何故に、うさぎ。
一言で言おう、奴は謎だ。
うさぎだけど、うさぎではない。宇宙人だけど、宇宙人ではない。
性別はどうやら男のようだ。
年齢はよくわからないが、成人はしていそうだ。奴のホシにおける成人が何歳からかはわからないが。
更には傍若無人。
データはこんなもんか。
奴が“うさぎの姿をした宇宙人”なのか、“宇宙人がうさぎの姿をしている”のかちっとも判別がつかない。
そんな奇妙な生物と始まった奇妙な同居生活。目下の悩みはやはりニーのことであったりする――。
「いいじゃない、中々男前よ」
母がにこやかに微笑んだ。
鏡に映るのは、黒い学ランの俺。着てるというか制服に着られてる感がハンパない。小学生の背伸び、みたいな感じにしか見えない。
「うーん、どうだろ」
「平気平気。部活始めたらタケノコみたいにグングン伸びるんだから、少しくらい丈が長くても大丈夫よ」
実の息子に対して、比喩にタケノコを使うのはやめてもらいたい。地味に傷付く。
鏡に映った俺とにらめっこしていると、母が時計を見上げて焦ったように声を上げた。
「あらもうこんな時間。和義さんのお迎えにいかなきゃ。秀徳はもう寝てなさいね」
和義は俺の父である。都内の会社で働く父を最寄りの駅前で送迎するのが母の日課だ。以前それに付き合ったときは、ウンザリとしてしまった。その理由はというと……、
『千里、行ってくるよ』
『和義さん……、もう行ってしまうの?』
『運命は残酷だな、これだけ愛し合ってる二人を引き離すのだから』
『そんな……』
『すぐ帰ってくるよ、君のために』
『待ってる、いつまででも……』
――を毎朝繰り返す。新婚時代から18年間飽きずに行われる一種の儀式である。どっかの安い昼ドラみたいな茶番だ。ちなみに彼らの息子である俺は、一回で辟易したが。
まだ遅いとはいえない時間――九時に寝ろというのもわけがある。彼らが帰宅して、父が夕飯を食べ終わると、お風呂に入る。誰がというと、二人である。ウフフアハハが終わると、二人揃って寝室に入る。聞き耳は立てない方が身のためだ。大概いかがわしい行為をしている。
これを小学生低学年から知った俺の心中の葛藤は誰にも理解されないだろう。子供の成長にすこぶる悪影響だ。
やれやれと溜め息をつきながら、二階にある自分の部屋に上がる。明日はついに入学式だ。心労を癒すため、さっさと寝るか。
そう思い、扉を開けて出迎えたのは盛大な笑い声だった。
「アーハッハッハッ、ハハハハハハ、アーハッハッハッ!」
「……うるさい」
腹をよじりながら笑い転げるうさぎをじろりと睨むが、まったく効果なし。仕方なく諦めて椅子に座る。
「分かっちゃいたが、本当に似合わないな。着られてる感丸出し」
知ってるわ、んなこと! 本人に自覚があるんだから、放って置いてくれ!
俺は怒鳴り散らしたくなる衝動を抑え、学ランを脱ぎ、ハンガーにかけた。明日に備えて試しに着てみたはいいが、こうまでがっかりするとは思わなかった。
「まぁ、お前も成長期だ。じきに伸びる。気にするな」
……なんだろう、励ましの言葉をもらっているのに、これっぽっちも有り難みが湧いてこない。仁王立ちで勝ち誇るような言い方じゃなくなればまだましなのに。
ムッとしながら床に布団を引き、その上にドカンと座った。(ベッドはニーに占領されたので、渋々)
「明日入学式かぁ」
「緊張するのか?」
これが心配の声音だったらどんなに良かったことか。明らかに小馬鹿にしている声だ。
俺はニーの言葉はスルーし、精一杯の真面目な顔をした。
「ニー、俺明日中学の入学式なんだ」
「知ってる」
ここで最近の俺の悩みを話し、その対処法をニーに理解してもらわなければ後に色々困ったことになる。
「中学ではニーは入ってこれないし、これたとしても責任は俺に降りかかる。だから、中学には一切関わ……ヘブッ」
・ニーのこうげき! ラビットヘッドアタック!
・ノリスケに80のダメージ!
・ノリスケはフラフラしている!
――いやいやどこぞのRPG風に解説している場合じゃなくて。話し中の暴力ヨクナイ絶対。いや、話し中じゃなくても遠慮したいけれども。
「お前私を馬鹿にしているだろ」
馬鹿にしてるのは、俺じゃなくてニーだと思うな!
「私はお前の中学の入学式なんて微塵も興味ない。何故にガキ共の今後の抱負や晴れ晴れしい入退場を見物せにゃいかんのだ」
「え、マジで?」
平穏な学校生活が確定した!?
ついこの前まで『中学ってどんな感じかな』って平凡な緊張と不安を持ち合わしていたのに、先日の未確認飛行物体墜落事故のせいで『ニーが中学に乱入してきたらどうしよう』とか『そのせいで先生の覚えが悪くなったらどうしよう』とかありきたりじゃない悩みがあったのだ。それが思い過ごしと分かって心底安心した。
今初めてニーに感謝した。ニーが原因で感謝せねばならないというのは悲しいが。
そうと分かったらさっさと寝るに限る。電気を消して、布団に潜り込む。
そして、つい口を滑らせてしまったのだ。
「良かったよ、ニーがそこまで幼稚じゃなくて」
「……あぁん?」
あ、やべ。
ほっとしたついでに普段の鬱憤まじりの愚痴が。
ニーのバックグラウンドに禍々しい何かが一気に吹き上げた。普段理不尽なことでさえキレるニーは、自身が侮辱されると更に怒りのボルテージが上がるらしい。本日身を持って知った。
「ノリスケのくせに生意気なっ!」
「げふっ」
・ニーのこうげき! ラビットキックスーパー!
・ノリスケに280のダメージ!
・ノリスケはたおれた!
GAME OVER…
腹部の鋭い痛みに意識をもっていかれる。
意識が途切れる前、ニーの憤然とした般若のような顔に僅かに羨望の眼差しが宿った。
「学生とは羨ましいものだな。懐かしい……」
ニーにも学生時代があったんだなぁ……と思いながら目の前が真っ暗になった。
――ちなみに、平穏な学校生活は訪れなかった。
ニーに細かく釘を刺しておかなかったことに後悔しているが、後の祭りだ。