『彼女』の秘密
生ぬるい部屋の中。
天井から吊り下げられた無数の骨。
それは大小あるものの、同じ形をしていた。
長方形でもなければ、円柱でもない。
扁平なのに頑丈に見える。
片方は台形なのに、もう片方は剣のようにとがっていた。
「これは……」
「胸骨……胸の中心にある、心臓を守るために作られた骨」
聞いたことのある声に文字通り心臓がはねる。
少年たちは振り返って、その姿を目にした。
「ここがよく見つけることができたわね」
微笑みを浮かべた『彼女』が立っていた。
* * *
村には魔女と呼ばれる女性が住んでいた。
一人で住み、いつまでもキレイなその姿に、村の男は一度は惚れたことがある、と言われる人だった。
未亡人ともいわれているが、長老の誰も夫の姿を見たことはなく、真実はあきらかではない。
だが、中には本気の求婚をした者もいるが、かるく交わされたらしい。
「こんにちはー!」
「はい、こんにちは」
朝には家の前の道を掃除し、学校に行く僕たち子どもに挨拶をする。
「今日も学校をがんばってね」
そう言って手を振る姿に男は惚れるのだという。
年をとったと思えないその姿に、人々は魔女と呼ぶようになった。
エルフかもしれない、と言われたこともあったようだが、真実は定かでは無い。
「あの人には近づかない方がいい」
長老会の一人である、じいちゃんはそういった。
食事のあと、ビールを飲むじいちゃんの横で、僕は学校の宿題をしていた。
羽ペンがさらさらと動くのをぼーとした目で見ながら、ふいにじいちゃんがそういったんだ。
「あの人って、魔女のこと?」
「そう」
魔女にはいい魔女と悪い魔女がいるらしい。
ただ、村に住んでいる魔女はいい魔女で、悪い魔女はいつも孤独だ。
だから、『彼女』は魔女だとしたら、いい魔女のはずだ。
「まぁ正確には魔女じゃないんだけどな」
「そうなの?」
「ああ。年がわかりづらいんだろ」
「じいちゃんにはわかるの?」
「そう。彼女は人間だよ」
「だけどね」とじいちゃんは付け加えた。
「彼女に近づきすぎてはいけない。あのままにしておくのが、お前にとっても、村にとってもいいからね」
「わかった」
僕はうなずいたときはそう思っていた。
* * *
「なぁ、あの人、なんか隠してると、おれ思うんだよねぇ」
朝、学校に行く途中に、『彼女』に手を振る。
友達がにやり、と笑いながら、僕にそうささやいた。
「きれいな人には裏があるって、本に書いてた。おれのみたてだと、あの家には地下があるって話だ。今日の夜に忍び込んでみようぜ」
これまで『彼女』が誰も近づけさせないようにするのは、『彼女』の裏に気付いていない、とか、裏を受け入れることができないからじゃないか。
その裏を共有すれば『彼女』にとって特別な人になれるのでは、という甘い期待が心にやってきた。
「おれ、あの家の裏口に隠し扉があるのを見つけたんだよ」
「へぇ?」
「今日の夜、そこで集合な!」
そうして、僕はまんまと地下に潜る通路から、地獄のような光景に入ってしまったのだった。
「な、なんなんだ……これ……」
生ぬるい空気。
血なまぐさい匂い。
僕たちは眉をひそめた。
* * *
地下に現れた『彼女』は、朝と変わらない微笑みを浮かべていた。
拍手する音は空間の中で反響したが、いつも通り過ぎて、逆に恐怖心があおられる。
僕たちは、微笑みを浮かべる『彼女』に恐怖を抱き始めていた。
「見つけたことについては褒めてあげましょう。でも、今の長老は何をしているのかしら。教育がなってないようね」
「あ、あなたはここで……なにを」
「胸骨で血を作っているのよ」
『胸骨』
『彼女』が言った、胸の中心にある骨。
僕たちを越えて、天井からつり下がる骨に手を沿えて、うっとりした表情をする『彼女』は、確かに裏の顔なのかもしれない。
