛乳を……」
沙耶華さんの顔色が変わった。
「入れることは無いので、そのままで結構です」
「そうね。ダージリンは何も入れずに戴くのがイイでしょう」
「で、ですね」
それから後のことはよく覚えていない。三大紅茶の銘柄や、紅茶の歴史、正しい入れ方、紅茶の種類や入れ物についてなどの話ばかりをして、勉強をすることはなかった。まあ、勉強好きというワケでも無いのでとりたてて指摘はしなかったが、自分が何をしにきたのか不安になってしまった。
その苦痛の二時間が終わると俺はやっと開放された。沙耶華さんはあれだけひとりで喋って疲れないのだろうか?それにしても、学校で見る沙耶華さんよりも遥かに饒舌に話しをするさまは驚きではあった。帰りはまたダモンが門まで送っていってくれた。
「いかがでしたかな?タナガワ様」
「正直……疲れた。いつまでコレをやらなければならないんだ?」
「おやおや、意気地がないですな。いつまでですと?それはもちろん、お嬢様が「コレまで!」と仰るまででございますよ」
「そ、そうか……途中で降りることは……」
「できませんな。お嬢様は中途半端が大キライであります。そんなことをしたらアナタだけの問題では無くなりますことは想像いただけるのではないですか?」
そうだ……俺は本当にバカだった。もし仮に、仮にだ。二階堂家に睨まれたとしたらこの街で生きていくことなどできるはずがない。それが娘の事であろうと、父である二階堂幸吉は全力で対処するであろう。
「だがしかしですよタナガワ様。仮に気に入られたならば、これほど心強い味方はないのではないですか?」
まるで、俺の心を読んだようにダモンが言った。
「たしかに、たしかにそれはそうかもしれないが……」
「悩んでいてもしょうがありませんよ。途中で降りることができない以上、お嬢様の心を惹きつけることを考えるのが最も理にかなっているハズです!」
「そうか、そうだな。ものは考えようだ」
結局のところ、俺にはそれしか選択肢がないのだから、やれるところまでやり切るしかないのだと言い聞かせながらウチへ帰った頃にはヘトヘトになっていた。




