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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ある者の語り

ある夫人の遺言

作者: ヒイラギ
掲載日:2026/06/30

「ふふ、『お前を愛することはない』なんて」

「……わかっていたことなのに」

「あ、旦那様いらしたのですね」

「ご機嫌よう」

「横になったままですが、どうかご容赦くださいませ」

「体が痛みますので」

「……」

「ありがとうございます」

「私が目を覚ましてがっかりしましたか?」

「ふふ、冗談です」

「妻が婚礼の夜に身を投げたなど、体裁が悪いですものね」

「……これも冗談です」

「ええ、分かっていますわ」

「悪気があったわけではないのでしょう?」

「ただ私の悪い噂を知っていた」

「初対面ですもの、仕方ないですわ」

「おや、懸命に首を横に振ってくださるなんて」

「お優しい方ですわね」

「いいえ」

「私が勝手に期待してしまっただけです」

「そして、勝手に裏切られた気になって」

「旦那様のお言葉を聞いた瞬間、窓の外しか見えなくなりましたの」

「つい、身投げなんて真似をしてしまいましたわ」

「手を伸ばしてくださったのも、気付いておりましたし」

「だから、旦那様は悪くありませんわ」

「ふふ、はしたない真似をしてしまいましたわ」

「……もっと確実な方法もあったのに」

「安心してください」

「もう死ぬ気はありませんわ」

「もう、どうでもいいですから……」

「……」

「我が家のことまで調べてくださったんですね」

「ええ、悪女どころか屋敷からもまともに出たことありませんわ」

「……なんでもすると言われましても」

「愛情もいりませんし、復讐も興味ありませんわ」

「もう疲れてしまいましたの」

「どうか旦那様の好きなようにしてくださいませ」

「そうだわ、私に非がある形で、離縁なさるのがよろしいのではないですか?」

「きっと満足に子供も産めませんし、私は何の役にも立ちそうにないですもの」

「……」

「それでは、旦那様が苦労なさるだけですわ」

「罪悪感を覚える必要はありません」

「どうか、そんなふうに頭を下げないでくださいませ」

「ここへ来る前から、私はとっくに壊れていたんですもの」

「……そんな泣きそうな顔をされると」

「……私、困ってしまいますわ」

「……」

「知りたいと言われましても私は空っぽなのです」

「これから、なんて想像できませんわね」

「ふふ、今度は難しい顔になってしまいましたわね」

「そんなに考え込んでくださらなくてもいいのですよ」

「食事が与えられる、鞭をふるわれない」

「それだけで、十分すぎるほどですから」

「ああ、また悲しいお顔をさせてしまいましたわ」

「ですが、本当に実家のお屋敷とは比べ物にならない待遇ですのよ?」

「ベッドは柔らかいですし、お部屋も日差しが入って温かいですし」

「外に見えるお花もきれいですわね――」

「……あら?」

「急に飛び出して行かれましたわ」

「……」

「……」

「……」

「お戻りになったのですね」

「どうかされましたか?」

「……!」

「わざわざ、お花を摘んできてくださいましたの?」

「いえ、ありがとうございます……」

「ふふ、お礼くらい言わせてくださいな」

「生まれて初めてのプレゼントですもの」

「こんなもの、なんておっしゃらないで?」

「とても綺麗ですわ」

「……ふぅ」

「ええ、少し眠くなってしまいましたわ」

「では、お言葉に甘えてお休みさせていただきますね」

「……はい」

「……また明日」

「…………」

「…………」

「ふふ、何度もこちらを振り返りながら出て行かれましたわ」

「面白い方ね」

「ああ、なんだかとても温かいですわ」

「また明日、なんて言ってくださる人がいるなんて」

「家のことまで調べて、心を痛めてくださった」

「知りたい、と」

「そう言ってくださった」

「綺麗なお花まで……」

「旦那様は」

「とってもお優しい方よ」

「そんな方のお邪魔になりたくはないわ……」

「きっと一生をかけて償おうとなさるのだもの」

「旦那様には、いつか誰かと、穏やかに笑っていてほしいわ」

「だから」

「ここで、終わりにしてしまいましょう」

「旦那様のおかげで十分満たされましたわ」

「ですが、今のままでは旦那様に悪評がついてしまいますわね……」

「そうだわ、遺書を書きましょう」

「我が家の事情を書き残せば、旦那様のせいではないと分かっていただけるはず」

「ふふ、お父様とお母様、ビックリなさるかしら」

「体もなんとか動きそうですし」

「すぐにやってしまいましょう」

「……死ぬ気はない、なんて」

「結果的には嘘をつくことになってしまいましたし」

「旦那様にも一言添えておきましょう」

「最後に私を見てくれる人に出会えるなんて」

「幸せでしたわ」


翌朝、まだ屋敷が目覚めきらぬうちに、夫は夫人の部屋を訪れた。

そこで、男が目にしたのは花を抱いて静かに目を閉じる夫人の姿だった。

傍らには、几帳面な文字で綴られた遺書がある。

そこには、夫人の実家で何が行われていたのか。彼女がどのように扱われてきたのか。そして、夫に罪はないのだということが、淡々と記されていた。

最後の端にだけ、小さく一文が添えられている。

最後に、私を見てくださって嬉しかったです。

それだけで、私には十分でした。

どうか、私のために立ち止まらないでくださいませ。

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