第七話 バスケットの幸せ
「いい加減自覚してください、お嬢様。あなたは、ただの貴族令嬢ではないのですよ」
「ええ、ちゃんと分かってるわ。……安心して、メル」
椅子に座って、ガラス越しにメルを見つめる。
目が合うと、彼女の瞳が一瞬だけ悲しそうに細められた。苦手だな、メルのその表情は。
「あなたはファタ家の御令嬢。なにかあってからでは遅いのです。……どうか、優先順位をお間違えなきよう」
「ええ」
メルから窓の外へと視線を移した。
木の葉は斜陽に赤く輝いている。綺麗な空気を吸いたくなって、窓を開ければ、風に乗って木の葉が一枚流れ込んできた。
震える指で拾い上げると、木の葉はたちまち黒く変色した。もう片方の手で触れると、ぼろぼろと崩れ落ちた。
「痛いほど、分かっているわ……」
メルは、私の手を、泣きそうな顔で見ていた。
□■
「騎士様!」
今日も後ろにメルを引き連れて、巡回中の騎士様の元へ行った。走ろうという素振りを少しでもすると、メルの叱咤が飛んでくる。
別にちょっとの距離なんだから良いのに。そう思えば、顔に出ていたのか、メルは笑顔で「駄目です」と言った。
背筋が冷える笑顔だった。
……当分は走るの我慢しよう。
騎士様は、昨日と同じ時間の同じ場所に、運良くいた。
「あ、あの、騎士様。昨日のサンドウィッチなんですけれど……」
私がそこで一瞬言いよどむと、騎士様はバスケットを差し出してきた。
バスケットと騎士様の頭を守るアーメットヘルムを交互に見る。ガシャリと甲冑が揺れて、更にバスケットを突き出された。
受け取れと言いたいのだろう。
私の不注意が招いた結果なのに、涙が出そうなほど悲しかった。いつの間に私はこんなに弱くなったのだろうか。
「ありがとうございます」
目を細めて、唇を上げて、一生懸命作った笑顔は、バスケットを持った瞬間崩れた。
なんで、こんなに軽いの?
サンドウィッチだから、そんなには重くなかったけれど、もうちょと重さはあったはず。
顔より少し下に位置するバスケットをまじまじと見つめた。こんなに軽いのは、おかしいと思うのだけど。これではまるで、中身が空みたいだ。
肩をガシャリとつつかれて、顔を勢い良く上げたら、騎士様がメモ帳を突き出していた。
丁寧なその字を、混乱が収まりきらない頭で必死に読む。
“美味しかった。また、頼む”
瞬きをした。
混乱のあまり視力がおかしくなったのかもしれない。目をこすった。
けれど、もう一度読んでも変わらない。
じわ、と頬が熱くなった。慌ててバスケットを顔の高さまで上げた。きっと今、私はだらしなく笑っている。
美味しかったって、美味しかったって言ってくれた! 一番上手くできたのを渡したけれど、それでも美味しかったと言われるとは思っていなかった。
しかも、また頼むだって!
「私、また作っても良いんですね……!」
バスケットを少し下げて訊けば、ガシャリと騎士様はアーメットヘルムを傾けた。
嬉しくなって後ろを振り返る。メルが一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔になって、「良かったですね」と言ってくれた。
どうやって食べたのかとか、全然分からない。分からないけど、騎士様が美味しいと言ってくれた。また欲しいと言ってくれた。それだけで、私はもう十分すぎるほど幸せ!
バスケットをぎゅっと抱き締めて、今度は別の意味で涙がこぼれそうになった。