第九話 なんで僕が!
なんだって僕が、本家の奴なんかに挨拶しなきゃいけないんだ。
確かに今こそは傍系なんていう地位に甘んじているけど、本来なら僕の家がファタの名を継ぎ、本家となるはずだったのに。
母様もよく言っていた。
「我々にスペルビアなどという新しい家名はおかしい」「本来は、古来より続くファタの名を持つはずだった」と。
そうだ。本当なら僕が挨拶に出向くんじゃなく、あっちが僕の下へ来るべきだ!
そう言って馬車から降りれば、従僕は苦笑いを浮かべて僕の後ろを着いてきた。
……なんで肯定しないんだ!
□■
ファタ嬢の元から離れると、従僕がクドい説教を垂れ流し始めた。
「坊ちゃん。人様に指を向けてはならぬと、何度も言ったでしょう」
「……うるさい」
「口の聞き方もいけません。ファタ様の不興を買ったらどうなさるおつもりです」
「うるさい! 知るか!」
「ああ、もう。本当に肝が冷えましたよ」
こいつは僕のスペルビア家に仕えている癖に、やたらとファタ家の肩を持つ。それに僕の行動にいちいち口を出してくる。小心者のくせに、厄介な奴だ。
町の商店通りを抜けて、待たせてあった馬車へと近づく。
「あ、坊ちゃん!」
「今度はなんだ!」
従僕の声に怒鳴り返すと、そいつは視線で馬車の横を見るよう促した。
「なっ! お前は……!」
「先ほど振りです。フレデリック男爵」
そこには、ファタ嬢の侍女がいた。
「なんでここに、お前が!」
「忠告にございます、フレデリック男爵。……ただ、今回は侍女ではなく、エミリア様を慕う者として訪れました」
侍女が礼をすると、従僕も礼を返した。こんな奴に礼なんかするな!
従僕を睨めば、いつもの苦笑いが返ってくる。ふん!
「ここでは何ですから、どうぞ馬車の中へ」
「おい! 勝手に乗せるな!」
「ありがとうございます」
「おい! お前も乗るんじゃない! おいってば! くそ、侍女ごときのくせに!」
──フレデリック様!
慌てた小声で、従僕が僕を諌めた。知るかと言っているだろう!
侍女は僕と従僕を冷たい瞳で射抜いて、苦い顔をすると口を開いた。肉の付いていない、貧相な口だ。
「……貴方の命が続いているのは、あの御方が存在するからです。そして、傍系の貴方が、いくらあの御方の命を狙おうとも、たとえ奪ったとしても。直系にはなりえません」
奪わせなどしませんけれど。そう言って、あいつの侍女は、ふてぶてしく笑った。
「……そのこと、努々お間違えなきよう」
それだけ言い捨てると、侍女はスカートを翻して去っていった。
いつの間にか震えていた足を叱咤する。あんな、ただの女に、この僕が怯えるなんて!
「なんなんだ、一体……!」
僕はファタ嬢の命を狙ってなどいないというのに。
今日会ったのが初めてなのだ。その存在も、今日知った。苛立ちこそしたけれど、死んでしまえと思うほどではなかった。
なのに、あの侍女の口振りでは、まるで僕がファタ嬢の死を望んで、刺客でも仕向けているようだった。
──冗談じゃない! そんな卑怯なこと、スペルビア家の名に誓ってしないと言える。そんなのは僕のポリシーに反する。
がち、と親指の爪を噛んだ。従僕が口から指を外させる。
どうすれば良い。なにをすれば良い。僕じゃない。誓って違う。それを証明するには?
「……おい、エリック!」
「はっ」
久しぶりに従僕の名を呼んだ。エリックは一瞬顔を綻ばせる。……僕に名を呼ばれたくらいで喜ぶな、馬鹿が。
「ファタ嬢の命を狙っている無礼な黒幕を、突き止めろ」
「──はっ」
胸に拳を当て、エリックは頷いた。
肝こそ小さいが、やつは落ち着きさえすれば群を抜いて優秀だ。じきに黒幕を突き止めるだろう。
今に見ていろ、あの侍女め。
僕を疑ったことを後悔させてやる。
悔しがるだろうあの女のことを考えるだけで笑いが止まらなかった。