DEAD ONLY KNOWS
少年は、意識を取り戻した。
だがまだ仰向けに寝たまま瞼は閉じている。闇の中で頭がクラクラとして意識が定まらず、爽快な目覚めとは程遠い嫌な気分だ。
背中に伝わる冷たい感覚に、半ば反射的に背中を持ち上げたのが悪かった。少年は額にゴツンという衝撃を受け、うっ、と呻く。
それによって目は完全に冴え、少年はようやく今の状況を視認することになる。
「な、なんだこれ……」
思わず口をついてしまったのは当然とも言える。少年の目に飛び込んだのは、恐ろしく低い石製の天井だった。左右に首を動かすと、すぐそこには同素材の壁が迫っていることも分かる。まさかと思い爪先を伸ばせば、靴底がコツンと音を立てる。
「箱……の中?」
人一人が入れる程度の大きさの箱、ここはそうとしか思えなかった。
少年は身体を窮屈そうに半回転させ、うつ伏せになる。そうして真っ暗がりの箱の中に何かないかと手探ると、突起物が帯状に並んでいる部分があるのを確認した。突起物――それはパソコンのキーボードのような物だ。手触りから推測するにディスプレイも存在するようだが、ボタンをいくら押しても反応は無い。
いや、そんなことよりも、まずはここから脱出しなければ。少年は再び仰向けとなり、天井に手を掛け、腕に力を込めた。
が、それはびくともしなかった。いくら石が重い物質だとはいえ、この蓋は動くことを知らないかのように固定されていた。一応四方の側面の壁も押してみたものの、結果は言わずもがなである。
自力での脱出が不可能と理解した瞬間、少年の胸に困惑や恐怖といった感情が一気に襲いかかった。むしろこれまでの約一分間にそうならなかった方が不思議な程だ。
心臓は高鳴り始める。額に汗が垂れる。膝が笑う。それでも彼は、深呼吸をして気持ちを鎮めようとした。
――まず、どうして僕はここにいるんだろう。意識が無くなる前には、どこで何をしていたんだっけ。
僕は伊集院はやて、十六歳で高校一年生。今日もいつも通りに学校で授業を受けて、家で少し休憩したあとに塾へ行った。塾での授業は夜九時までしっかり受けたはず。
そうだ、帰り道で喉が渇いたから、自動販売機でジュースを買って公園のベンチで飲んだんだ。それで――。
ハヤテの記憶は、ここで途切れていた。そして目覚めたら、時間も場所も分からないこんなヘンテコな箱に閉じ込められていたのだ。
家は、家族はどう思っているのだろう。僕はここから出て、帰れるのだろうか。
暗く狭い密室で、ハヤテは一人涙を流していた。何もかも分からない恐怖が、ハヤテの心に暗雲をもたらす。
何をしていいかも分からず、そのままで。
それからどれだけ経ったのだろう――もしくは、彼が想像したほどの時間は流れていないかもしれない――、ハヤテは自分以外の存在を感じることとなる。
「おい! 誰かいねぇのか!?」
くぐもった怒声。年上の青年のような響きだ。不意に耳に飛び込んだ人間の声に、どれだけ救われたことか。自分は、独りきりじゃなかった。
「ここに……ここにもいます!」
目一杯喉を震わせて叫ぶ。久しぶりの発声だったせいで始めの部分は掠れてしまっていたが、しっかり青年に届いていたようだ。安堵感の混じった声色で、
「良かった、オレ、変な箱から出れねぇんだ。ちょっと蓋を持ち上げてくれよ」
「いや、僕もおなじ状況なんです」
「マジかよ……じゃあお前も閉じ込められてんのか」
事態が解決したわけではない。だが人との会話がハヤテを、青年を、孤独から解放したことは間違いなかった。
「あの」ハヤテが問う。「あなたも、どうしてここにいるのか分からないんですか?」
「まーったく。深夜にダチと遊んで、解散したまでは覚えてんだけどよ」
「そうですか……」
ハヤテが嘆息した、その時である。
「ちょっといいかしら。私も閉じ込められているのだけど」
「待ってくれ、俺も同じだ。君たちも箱の中なのか?」
ほぼ同時に二つの――先のは凛とした女性の、後のは低く響く男性の――声がした。
「嘘だろ……? 四人もこんなとこに捕まってんのかよ」
青年も驚きを隠せない。ハヤテもまた、言葉が出なかった。
「話は少し聞かせてもらっていたわ。残念だけど私も、今何が起きているのか分からないのよ」けれど、と彼女は一拍置いて続ける。「ここから出たいという気持ちは、皆同じじゃないかしら?」
その問いかけに、三人は口々に肯定した。
「そこで、私たちは出来るだけ多くの情報を共有するのがいいと思うの。――自己紹介がまだだったわね。私は桑島冴、製薬会社の社長をしているわ」
「オレは相原裕次郎。とりあえずはフリーターしてまっす」
「俺の名前は出川忠泰。職業はサラリーマンだ」
サエの名乗りに続いて青年、男性も自己紹介をし、そしてハヤテも同じようにした。
「……これで四人、全員かしらね」
サエの言葉に、反応した者がいた。
「あの、すみません……わたしも、まだいます」
そんなか細い少女の声を、四人は耳にした。その少女に、ハヤテは訊ねる。
「えっと、君は?」
「み、御剣光希と言いますっ、高校二年生、です……。あの、わたしも今、箱の中なんです」
緊張のせいか声が上擦っていたが、この状況では仕方ないと思えた。
「――さて、今度こそ出揃ったわよね。私、ユウジロウ君、タダヤスさん、ハヤテ君、ミツキさん。これからは五人で、この箱から脱出する方法を模索していかなくてはならないわ」
冷静に他を束ねるその口調は、流石社長といったところか。
しかしユウジロウは、そんなこと分かってると言いたげに、
「でもよ、どうやってこっから出んだよ!? どんだけ蹴ってもびくともしねぇぞ!」
ガンっ! と威勢の良い打撃音がするものの、それで箱が壊れた様子はなかった。代わりに聞こえたのは、「う……」という小さく低い呻き声だけだ。
「きっとそういう力業でなんとかなるものじゃないんだわ、これは。他に何かあるはずよ。例えば、このパソコンを起動さ――」
その時だった。サエの言葉を中途で断ち切る、大音量の声が流れた。
『皆様、お揃いですね』
機械で加工された耳障りな声だ。
