第八話 はとこですから!
早速多めに作ったサンドウィッチのバスケットを抱えて、私はよろよろと歩いていた。
途中何度もメルが手伝おうとしたけれど、断った。どうしても自分で運びたかったのだ。
昨日と同じ時間の同じ場所に、やはり騎士様はいた。これはもう運云々ではなくて、気を遣われているのだろう。
「騎士様!」
今は手を振れない。代わりにいつもより元気に声を出した。
騎士様が手を挙げて応じてくれているのが見える。
にやけ顔を騎士様に悟られないように、バスケットで少し隠して歩み寄った。
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騎士様と別れて、街から出ようと歩き出すと、周りが少しざわつき出した。なんだろう?
「ファタ嬢! こちらにいらっしゃいましたか!」
高い少年声で、後ろから呼びかけられた。その声が予想以上に大きく、少し肩がはねる。
振り返れば、ごてごてした意匠のいささか大きい礼服を着た少年がいた。
少年に周りの視線が集まる。……さっきのざわつきはこの少年が原因か。一体なにをやらかしたのやら。
少年の後ろには、キョロキョロと辺りを見回す挙動不審な従者がいる。従者は私と目が合うと腰を折り曲げた。
大げさな仕草のそれに、目を伏せて応えた。
こちらへ一歩進み出た少年は、もったいぶって口を開く。
「初めまして、僕はフレデリック・スペルビア。貴女のはとこです。気軽にフレデリックと呼んでください」
「ええ、フレデリック様。初めまして。私はエミリア・ファタと申します」
「よろしく。……あの、名前を聞いた時から思っていたのですが、貴女はもしかして、あのエミリア・ファタ? “犠牲”の?」
フレデリック様は、私を指差して問うた。無礼な仕草にメルが何かを言いかけるが、手で制す。
「ええ。他にエミリア様がいらっしゃらなければ、きっと」
「というと、君が今代の“犠牲の女”か」
フレデリック様は金髪を揺らして、いかにも悲しい、というポーズを取った。長い睫毛を微細に震わせている。
フレデリック様が自分に酔っている間に逃げ道を探そうと辺りを見回すと、騒ぎを聞きつけたのか、首無し騎士様がこちらに近付いてきた。
その急な接近にフレデリック様も気付いて、キザったらしくお辞儀をした。
「おや、これはこれは騎士殿。ご機嫌麗しゅう……」
騎士様はメモ帳になにも書かず、ただかくりとうなだれる。
「あなたも彼女の哀れな身の上をご存知でしょう? ああ、首の無い化け物と、呪われた一族の犠牲となった令嬢……。お似合いではないですか」
唇をにぃっと曲げた彼は、舐めるように私と騎士様を見る。その視線運びの気持ち悪さに腕をさすった。
メルが一つ歩み出て、私の腕にそっと触れる。
不安そうに揺れる瞳に微笑みかけた。大丈夫よ。
彼の「哀れな身の上」という言葉を疑問に思ったのか、騎士様はガシャリとアーメットヘルムを少しだけ傾けた。
その僅かな音と動きに、フレデリック様は目ざとく気付くと、ベラベラと話し出す。
「おや、騎士殿はご存知ではないのですか。ならばお話しましょう。……そう、それはファタ家の滅亡への話です……」
「どうか口を慎みくださいますよう、フレデリック男爵」
私が黙っていると、メルが肩を震わせながらも進言した。
話の中断をされたフレデリック様は、興を削がれたと言わんばかりに顔を歪めた。
「なんだい? 僕がファタの名を口にしてはいけないとでも?」
「いいえ、男爵様」
「……ねえ、その男爵様って止めてくれる? 僕は本来ならもっと高い爵位にあるはずなんだから」
フレデリック様は顔を歪めて、不快そうに吐き捨てた。
「かしこまりました」
メルが小声で“フレデリック男爵”と続けた。
「分かればいいんだよ、分かれば。ああ、これだから下々の者は嫌なんだ。ねえ、ファタ嬢、貴女もそう思わないかい?」
「……いえ」
私が目を伏せて答えると、フレデリック様はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ああ、そう。流石は呪われた一族の直系筋だ! 貴族らしさというのが分からないらしい。傍系で良かったよ。下々の者は、本当に礼儀がなっていないからね!」
苛立たしげに、地面を踏み鳴らしてフレデリック様はぼそぼそと悪態を吐いた。従者がなにか窘めたけれど、フレデリック様は怒鳴って聞く気が無いようだ。
この場を辞する挨拶もなしにずんずんと商店が立ち並ぶ通りへ歩き出した。
ふと彼のいたところを見ると、上質な白い布が落ちていた。ハンカチだ。
「フレデリック様、ハンカチを落とされましたよ」
「……要らない! 一瞬でも犠牲の女が触ったものなんか、要るものか!」
身を翻して走り去る彼を追いかけて、従者の方がこちらに慌てて一礼をして去った。
その背中を見送り、メルが溜め息を吐く。
「……お嬢様、どうかお気になさいませんよう。あれは物が分からぬ輩のようですから」
「心配しないで、メル。慣れていますもの」
ハンカチの汚れを軽く払って、メルに持っていてもらうよう頼んだ。メルはハンカチを畳み直して、バッグの中に仕舞う。
「騎士様、ごめんなさい。私の一族の者が、無礼を働きました。彼に代わって、謝罪申し上げます」
頭を下げると、騎士様はガシャリとアーメットヘルムを傾けながら、こちらへメモ帳を突き出した。
“謝る必要はない。俺は気にしていないし、悪態を吐いたのもお前ではない”
騎士様の、本当に怒っていない態度に、ほっと息を吐く。
メモ帳の続きへ目を滑らせる。
“あと、”
騎士様は、一度手元にメモ帳を引き戻すと、素早く書き込んだ。
“俺は礼儀作法だとかはよく分からないが、今のは明らかにあちらの礼儀がなっていなかった。気にするな”
読み終えて、騎士様を見上げる。すると、目尻と頬を、まるで涙を拭うかのように撫でられた。泣いてなんか、いないのに。
まるで恋人みたい。
うっかりそう考えてしまったら、じわじわと顔に熱が集まり始めた。
「本当に気にしてないんです。本当ですよ?」
目を細めて、唇の端を上げて、笑顔を作った。
嬉しいけれど、喜んじゃいけない。騎士様には恋い慕う人がいる。期待してはいけない。騎士様は、目の前にいる女の子が泣きそうに見えたから慰めているだけだ。
その女の子が、たまたま私だっただけ。そう、それだけ。
戸惑ったように止まった騎士様の手に自分の手を添えて、私の頬からゆっくりと離した。
「本当に、大丈夫です」
私、ちゃんと弁えていますから。
復唱した言葉はフレデリック様の言葉よりも、何故か深く胸に刺さった。
壊れ物に触るかのような手付きの鎧に覆われた指先を思い出す。それはそれは心地よかった。離し難くなってしまうほど、心地よかった。
この優しい人の心を、独り占めすることができたら、どんなに幸せなのだろう。
一番叶えたい望みは、一番現実離れしていた。