いつからか、うさぎ。
「なっ、なんなんなん、なんなんなんでおまっ……!?」
「ヒデとりあえず落ち着け」
眼前のうさぎさんことニーは、ふんぞり返ってこちらを見つめていた。その瞳は、可愛らしい小動物にしか見えず、無性に腹が立ってくる。とりあえず、深呼吸をして自分を落ち着かせ、ニーをじろりと見下ろした。
「ニー、学校に来ないって言ったよな?」
そう、奴は確かに入学式前に興味がないと、切って捨てたのだ。
「興味がないのは、入学式だ。学校に来ないとは一言も言っていない」
記憶を洗い漁ると、確かにニーのいった通りであった。あの日の自分を三回くらい殴りたい。
「野球はこの前やったしな。サッカーはまだ今回やったことないんだ」
学校に来た動機は掴めた。サッカーだ。仮入部のサッカーに乱入してくる算段なのだ。素性を隠すという目的はどこへやら。
「お前、今さっき学校にきたのか?」
「いいや? お前が家を出てからすぐ追跡したぞ。私は場所が分からんからな」
七時間前の自分を殺したい。何故、周囲にもっと気を配らなかった自分。
「その間、あまり目立ってはいけないからな。薄汚いウサギ小屋で我慢してやった。」
ふと前方のウサギ小屋を覗きこむと、四匹のウサギがこちらを見ていた。この中学では、二組の夫婦がいる。白い花子と黒い太郎。茶色のミカと黒白のカイ。そのうち、花子とミカは目を潤ませてこちらを見つめ、太郎とカイは威嚇していた。
「…………」
「朝から刺激的な運動を学校でしてしまったことに対しては少し反省しているがな」
在学中、飼育委員になるのは避けた方がいいだろう。下手したらニーへの恨みで雄ウサギに攻撃される恐れがある。
「まったくブスを悦ばせただけなのに、騒がしいたらありゃしない」
ニーの言葉が分かるのか、雄ウサギはそりゃあもう騒ぎ立てた。ウサギ小屋のフェンスを突き破る勢いである。
「……ニー」
「ん?」
奴の存在が学校にバレたらカオスになる。この先の学校生活を白い目でみられるかもしれない。浮いてしまうかもしれない。というか、人生さえ滅茶苦茶にされるかもしれない。俺はは恥を捨てて地面に頭をつけた。
「頼むから、でてこないでくれっ! サッカーなら今度付き合うから学校で存在を暴露しないでくれっ」
きょとんとしているニーを抱え、すぐそこの木の裏に隠した。
「二時間で戻ってくるから静かに待っててくれ」
そして、俺はシュンと仮入部に向かった。この後、俺の必死の土下座は水泡に帰すというのは、言わずもがなだった。
「今日は新入生対在校生で交流戦を行う」
サッカー部部長の言葉で皆顔を見合せ、喜んだ。初日、二日目あたりは基礎練ばかりで、ろくに、ボールに、触らせてもらえなかったらしい。勿論、俺とて基礎練よりか嬉しいが、皆のようには素直に喜べなかった。ニーという大きな気がかりがあるからだ。あのサッカーの日と、同じように奴が闖入してくることは十二分にある。それを考えるとハラハラしていてもたってもいられない。それは、交流戦が始まってからも変わらなかった。
前半を折り返して、5対1という圧倒的力の差に周りは皆呻いている中、一人だけうさぎのことで頭いっぱいになっていた。
ニーが学校のなかを探索していないかとかニーが先生に見つかってないかとかましてやニーがジャンピングキックスーパーをかましてないかとか。こんなことなら体調不良とか抜かしてそのまま直帰すればよかった。
「……気持ちは分かるが、もう少しサッカーにも集中しろよ 」
「他人事だと思ってお前は……」
シュンは親友の危機より眼前の試合が大事らしい。畜生と心中で悪態をついたところで、ハーフタイムは終わった。
後半になってくると次第に熱が入り、ニーのことを考えている余裕がなくなってきた。今まで騒ぎがなかったんだ。だから、今更どうということはないだろう。後付けのように、今を忘れるための言い訳が脳裏に浮かんだ。
必死になってボールにくらいつくが、上級生のボールさばきには翻弄されるばかりだ。そして、見事ボールをとろうとた俺を上級生がかわしたとき、奴が現れたのだ。
いつのまにグラウンドにはいってきたのかわからない。しかし、気がつくとボールはニーの手中にあった。
「……な、なに!?」
どや顔でボールを運んでいたエースの先輩が驚いてボールを目で追うと……、固まった。まぁ、実際そうだろう。何故ここにうさぎがいるのか。何故うさぎが自分からボールをとれたのか。疑問は尽きることはない。
グラウンド中の人間が硬直しているなか、ニーは優雅にボールを運び、見事な曲線を描き、華麗なシュートを決めた。
「青臭いな、餓鬼共。その程度か?」
ニーがしてやったりと口のはしをあげると、ピクリと上級生は反応した。
「ふふ。さっきの油断していただけだ。今こそ本当の力を見せてやる……!!」
煽られた部長が厨二ぽい台詞を吐くと、なぜか上級生一同それに賛同して、プレーを続行した。ついていけないのは新入生のほうである。
四人でニーを囲み、ボールをとろうと奮闘するが、なニーは見事なハットトリックを決め、追加点。
「可愛い外見とは裏腹に中々やるな」
「貴様らが甘いだけだ。その程度の実力で渡に勝てると思うな」
後のことはよく覚えていない。ウサギvs11人の上級生の試合は何故か盛り上がり、呆然としていた下級生達もいつの間にかウサギの応援にまわっていた。俺はただただその試合の行方を見守るしかなく、シュンは俺の肩を叩いた。
最早なぜこの場にウサギがいるのかとかそういう疑問は誰もが口にせず、妙なテンションがこの場を包んでいた。
「……なんで、ウサギがいるんですか」
皆が正気に戻ったのは、部室掃除をしていた第三者ことサッカー部マネージャーが帰ってきてからだ。マネージャーは青ざめた顔でこちらを見ていた。それはそうだろう。交流試合の相手がいつの間にかvsウサギに代わり、異様に皆テンションが高いのだから。自分がおかしくなったのではないかと思うだろう。実際、このテンションについていけない俺のほうが狂っているのではないかと疑いはじめている。
部長は真顔でニーを見つめた。それから数十秒、彼は清々しい顔で息をついた。
「まだまだぁ!! 勝負はここからだぁ!」
ま、さ、か、の現実逃避キター!! ウサギだという事実から目をそらしてサッカー続行。マネージャーは、失神寸前である。俺も気絶してしまいたい。目が覚めたら、夢であったみたいな。しかし、異常事態に慣れすぎた精神はそれをゆるしてはくれなかった。
「いい試合ができた。礼を言う。」
「まだまだだが、伸び代はある。十分励め」
最後は部長の右手とニーの右前足の握手である。周りの部員は感動の大号泣だ。何に感動しているのかさっぱり理解できない俺はどうすればいいのかわからない。
後日、ウサギの飼い主(ニーが聞いたら怒られそうだな)だとバレた俺は、部長手づから熱心な勧誘を受けた。反抗したものの、結果として押し負けた俺はやはり根性がないのかもしれない。