同時に、それぞれの目の前に置いてあった装置の画面が一斉に点灯した。ハヤテの両眼は機械的な光に灼かれ、強く目を閉じる。
それから直ぐ、タダヤスが警戒心を含んだ様子で聞き返す。
「お前は誰だ? 囚われた者ではないのか?」
『ええ、違いますよ。……申し遅れました。わたくしはMr.V、この墓の管理人を任されております』
「墓……? 今、ここが墓っつったか?」
ユウジロウが突っかかる。それもそうだ。『墓』などという不穏な単語を聞いても不思議に思わない方がおかしい。
『ええ、言いました。そうですね、あなた方はさしずめ、生ける屍といったところでしょうか』
機械音声――Mr.Vの口調は至って軽い。
そろそろ眼の調子が戻ってきたハヤテは、ディスプレイを細目で眺めてみた。するとそこには、
「【Welcome to the Tomb】……墓へようこそ?」
そんな英文と、【イジュウイン・ハヤテ】という名前、それと五つの【_】が白背景に黒文字という簡素な画面に浮かんでいた。
状況が掴めず困惑する五人に、Mr.Vは続けて衝撃を与える一言を放つ。
『では本題に移ります。――これよりわたくしはあなた方に、暗号をお出しします。その全てに答え、見事この墓から脱出してください』
「どういうことですか……?」
『言葉通りですよ。言い換えれば、「ここから出たければ暗号を解いてください」ということです』
「私たちに拒否権は無い、ということね」
それに、タダヤスは声を荒らげて怒鳴る。
「そんな遊びに付き合う暇などない。一刻も早くここから我々を出せ!」
「ケーサツに訴えんぞコラ! 監禁罪だ!」
『……残念ですが、あなた方全員をここから出すことはできません』内容とは裏腹に、Mr.Vの声色からは申し訳なさは微塵も感じ取れない。『脱出できる人数には限りがあるのです。残った方は――いえ、これ以上はやめておきましょう』
ククッ、という乾いた笑い声で締めくくられたせいで、その場の誰もがもしもの事態を想像し、竦み上がる。まさにサエが言った通り、拒否権は無かった。
『さて、ではこれからルールの説明をさせていただきます』
そう前置いて長ったらしい規則を澱みなく読み上げたMr.Vのそれをまとめると、以下のようになる。
・暗号文は各人の目の前にある装置にディスプレイに表示される。解答はキーボードで入力する。ちなみに解答欄は五文字までしか入らない。
・各問、未正解者が一人になるまでを一区切りとする。各区切り毎に、最後に残った未正解者が脱落する。全五問で五区切り。
・解答が不正解だとお手つき。他の誰かが一度解答するまで操作不可の凍結状態となる。
・知りたい物事を装置に入力(五文字以内)すると、どんなものでも表示させることが可能。円周率から現在の家族の様子まで何でも映せる。但し、この入力もお手つき一回とみなす。また、この機能を使って【解答】や【ヒント】などを直接調べることは反則とし、強制的に脱落とする。
『何か質問はございますか?』
「ああ」その声はタダヤスのものだ。「答えを調べた場合は脱落、と言ったな。そのとき、残った人間の中で解答の遅かったもう一人も脱落となるのか?」
『いいえ、反則者が出た問題では、例え答えた順番が最後でも脱落にはなりません。全員が解答した時点で、次の暗号に移ります』
その後、誰かが質問をすることはなく。
『――では始めます。第一問』
無機質な声が、この脱出ゲームの開幕を告げた。
【いなたべろけのろそつろゑてゐの?】
画面の英文
が暗号文に上書きされるのと同時並行で、Mr.Vはそれを音読する。
静寂が場を支配した。誰も彼もが、暗号解読を始めたのだろう。――こんな訳の分からないところで死にたいなどと思う馬鹿もいないはずだ。
ハヤテも、先の文とにらめっこをし始めた。
『?』が付いていることからすると、これを解くと何らかの質問文のようなものが出てくるはずだ。
手掛かりはないのか。ハヤテはまず、全文を漢字変換してみた。
【否食べろ家のろそ釣ろゑてゐの?】
……いや、これは違いそうだ。全く意味が通じない。
ハヤテが次の手を打とうとした時だ。『ポーン』というチャイムがどこかで鳴った。
「――解けたぞ! 何だ、簡単じゃないか」
タダヤスが嬉々とした声を上げる。
「マジかよ、早すぎ……」とはユウジロウの嘆きだ。「あーもう! これでどうだ!」
投げやりになって何かを入力したのだろう、先ほどと同じチャイムが鳴る。が、くそっ! という舌打ちが聞こえたかぎり、ユウジロウは不正解だったようだ。
どうやら、誰かがキーボードで答えを入力するたびに、その正否に関わらずチャイムが鳴り響くらしい。これにより、たとえ黙っていたとしても何かしらを入力したことが他の人にも伝わってしまう仕組みだ。
つまり、音の回数が自分以外の人数と同じだけに達したとき、敗北となるやもしれないということだ。
その内に、もう一度件の音が鳴る。――これはうかうかしていられない。ハヤテは気を取り直して暗号に目をやった。
この文には、読むのに引っかかる文字がある。『ゐ』と『ゑ』だ。普段の五十音では使うことのないいろは文字。これが解読の鍵になるのでは、とハヤテは睨んでいた。
暗号の中で最もポピュラーな方式は『換字式』と呼ばれるものだ。何らかの法則に則って、暗号文を正しい文字列に置き換える方式……多分、これもそうだろう。
最初に試したのは、いろは配列をあいうえお順に置換するやり方だった。つまり、『いろはにほへと』は『あいうえおかき』に変わる、ということだ。
再び、ポーンと音がした。もしさっきの音と今の音で二人が正解していたとすれば、残っているのは自分ともう一人のみ。最早一刻の猶予も残っていない。
急いで暗号をあいうえお順に対応させていく。すると。
【あなたがいまはいつているものは?】
文ができた――解読成功だ。よし、という小声が口から漏れ出る。しかしこれで終わった訳ではない。この質問に答えて、ようやく正解となるのだから。
自分が今入っている物。それは……箱、か? いや、それではあまりに抽象的すぎる。この箱が何かを答える必要がありそうだ。