「知ってますか?私にも、あなたにも、この胸の真ん中にある骨は結構丈夫なんですよ。心臓を守るために健気に頑張っている、小さい骨。でも、その内部では今も一生懸命血を作ってくれている。ね、ステキでしょう」
「でも…なんのために…」
「本当に、私のことを長老達からは聞いていないのね?本当に、今の時代の長老達は本当に仕事をしない」
「ぼ、ぼくのじいちゃんは……」
じいちゃんを馬鹿にされたのは気分が悪くて、僕はかみついた。
『彼女』のキレイな笑みは崩れず、僕を上から見下ろしてくる。
いつもの笑顔のはずなのに、それは作り笑いなのだと、わかった。
「僕のじいちゃんは、放っておくほうが村にとっていいって……」
「そう。じゃぁ、なんでその忠告をきかなかったのかしら?」
「お、お前…!そう言ってたならなんで止めてくれなかったんだ!」
「だって、お前がきれいな人には裏があるからって言ったから!」
「俺のせいかよ!」
「僕だけのせいじゃないだろ!」
「はい、そこで終わりね」
ぽん、と肩に手を置かれた。
僕と友達が見上げると、作り笑いで僕たちを見下ろしていた。
「そんなことはどうでもいいの。君たちはこれからどうしたいかをお話したいわね」
「あ、あなたはどうするんですか⁈」
「私?私は変わらない」
そのキレイな目線は天井の骨達に向かっていく。
「ここで胸骨を使って、血液を作っていくだけよ。あなたたちはどうするの?」
「どうするって……」
僕は言葉が喉で止まる。
どんな選択肢があるというのだ。
今、僕たちにも『胸骨』はあるのだと言っていた。
ここに『それ』があるなら、一つしか選択肢がない。
「ぼ、ぼく達の骨が……」
「それでもいいわよ。あなたたちが命を落とす、というなら、キレイにとりだしてあげましょう」
そう言うときの『彼女』の微笑みは、多分作り笑いじゃないんだと思う。
「でも、村を犠牲に自分の正義を貫くのも悪くはないわね。お姉さんは応援するわよ。でもね、私は命まで落とさなくてもいいと思ってるの」
僕たちの目の前に一つの瓶が置かれた。
中には赤い液体。
それはキラキラ輝いているようにも見える。
「これはね、私の仕事を認めてくれている偉い常連客さんが、特別にくれたものなの。これを飲めば、あなたたちの命までは奪わないわ」
おそらく魔法薬の一種なのだろう。
「ここに来てしまった人は、もれなくこれをおすすめしているのよ。みんな喜んで飲んでくれた。もちろん、あなたたちの希望を聞くから、命をくれてもいいわ」
「……どう、なるんですか」
「記憶をなくす、それだけ。明日からいつもの生活に戻ればいい」
「あ、あなたを村長たちに出したっていいんですよ‼‼」
友達が最後の勇気でそんなことを言う。
『彼女』はふふふ、と笑う。
「それはつまり、村全体の人を犠牲にすることと一緒ですけど、いいですか?あなたの両親も、なにもしれない友達も、みんな死んじゃいますよ?」
「え……」
「私には利益ですね。この村全員の『胸骨』をいただけるのですから」
そう言って笑った笑顔が一番怖かった。
* * *
「おはよー!」
「おはよ」
「いってきまーす」
「はい、いってらっしゃい」
朝がくる。
今日も『彼女』は笑顔で僕たちを見送ってくれる。
その笑顔に安心するのは何でかわからない。
「なぁなぁ!聞いたか⁈」
ひそひそと大人達が井戸端会議をしている。
会話が漏れてきた。
「また近くの村が吸血鬼に襲われたらしい」
「ああきいた。あの村…うちとは最近折り合いがわるかったって噂だもんね……」
「村人全員の血が抜かれてたって、もう終わりだな、あの村は」
この近くでは吸血鬼が村を襲うことがある。
でもこの村はその気配もなく、周りの村が襲われても、なぜか避けられている。
「まぁうちの村は大丈夫だろう」
「ああ、長老達がいろいろやってくれてんだ」
僕はなんでかわからないけど、それにとても納得していた。
今日もこの村は平和です。