ハッシャクトパス
千葉県・房総半島の南端近く。かつて漁業で栄えたが、十年ほど前に無人化した海辺の村「海哭村」に、三人の若者が足を踏み入れた。
廃墟探訪が目的だった。リーダー格のカズキはドローン撮影と動画配信のため、仲間のミナトとユウナを連れてきた。
「ここ、マジで誰も来ないんだってな。なんか“祠が沈んでから祟りが始まった”とか」
ミナトが言う。ドローンが空に舞い上がる。潮風に混じって、どこか鉄のような匂いが漂っていた。
村にはいくつもの打ち捨てられた家屋があり、海辺には防波堤の残骸と、朽ちた鳥居があった。
その鳥居の先に——
海から這い上がろうとする、異形の黒い影が見えた。
「……あれ、何か動いてないか?」
ミナトの声にカズキがドローンを下げる。ズームすると、海中から這い出る巨大な触腕が映った。
直径1メートル近い吸盤。ぬらりと濡れた巨大な触手が、崩れた堤防に巻き付いていた。
「……タコ?」
「いや、あんなでかいのいないだろ……」
そのとき、風が変わった。
どこからともなく、**ポポポポポ……**という不気味な音が聞こえた。
「え、なに今の……?」
振り返った先。鳥居の向こう、海辺に、異様に背の高い女の影が立っていた。
白いワンピース、異常に長い腕、そして顔が見えないほどの長身。
八尺様——。
「……え、なんで? ここ海だぞ? 山じゃないのかよ、八尺様って……」
そう、八尺様は普通、山村で現れる存在とされている。だがここは、沈んだ祠の伝説が残る村。かつて、八尺様を封じていたという祠は、海へ沈んだのだ。
——今、その封印が破られた。
八尺様は、音もなく近づいてくる。ポポポ……という声とともに。
若者たちが叫ぶ暇もなく、足元から突如現れた触腕が地面を砕き、三人を引き裂く。
カズキのドローンが捉えた最後の映像は、八尺様の前に立ちふさがる巨大タコだった。
⸻
二日後
千葉県警と海上保安庁が、海哭村周辺に出動。残されたドローン映像をもとに、調査が進められた。
映像には、八尺様と巨大タコが激突する瞬間が記録されていた。
八尺様は人間の形状をしていながらも、重力を無視したような動きで、タコの吸盤を回避し、長い腕で触腕をへし折る。
一方のタコも、ありえない再生力を持ち、千切られた足を瞬時に再生。波間に潜り、八尺様の身体を締め上げる。
——人類の尺度を超えた、怪異と怪物の戦い。
「なんだこれは……神話か?」
映像を見た研究者は呟いた。
「はたまた、出来の悪い映画だな」
⸻
その夜
現地で警備を担当していた真田巡査は、海辺の監視所で仮眠を取っていた。プレハブ小屋を改良したもので、快適さなどは皆無である。
波の音の中、微かに聞こえる。
ポポポポ……。
はっと目を覚ました時、窓の外に「女の影」が立っていた。
海に背を向け、ずぶ濡れの長髪。ゆっくりと、真田に振り向く。
彼は叫び声を上げ、拳銃を抜いたが——
その時、海からうねるような影が現れ、八尺様を飲み込むように引きずり込んだ。
触腕が、青白い顔をねじり潰す。八尺様は抵抗せず、ただ沈んでいった。
「……勝ったのか……?」
だが、違った。
次の瞬間、海が沸騰するように泡立った。
八尺様が、変貌して戻ってきた。
顔のない女の形を保ちながら、体がタコのようにうねり、触腕を伸ばす。
タコの触腕と、八尺様の腕が絡み、再び激突する。
——これは、争いではない。
融合だ。
「“怪異”と“怪物”が、同じものになった……」
真田は、命からがら逃げ出した。
その後、政府によって村一帯は立入禁止区域に指定される。海底からは、無数の人骨と、再び沈められた鳥居と祠の残骸が引き上げられた。
だが、それが何を封じるためのものだったのか、記録には残っていない。
⸻
数年後
廃墟系動画サイトに、一本の映像が投稿される。
夜の海。ざわつく波。霧の中から現れる、白い服の巨女と、それに巻き付く黒い触腕。
そして——画面が真っ赤になる瞬間。
タイトルは、ただ一言。
「ハッシャクトパス」