そのヒントはないのか。記憶をまさぐると、つい先程のMr.Vの台詞が蘇ってきた。『この墓』『生ける屍』。
墓で屍を納める箱――答えは見えた。
ハヤテはキーボードに【棺】と入力、エンターキーをタンっと打ち込む。チャイムが響くのと同時に、暗号文が消えて【Correct】と表示された。
よかった……生き残った……。そう思うとハヤテは、一気に脱力した。知らず知らずのうちに額には玉のような汗が浮かんでおり、緊張で身体中の筋肉が震えていた。心なしか息も荒く、心臓の脈打つ音が鼓膜に直接伝わっている。
それに続いて、誰かがまた解答したようだった。これで音は六回、内一回は不正解のユウジロウ。そしてハヤテとタダヤスは既に正解している。サエとミツキに関しては、この段に至っても特に焦っている様子が感じられないため、少なくともどちらかは一発で、もう一人は一度のお手つきの後正解を入力したと推察できる。もしくは、ユウジロウが二度目の不正解を犯していたかもしれない。
いずれにせよ、ユウジロウが未だ正答を導き出せていないことは明らかだ。ユウジロウ本人も、周囲の皆がもう正解していることを悟ったのだろう。
「ウソだろ、おい……オレが、最後……!?」
「残念だがそのようだな」
声を情けなくわなわなと震わせるユウジロウに冷たくそう言い放ったのは、タダヤスだった。
「ユウジロウ君、きっと大丈夫よ、まだ他にも脱出する方法があるはず!」
「解けねぇよこんなの! 嫌だ、死にたくない……死にたく、ない……っ!」
大の大人の嗚咽までもが耳に入る。必死に何者かに命乞いをする姿は滑稽で――いや、今この時そう思えた者は、この四人のなかにはいなかった。渦巻く気持ちの正体は死にゆく者への哀れみか、次は我が身という恐怖か、これで死ぬはずがないという楽観か、自分はこうはならないという根拠のない自信か。或いはその複数、もしくは全てで。
「くそ! っざけんな! どうして、どうしてオレが死ななきゃならねぇんだよ!」
石棺をガンガンと叩く音がする。しかしそれが無意味なことは本人が証明済みだ。
誰もが理解していた。暗号を解かねば道はない。負ければこの通り、二度と太陽を拝むことは出来ないのだ、ということを。
もう誰も、ユウジロウにかける言葉を持っていなかった。
ミツキの「あっ」という声がして。
「何で……畜生……っ、死にたく――」
ポーン。
チャイムが一つ、響いた。それきり、ユウジロウの声が聞こえることは、なかった。
「声が、消えた?」
ハヤテは呆然としていた。自分のこんなにもすぐ近くで、人が死んだというのか。
「まさか、ほ、本当、に……?」
怯えるミツキの声は、消え入りそうなほどに小さかった。
サエは逆に声を張り上げる。
「ユウジロウ君! 返事をしてっ!」
「無駄だ――彼は死んだんだ」
やはり一刀の下に切り捨てるタダヤスに、サエは怒りが窺えるような口調で問うた。
「タダヤスさん……どうしてあなたはさっきから」
「冷血だ、とでも言いたいのか? 仕方ないだろう。これは生存競争だ。自分が生き残るために他者を殺す。その過程で少しでも後ろを振り返る必要はない。振り返ったところで、そこには自分が踏み台にしてきた死体があるだけだ」
それは正論のはずなのに、誰も心の底からは納得できない論理だった。
すると、空気を読むという行為を全く知らなそうな合成音声が割って入った。
『では、第二問です』
空気が瞬時に張り詰まる。生死を賭ける戦場の雰囲気など、至って平凡に暮らしてきた一同の、誰もが味わったことのないものだ。こんなことがなければ、この先の人生でも味わうことはなかっただろう。
息を吸う音さえ漏らさず、Mr.Vは文を読み上げる。
【デガワ・タダヤスは132、ミツルギ・ミツキは117、イジュウイン・ハヤテは112、ナラヤマ・ダイスケは96、クワジマ・サエは66。ではアイハラ・ユウジロウはいくつか?】
文章の途中から、ハヤテの頭の上に疑問符が浮かんでいた。早くも例の音が聞こえたことを気にしてなどいられない。
「ナラヤマ・ダイスケ?」
その心を代弁したのはサエであった。続けてタダヤスも言う。
「誰だそれは。ここに閉じ込められているのは五人のはずだろう。もしかしてMr.Vの本名か?」
「いえ……違います、それ」ミツキはそう否定した。
「どういうこと?」
問うた瞬間、クククッ、という低いが若々しい笑い声が聞こえた。
「――く、あははははっ!」
「誰……なの?」
「多分、この人がダイスケさん、です」
その男――ダイスケはそうだと認めた。
「あんたら、もうこんな馬鹿なゲームは止めにしないか?」
「何を言っているんだ、それは出来ない。既に、一人が死んでいるのは君も知っているだろう」
そのタダヤスの呼び掛けを、ダイスケは一笑に付した。
「いいか、ここは地獄だ! 進めども進めども迎えるは闇、行けども行けども近づくのは死! ここでは生こそ死、死こそ生! ――俺は知っている。死の中で死んでこそ光を見る! 生き長らえれば暗闇に呑み込まれる!」
「まさか、死ぬ気なんですか!?」
ハヤテはその発言にハッとなって叫んだ。
「馬鹿なことを考えてはダメよ! 生きて暗号を解いて、そしてここから出ればいいじゃない!」
「くくく、まだそんなことを言うのかあなたは。それは全て無駄、無意味なのさ」
「ダメだこいつ、イカれてる……」
タダヤスが呆れたように吐き捨てた、その直後だ。
「こんなのはもう沢山なんだ……俺はここで死ぬ。そして、還るんだぁぁぁ――!」
長く尾を引く絶叫の後には、ただ沈黙だけが残された。
「ダイスケさん……【答え】って入力、した……」
ミツキの言葉に、力は込められていなかった。
どこか悲しげに――いや、寂しげにか――嘆息したのはサエだ。
「どうしてこんなことを。自ら命を投げ出すなんて」
「さあな。大方、こんなところに閉じ込められて精神を保てなかったんだろう」一息付き、タダヤスは続ける。「さて、暗号解読を始めようか。今度は例え入力が遅くても死ぬことはないからな、皆で協力しよう」
その台詞に、ハヤテは思わず反応してしまう。
