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48.口説く 後編

「……もっとがめついクズ野郎だったら、ウチの勝ちやったんやけどなあ」

 強がるように弱々しく、イセはほろ苦く笑いながらこぼした。

 完璧な敗北。人間くさい語を用いるならば、清々しくフラれた、とでもいうような心地であった。

 ずっと自分は騙す側で、向こうは騙される側。いつの間にか、そう思い込んでいた。しかし、ムサシもまた騙す側に立っていた。騙せていると、思わせていたのである。それがまた、イセとしては悔しくてたまらなかった。

 

 嘘だとバレれば挑発して、怒らせて絞めるなり抱くなり手を出させるつもりであったが。こうなってはどちらも不可能。

 屈辱と、空回りした虚しさと恥ずかしさ。ただもう一つ……イセの胸の内には感情があった。

「ほんと優しいんやな、キミ。ナメとったわ、ごめん」

 声は無機質だった。心を込めるような余裕もない、口をついて出るような言葉であった。

 そんなに上手に騙されたふりができるのに、わざわざ拒絶するなんて。……その理由が、意思の尊重だなんて。イセには理解し難いものであった。

 しかし同時に、理解し難いながらも、どこかふわりとした、嬉しいような心地がした。


「ウチ、意外とキミのこと好きかもしれんわ。自信ないけど」

 屈託のない笑顔でイセは言った。これはきっと本心だろうな、とどこか客観視したような感覚があった。言葉にして、ようやく感情がまとまるような感覚であった。

 拒絶されて、思ったより傷ついた。見抜かれて、驚いて、悔しくて、俄然欲しくなった。……あるいは、可愛がってるうちにいつの間にか結構好きになっていたのかも。そんな無様な自認であった。



「なあ、ムサシ君。愛のある相手ならへん?キミ、結構素質あると思うねんけど」

 どこか楽しげですらある表情のイセに、ムサシは呆れた。

「断られてすぐに口説き直すとは、いい度胸してるな」

「ムサシ君なら、口説き直す価値があるて思うて」

「またいけしゃあしゃあと……ひとの気も知らないで……」

「そら知らんよ。ウチはキミやないし。でも、ちょっと知った気がするんよ。……ちょっと知っただけでもっと知りたい思ってしまったから、口説いとるんや」

 イセは嘘がどれだけ通じているか、常に推し量っていた。他人の考えを読んで、操作するのが好きだった。深い心の機微なんてのはいらない。思い通り動かせれば十分。うまく操作できなければ、次の相手を探すだけ。実際、ムサシに断られればまた別のオスを口説くつもりであった。

 だが今回初めて、もっと深く知りたいと思った。それは単なる好奇心で、恋まがい。でもそれ以上の理由なんていらないと、イセの本心が高らかに笑っていた。




 そこでイセの浮上命令……シナノとの交代の指示が下った。イセはやや名残惜しそうに海底からふわりと浮き上がった。

「じゃあ、ちょっと陸行ってくるさかい、恋しく待っといてやムサシ君」

「待ってはいるが……恋しくかは知らん」

 帰りを待つこの気持ちが恋しいというものなのか、ムサシは未だに決めかねていた。

「うんそうだねって、そこは嘘でも送り出すのが愛のある相手やない?」

 イセはケラケラと笑いながら言った。本当はずっと、こんな軽口を叩きたかったのだろうな、とムサシは思った。


「またな、ムサシ君。次会ったときは、口説き文句全部キミにぶつけたるから、楽しみにしといてや」

 イセは悪びれもせず、開き直って宣った。

「……心の準備はしておこう」

 笑いながら、イセは海面へと浮かんでいった。

 もしも光が届いていたら、どんなに綺麗だっただろう。あまりにも綺麗だったら、騙されたフリをしていただろうか、とムサシは思った。


 ……別に、段階をすっ飛ばして感情も置いてけぼりのまま行為におよぶのが嫌だっただけで。ムサシはイセのことが嫌いなわけではない。むしろ、おそらくイセが思っているよりずっと……。

「……キス……尻尾なら、頑張れば……」

 とぐろを巻いたまま、自分の尾の先に少し口元を触れさせるムサシ。第一歩の練習。ささやかな反撃準備。……喜んでもらえるだろうか、という期待。

「何をやっているんだ、余は……」

 ほんの一瞬の、ひとりぼっちの海底。普段なら若干の寂しさを感じるところだが、ムサシは気恥ずかしさやらでそれどころではなかった。

 これが恋しさであってたまるか、とムサシは羞恥を抱えながら静かに丸くなった。










 楽しみにしといて、というイセとの最後の会話を何の気なしに反芻しながら。

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