姉と9年目の彼氏。
『私と9年目の彼氏。』『俺と9年目の彼女。』、弟視点。
俺の名前は霞、姉の百合と常に比較され名前の通り「霞」んでしまうような存在で、花束で主役を張るユリの花の引き立て役にしかならないカスミソウのような人間だった。現在進行形で。
俺は誕生日を祝ってもらったことがない。出産のときは早産で慌ただしかった上、早熟な姉の初めての掴まり立ちと重なってしまったのだ。俺の出産ビデオは姉の成長記録にシフトしていた。一歳の誕生日は姉の風邪に、二歳の誕生日は交通事故に潰され、三歳の誕生日は自ら階段から落ちたとのこと。この頃、まともに構われない俺を母方の叔父が哀れみ、四歳の誕生日からは母の実家で両親なし、姉なしでの誕生日会となった。
姉は、自分が一番でないと嫌なのだ。その傾向は今でも強い。家に入り浸る友人に気のない振りをして、実際は自分に好意を抱かせたいのだ。男に興味がないと言いながら、「興味がないのに勝手に相手が好意をもつ状況」に浸りたくて、「何もしてないのにモテる自分」が好きなのだ。友人の祐樹に興味がないと言いながらも警戒心なんてありませんよ、ってポーズで祐樹に接する。
馬鹿な祐樹は気づいていないけれど、姉は楽しんでいる。「好意に気付かない鈍感な女の子」が「年下のイケメンをドキドキさせる」というシチュエーションで遊んでいるのだ。
ある日、俺はふと馬鹿な興味を持った。
男同士って、気持ちいいのだろうか。
「……あのさぁ、俺と寝てみない?」
「………………は?」
対戦中だった祐樹のキャラは、あっさり俺の操作するキャラに吹っ飛ばされた。
手近な男、祐樹を誘って試したが、結果は散々たるもので。世の中のゲイは凄いなぁと感心したものだ。いや、俺たちが初心者だから快感を得られなかっただけではないかのか?回数を重ねればどうなるんだろうか。
そんなくだらない興味から始まった所謂「セフレ」関係だったが、行為回数が片手を超える頃には互いに慣れてきたことや、同性ゆえ快感を得るポイントを熟知していることもあり、俺は世間のゲイに理解を示し始めていた。男同士でも満足が得られるのだ。生産性を求めなければ問題なかろう。
何より妊娠のリスクがない。祐樹も俺も互いが初体験のため性病もない。
身体的相性を除いても気が合う友人だと思ってる。祐樹が我が家に入り浸りのため、この関係はなかなか都合がよく。祐樹のもきっとそう考えているだろう。何せ、姉と付き合い始めても未だに俺との関係を続けているのだから恐れ入る。いやはや、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、大馬鹿だと認識を改めた。彼女とはキスすらできない奥手のくせに、その弟とは爛れた関係を続けている。ばれたときのリスクが大きすぎる関係だ。……二人がどうなろうと、俺の知ったことじゃない。
「あんたさ、いい加減働きなよ」
「うっせー」
リビングでビールを飲んでいたら、休日の姉は蔑みの視線を寄越した。このダメニートが、と目が語っている。
「大学出てからもう二年じゃん、いい加減働けよ。たまに出かけたら喫茶店とか本屋だし」
働いているさ、魂削って。
この愚姉は知らないが、俺の職業は小説家だ。大ヒットではないがそこそこ売れていて、収入は腰掛けOLの姉の倍は下らない。……労働時間もハンパじゃないけれど。たまに出かけるのは編集者と打ち合わせしているからで、本屋へは自分の本の売れ行きを確認しに行ってる。
姉は俺が原案を提供したサスペンスの後番組の、さして笑えないバラエティーを見ながらげらげら馬鹿笑いしている。これのどこがいいんだか、祐樹の嗜好がハイレベルすぎて理解できずに眉根を寄せると、愚姉は急に黙り込み、「アンニュイな私」を演出した後、ぽつりと漏らしたのだ。
「私もこのまま祐樹と結婚すんのかなー……」
あまりの衝撃に、俺は持っていたビールをグラスごと落としかけた。寸でのところで空中キャッチ、だが中身は姉の右手に、バシャっとかかる。
「ひゃあっ!!何すんの?!最悪っ、さっきお風呂入ったばっか、」
「どっちが最悪だよ!!」
「うわっ!」
俺は空のコップを床に投げる。
「危ないじゃない!」
「ふざけんな!!何が結婚だよ!」
「なっ!」
なぜだ!
なぜガタイの良いウエディングドレスの花嫁が、花婿衣装の相方に頭を叩かれている今、そんなことを考えた!いや似合わないドレス芸人のほうが姉より女子力高いだろうがな!
給料を高い靴やネイルに注ぎ込む姉に、他に使えよ、と毎月忠告している俺だ。長い爪からわかるように料理もしないし、自分の部屋の掃除すらできない。自分を高めることもせず休日はテレビにかじりつく姉が結婚?
姉がこんな有様だから、担当編集者に「先生の書く男は実在しそうなくらいリアリティがあるのに、女はまさに『キャラクター』ですよね」とか言われるんだ!
我に返ると、姉が真っ赤な顔にしている。目は釣り上がり、鼻の穴はピクピク膨らみ、唇は歪みきってひび割れていた。まさに「女」を捨てた形相だ。
ふと、職業病が顔を出した。
これ、ネタにならないか?
「あんた……っ」
「姉貴なんか、祐樹と俺が付き合ってるのごまかすためにいるだけのくせに!」
「……は、」
案の定、姉は思考停止していた。その上に畳み掛ける。うむ、我ながら名演技だ。固まった姉を放置し自宅に戻る。
さあ、俺に飯の種を提供しろ。
事の顛末はあまりにも詰まらなく、俺は頭を抱えた。明後日は編集者との打ち合わせなのに、アテが外れてしまい、肩を落とした。
祐樹は馬鹿を通り越して天才じゃなかろうか。ロックくらいしろ。むしろ何故削除しない。我ながらいかがわしい写メは、客観性を確認するために祐樹のスマートフォンで撮っただけだ(俺の携帯はガラパゴスに進化する前のもので、中学時代から絶賛愛用中の旧型なのだ)。パソコンに送った後は好きにしろと伝えたはずなのだが。
ハートマークだらけのメールは冗談で始めた書き方が習慣になっただけで双方他意はないのだから、否定しろ。
『じゃあね、精々野垂れ死ね』
三文芝居でもまだましだろう、と批評しつつ盗聴器のスイッチを切った。資料にならない二人に的外れな怒りを覚えたがどうしようもないことだ。編集者には何と謝れば効果的だろうかと頭をフル回転させながらヘッドフォンを段ボールに放り込み、ガムテープで封をする。
明日、俺は家を出る。
姉は俺が勘当されたと推測したようだが、実際は母方の叔父の養子になるのだ。叔父夫婦には子供がおらず、昔から俺を息子のように可愛がってくれた。養子の申し出には即答し、年甲斐もなく浮かれた。
そのとき、同席していた両親に聞いた。
『俺のこと、一度でも姉貴と同じくらい可愛いと思ったことある?』
『何を言うんだ!?』
父親が声を荒げた。ダウト。誕生日もクリスマスも全て叔父夫婦からしかプレゼントはなく、参観日は姉優先、成長ビデオすらまともにない現状で、何を言うのだろう。
荷造りが終わったがらんどうの自室で、膝を抱えた。
俺は、両親に愛される姉に成りたかった。
真実は薮の中。
思い出を都合よく改変しているだけ、勘違い、思い込み、すれ違い。
お好きに解釈してください。