「タダヤスさん、そんな言い方は……!」
「ふん。彼は自ら、生き残る権利を放棄した。競争相手が消えた分、我々は生き残りやすくなったんだ。歓迎すべき事態ではないか」
「そうなのかも、しれないけれど……」
「タダヤスさんの言っていることは極論よ。けれど、それが正論なのよハヤテ君、ミツキさん」
大人二人にそう諭された子供二人は、それでもその論理に納得しきれない心を無理矢理押し殺す。
そこで、サエがよく通る声で仕切り直す。
「じゃあ始めましょう。――皆、Mr.Vに言われた自分の数字、分かるわね? もう一度それを共有しましょう」
その数字は、今目の前の画面に映し出されていた。暗号文を読み上げていた最中に、自分の名前の書かれていた書かれていた部分が上書きされて、数字に変わっていたのだ。
サエの言葉に従い、三人はそれぞれ自分の数字を口にした。サエも数字を言って、
「ありがとう。するべきことは、人によって数字が異なる理由を探すことよね」
彼女の言う通り、それがこの暗号の鍵なのだろう。各人に割り振られたそれぞれの数字。ダイスケを含めた五人の中でタダヤスが最も大きい数で、逆に最も小さかったのはサエである。
画面を見ていたハヤテは、ふとあることが気になって訊ねる。
「あの、皆さん。自分の数字って、名前の書いてあった場所に書いてありますか?」
「ええと――はい、全員そうみたい」
ミツキの返事に、ハヤテはもしかして、と呟いた。
「名前が番号に置き換わったのって、何か意味があるんじゃないでしょうか?」
「……なるほど、一理あるかもしれない」
少しして、タダヤスが言った。
「名前の画数じゃないか? 名前が数字になるとは、そういう意味ではないだろうか」
「わたし、やってみます!」
と、ミツキが宣言する。しかし三十秒ほど待っても音沙汰が無かった。
「どうしたの、ミツキさん?」
「え、えっと……ユウジロウさんの名前の、漢字が分からなくって……」
そういえば。四人はアイハラ・ユウジロウという名前は知っていても、漢字でどう書くかまでは聞いていない。苗字は藍原なのか相原なのか、ユウジロウに至っては数多くのパターンがあり検証はほぼ不可能だ。
これでは入力のしようがない。ハヤテは首を捻る
「それによく考えたら、自分たちの名前の総画数では、自分の数字に届かないのではない?」サエが落胆の色を見せながら言う。「私の字――桑島冴では、26にしかならないわ」
ハヤテは言われた通りに試みようとして、止める。伊集院はやて、という名前の画数が三桁に届くはずがない。
「――ひょっとして、カタカナじゃ、ないですか……?」
不意にミツキが言った。
「カタカナ、といえば最初の画面には名前がカタカナで書いてあったな。だがそれでは、確実に画数が足らんぞ」
タダヤスの言う通りだ。イジュウインで16、ハヤテで7、これでは合計は23でしかない。
「あ……分かりました……!」
「本当? どうやって解いたの?」
ミツキは、催促されて不安そうに解説する。
「その……。わたしの名前でですけど、カタカナでの『ミツルギ』と『ミツキ』の、画数は13と9です。これを掛ければ、ちゃんと117になるんです」
自信のなさそうな口ぶりではあったが、誰もがなるほどと感心した。
「それなら確かに数値は正しくなるわね」
「カタカナの画数の積……じゃあ、名前の間の『・』は、掛ける記号だったんだ」
「方法が分かったなら、君が試してみてくれ。言い出しっぺの法則だな」
ミツキは暗号文を見直す。この考えでいけば求める数字は、アイハラ・ユウジロウ――8×16=128。
ポーン。
「できました、答えは、128です……!」
ハヤテも自ら計算し、ミスが無いことを確認してから入力した。
次々と響く正解のチャイムを聞きながら、この問題を協力することができて良かった、そうハヤテは考えていた。
もしこれが一問目と同じように互いを敵同士としていたら、自分一人では解答はおろかカタカナでの画数や『・』の意味といった過程までさえ至れなかったかもしれない。それに、他人を出し抜くために嘘の数字を教えて攪乱することも考えられる。それならなおのこと解読は不可能だ。
そして今回、間違いなくミツキの力に助けられた。そう、ハヤテは感じていた。
解答し終わったサエが、ミツキを労う。
「よくやったわ、ミツキさん」
「その……あの、皆さんの協力のお蔭です」
そして。
『では、第三問です』
再びMr.Vのご登場である。
【斬首を生業とする鬼の眼前に、百人の黄泉の民が集められた。
その一人が、鬼に懇願する。「どうか、首一つでお赦しください」
然し鬼は首を横に振り、声を荒らげる。「此れより呼ぶ者を斬首刑に処す
七十一番 十九番 七十七番 四十五番 六十九番 三十番 十三番 五十三番 二番 三十二番」
切り落とされた十の頭は、見せしめに並べられた。】
「また……来たわね」
げんなりしたように、サエは嘆息する。やはりMr.Vは、どうしても自分たちにサバイバルゲームをさせたいようだ。
「悪いが」と切り出したのは男の声――タダヤスである。「ここからはもうお前たちと協力などしない。お互い敵同士。誰が死のうと恨みっこなしだ」
悔しいが、認めざるを得ない。
「そうね……」
サエは密封された棺の中で一人、思考の渦に呑まれていた。
……私はこんなところで死にたくはない。ここから脱出したい。けれどそうすれば他の皆を殺すことになってしまう。それも嫌だ。
けれど本当は。ハヤテ君やタダヤスさん、ミツキさん、出来ることならユウジロウ君もダイスケ君も――誰一人犠牲になることなく、無事に帰りたかった。それは、不可能な願いなのかしら……?
このままいけば、生き残るのはただ一人。それ以外は皆、死ぬ。……もし生き残るなら、それは私なんかではなく、まだ若い二人のどちらかであるべき……。
――けど、私も生きたい。
何が暗号よ。サバイバルよ。何で私、こんなところに来てしまったんだろう。
いや、今考えるべきはそれじゃない。目の前の暗号を解かないと。でもそうすれば代わりに誰かが。どうしたらいいの……?
――そうだ。タダヤスさんに相談しよう。彼ならきっと、良い案を出してくれる。
「あの、タダヤスさん」
「何だ? ヒントならお断りだ」
画面を睨みながら応えたタダヤスは、態度とは裏腹に焦りを感じていた。理由は簡単、第三問出題から今までに、既に二度チャイムが鳴っているからだ。もっとも、その間ずっと深く考え込んでいたサエの耳には届いてはいないのだが。
「相談があるの」
タダヤスは続きを待つ間、暗号解読の手を休めざるを得なかった。
……早く解かなければ俺が死ぬ。この女、時間稼ぎのつもりか……!?
「ここで誰も死なず、全員が無事に元の場所に帰る方法、何かないかしら……?」
馬鹿を言え。そんなものは夢物語だと、何故まだ理解しようとしない。
「残念だが、俺には分からん」
だから俺は、自分が生き残るために暗号を解く。
「そうやって逃げないで、もっとちゃんと考えて! あなただって、自分も皆も生きられるなら、その方がいいでしょう!?」
いい加減にしろ。勝手に語りだすんじゃない。
「ああそうだな、それが理想だ。だが、現実にはそうはいかないんだ。俺は考えた末にそう思い至った。……サエさん、あんた自身はこの状況を打破しようと、考える以上に何かしたのか?」
言い返すと、彼女はそれきり突っかかってこなくなった。生憎、お喋りに付き合うほど暇じゃないんだ。
さて、続きを解こう。
この暗号は、おそらく二段構成。前半のくだりからキーを探し出し、鬼の呼んだ番号から別の文を引っ張り出すんだ。
……斬首、鬼の眼前、百人の黄泉の民、並べる、首一つ、声を荒らげる、見せしめに頭は並べられた。
このうち最後の『頭は並べられた』というのは、頭文字を並べて読む、ことを指しているのだろう。
では何の頭文字か。そのヒントは、必ず文に含まれているはず。
――そうか、百人一首だ。『百人の』『首一つ』。並びかえれば百人一首となる。
ならば百人一首のカルタの歌番号に沿って、上の句の頭文字を並べればいいのか。流石に百首の暗記をしているはずもなく、仕方なく装置の機能を用いることにして【百人一首表】と打ち込んだ。どうせ他の奴らもそうしているだろうから、ハンデにはならない。チャイムと共に画面いっぱいに百首の歌の情報が表示される。
面倒に思う気持ちは隅に追いやり、Mr.Vもとい鬼の読み上げたものと同番号の歌の頭文字を繋げる。しかし、
【ゆなせあああつなはや】
……これではだめ、か。
その時、立て続けに三度のチャイムが鳴り響く。もう猶予は残されていない。
百人一首が鍵であることは間違いない。足りない情報があるはず。そう考えて画面を食い入るように見つめる。そこには歌番号と歌、そして歌人名が。
歌人――詠み人、黄泉の人か! そう叫びかけたのを寸前で飲み込む。
各番号の歌を詠んだ歌人の頭文字、それを並べれば……!
その一分前。
サエのディスプレイには既に【ナラヤマ】と書かれていた。解読した文は【だいすけのみようじは】だ。小刻みに震える白い指はエンターキーに添えられている。これを押し込めば、サエはサバイバルを勝ち残れる。ミツキとハヤテは先に抜け、残るはタダヤスと二人だけなのだ。
冷血漢なら、躊躇わずに指に力を込めるだろう。だが、サエにはその踏ん切りが付かなかった。その状態が、二分は続いている。
自分が死ぬか、自分は生き残りタダヤスを殺すか。人間一人の命が、僅か指先数センチの裁量次第。そう思えば思うほど、サエの腕は引っ込んで行く。
……何でもいい、皆が助かる方法は無いの……?
どうしても、何を言われても、サエはその道を諦めることは出来なかった。
だからサエは入力した文字を綺麗に削除する。代わりに打ち込んだのは【皆出る方法】――今度は指先に迷いは無かった。
ポーン。表示されたのは望み通り全員が無事に脱出する方法。などではなく。
「嘘……でしょ……?」
【error】。サエの願いは儚く崩れ落ちる。心に残されたのはただ深い絶望のみ。残酷な事実を叩きつけられたサエは、涙を流していることさえ気付かない。もう何も、考えられない。
当然今の入力でサエはお手つき。他の誰かが答えるまで、操作は不可能。だが、タダヤスはこの時暗号文の正答を導き出しており。
――耳鳴りのような高い音が、サエが認識した最後の聴覚情報だった。
それから間髪入れずに、Mr.Vが暗号を読み上げる。
『では、第四問です』
【打拒窓究拒究窺偽搬付巫人富挫拒拒穿窘工搬打窃工揮】
「サエさん……」
「……本当に、皆が帰る方法は無いのかな……?」
二人はほぼ同時に呟く。
彼女が今際の際に苦しんだのかは知る術もないが、少なくともこれは良い死に方などでは絶対にない。彼女にも為すべきことがあり、またその帰りを待つ者がいたはずだ。
一つ暗号を解くたびに、このゲームに幾つもの理不尽を感じざるを得ない。
「ふん。お前ら、まだそんな生温いことを言ってるのか」
――ただ、一人はそうではないようだが。
「何度も何度も教えただろう、これは生存競争なんだよ! もう六人の内半分は死んだ。次はお前らのどちらかかもな。状況を考えてモノを言え!」
「タダヤスさん! あなたはさっきからそうです。サエさんの呼びかけにも応えようとせず、自分だけが生き残――」
「弱肉強食だ。それの何が悪い? 彼女は与えられたルールにわざわざ抗おうとして、解答を疎かにした。結果このザマだ」
「それは違います!」不意に大声を出したのはミツキであった。「サエさんは最後まで、全員が無事にここから脱出できる方法を探していたんですよ! あなたよりも早く暗号を解いて……それでも答えを入力しなかったんです!」
「ミツキ、さん……?」
「――ハッ! それが本当なら、とんだ甘ちゃんだったんだな、あの女! 俺にゃ一生理解できない感情だ」
もう、ハヤテは反論する気力さえ起きなかった。それはミツキも同様のようであり、二人は黙り込む。
「ふん。不毛な時間を過ごした。……さあ、二人のどっちが俺と戦うんだろうな? 楽しみにしておこう。ハハハハッ!」
笑い声が止んだ後も、時折タダヤスのいる方向から独り言が聞こえてくる。
そんな中で、ハヤテは暗号を見返した。
まるで中国語のように漢字だらけの文だ。ただし、雰囲気だけは理解できそうな中国語とは違って、意味が欠片も伝わってこない。漢字列の字には重複しているものも多い。それに、普段見ないような字も所々混じっている。
さらに注視していくと、簡単なものから画数の多い難しい字まで揃っているのに、使われている部首は五種類しかないことに気づいた。
……これはまた、五十音表の置換なのか?
その時、例のチャイムが耳に届く。タダヤスの焦ったような声から、入力したのはミツキなのだろう、と推測した。
もしもミツキが正解していて、続けてタダヤスが正解しようものなら、ハヤテはその瞬間に負けが確定する。途端に、鼓動が速くなった。
冷たい汗を大量に額に浮かべながら、ハヤテは文を解いていく。多分、部首は段――人偏ならイ段、ウ冠ならウ段、手偏ならオ段。穴冠はア段で工のある字はエ段なのだろう。そして旁の画数で行を決める。偏のみの字はあ行、旁が二画ならか行、といった具合に。
そういうようにして暗号を読み解いていく。……ハヤテの解法は正しかったようで、しっかりとした質問文が浮かび上がった。
【このはかのかんりをしているもののなまえをこたえろ】
その答えを打ち込もうとした瞬間だ。
「――ふ、くはははははは! 勝ち残るのは俺だ。絶対に、俺なんだよっ! ガキ共は俺が殺す。俺が生き残るための犠牲にしてやる!」
遂に、タダヤスの精神のたがが外れた。彼は冷静でいるように見えてその実、心の底にとてつもない量の恐怖の感情があった。それが死と隣り合わせの所に長時間晒されていたせいで膨れ上がり、理性さえ押し潰してしまったのだった。
大声で喚くタダヤス。ここまで来ると、逆に哀れでさえあった。その哀れな男は、そんな状態でなお、暗号を解いたようで。
「さあ解いたぞ! ほら、お前らもさっさと解いて、俺を早く帰せ!」
間違いなく、音も聞こえた。
ハヤテは、もう長く時間が残されていないと悟る。深呼吸をし、心を決める。そしてキーボードに指を滑らせた。
【見てるね?】
ハヤテの画面に映ったその文字に、ミツキは息を呑んだ。
……気づかれていた。他人の画面をずっと盗み見ていたことに。
ミツキの目の前のディスプレイは横一本縦二本の線で六つに分断されており、中列下段は合わせ鏡のように同じ画面が奥まで続いている。これがミツキのウインドウだ。続いてその上が既に正解したタダヤスのウインドウで、【Correct】と表示されている。【見てるね?】と書かれているのはミツキの右隣である。その他三画面分のスペースは、今は黒く塗りつぶされてしまっている。だが始めはここに六人分の明かりがあったことを、ミツキは忘れてはいない。
この装置は『解答』さえ調べなければ何でも見られる、そうMr.Vは紹介した。だからミツキは一問目の出題が始まって少しして、思いつきで【全員の画面】と入力した。入力順で言えばサエの解答の次だ。その結果がこの分割画面――言わばカンニングウインドウだ。ルール違反ギリギリの行為であることは間違いないが、許容範囲内だったようだ。
その時から既にミツキは、六人目の参加者・ダイスケの存在に気づいていた。更にダイスケが自決したときに入力した文字列が【答え】だったことも分かっていたし、サエが実はタダヤスより早くに暗号を解いていたことも、最後まで【皆出る方法】を探っていたことも全て知っていた。
ハヤテは、ミツキの言動の小さな違和感を拾い集めて、自分の画面が見られているという仮定に至った。だからこのような文を打ち込んだ。ちなみにこれはエンターキーを押していないため、お手つきではない。
ハヤテがメッセージを送った真意はこうだ。もしミツキが全員の画面を見ているという仮定が事実ならば、既にこの暗号の答えさえ手中にあるはず。仮定が間違っていれば、メッセージは空振りのまま、いつかミツキは自力で暗号を解くだろう。仮定が正しく、メッセージを無視されれば、すぐにも解答を入力される。ハヤテが望む最良の可能性は、ミツキがメッセージを受け取り、解答の手を休めてくれること。
タダヤスが鳴らしたチャイムとは別に、ミツキも何らかの文字を先に打ち込んでいることは明らかだ。その入力はカンニングをするためのものだ、とハヤテは踏んでいた。
声で伝えては意味がない。それではタダヤスにもバレてしまう。
……届いてくれ。
ハヤテはそう祈りながら、文字を消去して再び書き直す。
【聞いてくれ】
祈りは、届いていた。
ミツキは自分の手口が暴かれたことに驚き、解答を入力するという選択肢が頭から抜け落ちていた。もっとも、答えることがそのままハヤテの死に繋がってしまう今の状況で、さっさとハヤテを殺してしまえるような心をミツキは持ち合わせていなかったが。
ハヤテは何を伝えるつもりなのだろうか。ミツキの目は画面右下に釘付けだった。
やがて文字が消され、また書かれた。五文字という文字制限はあれど、その行為の繰り返しによって文章が出来上がる。
【僕はこれから、先に最後の暗号を見て解く。そして必ず君に教える。三分経ったら、僕のお手つきを解除してほしい】
捉えようによっては、他人を利用して先の暗号を解いてしまおうという極悪非道な輩に見えてしまうことを、ハヤテは自覚していた。もちろんこのメッセージがミツキに読まれている確証はない。それにこんな書き方をしては、疑心暗鬼になった人間なら誰も信じてなんてくれないだろう。
果たしてミツキはこれを読んでくれているのか、言うことを信じてくれるのか。答えは三分後に出る。
【頼みます】と伝えてから、【次の暗号】と入れて確定する。ポーンとチャイムが鳴る。すると。
【記
よくぞここまで生き残った
これが最後の暗号だ
目の前にあるキーボードに君の願いを入力して、
扉を開け。】
そう刻まれた石碑のようなものが画面一杯に映し出された。……ここから三分がタイムリミットだ。一見何の変哲もない文だが、しかしこれが最後の暗号なのだ。
まず注目すべきは後半部分か。四、五行目には句読点が付いていること、『君の願い』という人によって異なる大雑把な指定であること。後者はつまり、解答は自分たちが願いそうな内容である、という程度のことか。
だが前者は大きな鍵になりそうだ。前半部分では句点は付いていないのに改行している。逆に四、五行目は一文なのに二行に分けている。つまり、改行したことと句読点一字の存在のどちらも意味を持っているということ。
解答の文字数は前例に倣って五文字だろう。そしてこの暗号も五行。一行が一文字に対応する、と考えるのが妥当だ。句読点一字についてだが、これは文字数の調整と考えられる。一行内の文字数を一つ足さねば、解答文にならないのだろう。
ならばこの暗号は各行の文字数を数え、何らかの順序でのその番号の文字を拾っていく、という形なのだと考えた。
五十音順なら【あしけにお】、いろは順なら【いをりらほ】、アルファベット順なら【ALIVE】。
丁度その瞬間、ポーンとチャイムが鳴った。いつの間にか三分が経ったようだ。が、裏を返せばこれは、ミツキに願いは通じていた、ということだ。――この信頼に、応えなければならない。
外でタダヤスが「おいまだ解けねぇのか!? さっさと終わらせろ!」などと騒いでいても、ハヤテは頓着せずにメッセージを送る。
【最後の暗号の答えは『ALIVE』だ】
来た。信じてよかった……!
この三分間、もしもハヤテに騙されていたらどうしようなどとずっと考えていたが、今となっては疑ってしまった自分を殴りたい。
だがミツキはまだ不思議に思っていた。これはタダヤスの言葉を借りれば『生存競争』なのだ。解答を教えるなんて、敵に塩を送るどころか城を郵送するような行為だ。どうしてハヤテはそんなことをするのか――その答えは、本人が語ってくれた。
【全員が無事脱出できる方法があるなら、どんなことでもするつもりだった。例えば一人が犠牲になれば残りが助かると言われれば、僕は迷わずその一人になる。けど実際は逆、生きて出られるのは一人だけだった。ならば僕は君に力を貸したい。そう思ったんだ】
「でも……っ!」
心なしか視界が歪む。ミツキは思わず口に出してしまう。
自己を犠牲にして他人を助ける。それは並大抵の覚悟では決心できないことだ。命が掛かっているなら、尚更。しかしハヤテは自らが生き残るチャンスを丸投げしてまで、自分を生かそうとしてくれている。
……その決意を受け入れ生き残ることが、彼の恩に報いる唯一の方法。それは分かってる。けどわたしは、ハヤテくんを――殺すことなんてできない。
……そんなことはできない。そう、彼女は思ってくれているのだろうか。いや、流石にそれはないかな。
虫が良すぎる自分の考えが逆に可笑しくて、ハヤテは一人苦笑した。
だがもしもその妄想が本当だったら、ミツキはきっと答えを教えても頑なに入力を拒否するだろう。ミツキが迷わず先へ進めるように、ハヤテは一つの手段をとる。
【答えは覚えてるね? じゃあ、頑張って】応援の気持ちを伝えてから、【いってくれ】
これがきっとダイイングメッセージになるんだろうな、などとハヤテは気楽に考えていた。その心の中は死の恐怖で一杯だというのに。
【解答】
……さあ来い。今回の贄は僕だ。
エンターキーを押し込み、ハヤテは鐘の音で死神を呼び寄せた。
目を閉じても瞼の裏まで浸透する白い光は不思議と温かく、恐怖も少しは和らいだ。楽に苦しまず死ねるなら、まあいいや。
眠気の嵐が一気に押し寄せて、ハヤテの意識は一瞬で消し飛んだ。最期の時に思い浮かべていたのは。
……どうか生き残ってくれ、ミツキ――。
そして、ミツキのディスプレイの右下から、光が消え失せた。反則者の粛清だった。これで否応なく、ミツキは解答を入力せざるを得なくなった。
ハヤテに対する様々な気持ちが心の中で対流し混ざり合い、自身にさえ訳がわからなくなる。しかしその内のかろうじて理解できる一つは、『必ず、生きてこの先へ進もう』。
【Mr.V】
ミツキが四問目の答えを打ち込んでから間を開けずに、管理人の機械音声が告げた。
『では、最終問題です』
すると、ガコンと石同士が擦れる音が、うつ伏せのミツキの背後から発せられた。固く封じられていた石棺の蓋には隙間が開いており、そこから何やら薄明かりが差している。
ミツキはハヤテの言葉全てを胸に刻みつけ、蓋をずらしてゆっくり立ち上がる。そうして当たりを見回すと、なるほどその空間は『墓』に相応しい静謐な雰囲気に包まれていた。天井は見えないほど高く、周囲の壁には不思議なレリーフと火の灯った蝋燭が。脱出口と思われる扉は、ミツキの右手側にある。
そしてもっともミツキの目を引いたのは、合計で六つ、円形に並べられた棺であった。そのうちミツキの両隣二つずつの蓋はぴったりと閉じられたままだ。が、丁度対角線の位置にある棺には、立っている人の姿が認められた。中年とそろそろ呼べそうな年頃の着崩れたスーツ姿の男性――タダヤスだ。
タダヤスの胴には、物々しい鉄の拘束具が装着されている。そこから伸びる鉄鎖は棺の中に吸い込まれていて終わりが見えない。視線を落とすと自分の腹にも同じ輪っかが付いていることにミツキは気付く。おそらくは犬のリードのようなもので、ケージから出された開放感のままにはしゃぐことを許さぬためであろう。
観察が一通り終わった頃に、Mr.Vのアナウンスが入る。
『この部屋にある扉に、最後の暗号文が書いてあります。備え付けられているキーボードに答えを入力してください。正解者のみが、扉の先へ進めます。……それでは、これにて失礼します』
ブチ、とマイクを切断したような音がして、それきりMr.Vの声が聞こえることは無かった。
反響が収まり、ミツキとタダヤスは顔を見合わせた。次の瞬間、同時に壁に向かって走り出す。じゃらじゃらと鎖を鳴らして、十メートル四方程度の密室を二人が駆ける。
鋼鉄の扉の両端に、石版とキーボードが二組用意されていた。ミツキはその前で立ち止まり、恐る恐る石版の暗号を読んだ。
――同じだった。それは一字一句違わず、ハヤテが見せてくれた文だった。
ミツキは思わず背後を振り返り、そして棺のうち一つを見つめた。ハヤテの棺のはずのものだ。我が身を顧みず自分を生かしてくれたハヤテは、もういない。石の箱は棺桶としての本来の役割を静かに果たしている。そう思うと、自然に目の奥から熱いものが込み上げてくる。
一方のタダヤスは、狂ったように独りごちたり笑ったりしながら、キーボードに手を添えている。
「ハハハハハハッ! これで、やっと外に出られる! 俺の願い……そんなものはとうに決まっている! 俺は、ここから【脱出したい】!」
チャイムが響く。だが扉は、うんともすんとも言いはしなかった。
「どういうことだよ……何故だ! おい! 開けっ!」
閉ざされた扉を幾度も拳で叩きながら、先程までとは打って変わって泣き崩れる男が一人、そこにいた。一騎打ちである今の状況でのお手つきは、文字通り致命的な痛手となる。
それを一瞥してミツキは、キーボードに向き直る。そして一つ一つ確実に、文字を打ち込んでいく。
A。
「おい、止めろ。その指を止めろ!」
L。
「まさかお前、答えが分かっているんじゃないだろうな……? ふざけるな、生きてここから出るのは俺なんだ」
I。
「俺は選ばれた人間だ。こんな所で死ぬはずがない!」
目の前の人間を殺して自分だけ生き残る、それはミツキには耐え難いほど苦しい決断だ。しかし、これほどまでに生に執着するタダヤスを見ていると、自分もやはり人間で、生きたいという欲を持っているのだと自覚させられる。
『弱肉強食』なんて言葉は、強者が弱者の命を奪うことの免罪符として振りかざしているだけだ。……ミツキはこの時、『強者』になることを望んだ。
V。
「止めろぉ……!」
E。
その瞬間だ。タダヤスは勢いよく立ち上がり、ミツキに肉薄する。
「――生き残るのは俺だぁぁぁぁっ!」
もう迷う暇は無かった。ミツキは無心にエンターキーを押し込んだ。
それが決定打となった。ポーンという電子音と同時に閉ざされていた扉が埃を舞いあげつつ左右に開いていく。
「ふざけるな、ふざけるなっ!」
だが、両腕を振り上げたタダヤスがもうすぐそこまで迫っている。ミツキはヒッと喉の奥で小さな悲鳴を上げ、一歩退く。タダヤスの腕が空を切ったのは、今さっきまで立っていたその場所だった。
不自然に、タダヤスの動きがぴたっと止まる。
「う、ぐぅっ……」
それは腹の底から空気が無理矢理押し出されたような呻き。それもそのはず、タダヤスの拘束具は腹に深く食い込んでいた。どれだけ暴れても、鎖はもう伸びない。完全に張りきっていた。
我武者羅に振り回される腕や足に当たらぬよう、ミツキは更に後ずさる。
数秒の後、鎖がじゃりじゃりと擦れる音がしだした。音が大きくなるに従って、タダヤスは背後――棺に向かって引っ張られていく。強く踏ん張っても、靴は虚しく滑る。
「ぐ、くっ……ぎぃ……っ!」
遂にタダヤスは耐え切れずに転倒する。そこからはまるで掃除機のプラグコードのように猛スピードで引きずられ、成す術なく石棺に吸い込まれた。
そうして蓋がひとりでに閉まったあと、悲鳴さえも聞こえることはなかった。
静寂。部屋にはミツキ一人が残された。
呆然と一部始終を見ていたミツキはしかし、過ぎたことをとやかく考えることはしなかった。並べられた五つの棺、中にあるのは屍か。失われた命は帰ってはこない。ならば今更悲しんでも後悔しても、それは意味のない行為なのだ。
明かりのない、深い闇に包まれた扉の先に踏み出すと、すぐに上へと続く階段があった。一段一段、踏み外さぬように上っていく。
互いの顔すら知らない六人の中で、唯一自分だけが生き残った。全員が帰ることが出来るハッピーエンドは用意されていなかったから。誰か一人が生還できるだけでも、全滅よりはマシかもしれないが。……その一人になったからには、これからは全員の命の重さを感じながら生きていかなくてはならない。
そんなことを考えて長く単調な階段を上っていたミツキの目の前に、石製の扉が現れた。外は夜なのだろうか、全く光は見えない。だが、向こう側から人の気配を感じる。
ミツキは頬が勝手に綻んだのを感じた。やっと。
「やっと……助かった……!」
よろよろと扉に手を掛けて、そして一気に開け放った――。
『皆さん、お揃いですわね?』
……眩しい。ここは、どこだろう。
はやてが目覚めたのは、燦々と降り注ぐ太陽の光の所業であった。
瞳孔の調整を終えてから、周囲を見渡す。それはどう見ても外の世界、塾帰りに立ち寄った見慣れた実家近くの公園だ。
「……夢……?」
あの出来事全てが? もしそうなら、とんでもない悪夢もあったもんだ。一体どんな精神状況なら、あんな奇怪な夢を見られると言うのだろうか。はやては我ながら恐ろしくなった。
風が一陣吹く。それでベンチの脇に置いてあったジュースの空き缶が倒れ、小気味よい音を立てて地面にぶつかって転がる。
その音を耳にした時、もう一つの可能性が頭を掠める。あの『墓』での記憶、それが紛れもない現実であり事実だとしたら。脱落した自分は外に出られた。
となると。
「ミツキ――」
墓の先へと進んで行ったであろう顔も知らぬ人を案じて見上げた空は平凡で、しかし雲一つない鮮やかな青色をしていた。
Ms.Uを名乗る女性風の機械音声が谺する。
『では第一問』
ミツキは顔を見上げた。だがそこは、暗く狭い箱の天井でしかなかった。
ここに至ってミツキは、この『墓』の仕組みをようやく悟る。
還っていった五人の言葉が、次々に浮かんでは消えていく。
ミツキはキーボードに【全員の画面】と入れ、聞き飽きたチャイムをまた耳にした。画面には七つのウインドウが浮かび上がる。
そして目を閉じ、小さく、本当に小さく呟く。
「ハヤテくん、わたし――いくよ」
読んでくださってありがとうございました
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