012・未亡人の回想〈※クレフィーン視点〉
本日2話更新の2話目です。
どうぞ、よろしくお願いします。
「――トウヤマ、シンイチ」
その名前を、私は小さく呟きました。
今日、出会った少年です。
異国出身らしい黒髪黒目の男の子で、『ニホン』という国から来たと語っていました。
ただ、
(本当でしょうか?)
その真偽は、不明です。
遠い東の海にある日の出諸島から来たにしては、あまりに軽装で、旅慣れておらず、馬車に乗るのも初めてのようでした。
恐らく、嘘もあるのでしょう。
ですが、追求する気もありません。
少なくとも、
(素直ないい子、でしたね)
そう、思えます。
何よりも、私の娘――ファナの命の恩人でもありました。
あの時、私は血の気が引きました。
大事な娘。
たった1人の大切な子。
私の生きがい、宝物……。
この人生の全てをかけて守り、育てると決め、あの人にも誓いました。
(それなのに……)
その大切な娘を、魔物に攫わられてしまうなんて。
突然の出来事。
そして、もし自分が追えば、馬車の人間が全員死んでしまう――その一瞬の迷いが致命的な遅れとなりました。
もう間に合わない。
その絶望。
娘を失う恐怖。
ですが、その先に、あの黒髪黒目の少年がいました。
(――あ)
私は見ました。
普通なら逃げてもおかしくない状況で。
けれど、その少年は1歩も引かず、魔物の動きを冷静に見極め、殺してしまったのです。
不思議な動きでした。
素人の動き。
なのに、まるで未来を視たかのように確信的で……。
そして、ファナは助かりました。
…………。
思いを今に戻し、私は、自分の視線を落とします。
宿屋のベッドで、
「すぅ……すぅ……」
愛しい娘は、安らかな寝息を立てていました。
クスッ
私は微笑みました。
その柔らかな髪を、指で優しく梳きます。
ええ……この子の命に比べたら、あの黒髪黒目の少年の正体や隠し事など、どうでもよいでしょう。
娘の恩人。
私が思うのは、それだけです。
その時、
「……ん……シンイチ……お兄、様……」
娘の口が寝言を呟きました。
私は目を丸くします。
(まぁ……)
そして、苦笑します。
普段は人見知りな子。
誰とも積極的に関わろうとはしません。
ですが、あの少年のことは、とても気にしているようです。
それは、今も夢に見るほどに……。
無理もありません。
自分の危機を助けてくれた異国の少年は、娘の目には王子様のように見えているのでしょう。
確かに、物語のような出来事でしたからね。
「ふふっ」
私は微笑みます。
もし娘の立場なら、私も恋していたかもしれません。
優しく、素直な少年。
育ちの良さも感じました。
食事前に祈り、礼儀作法を弁え、自国の知識もあるようです。
もしや、貴族の子……?
その可能性もあるでしょう。
(いえ……)
詮索はよしましょう。
私は、娘を助けられた恩を返すのみ……それのみです。
娘の寝顔を見ます。
「…………」
そこに、ふと、あの人の面影を見ました。
私は胸を押さえます。
瞳を伏せ、
(あなた……)
心の中で呼びかけます。
最愛のあの人を亡くして、もう7年……。
あの人との娘を私1人で必死に育て、気づけば、それだけの月日が流れていました。
(ああ……)
私も、もう27歳。
年上だったあの人の年齢も、すでに越えています。
思い出す、あの人の笑顔。
大きな手。
優しい眼差し……。
7年の間に再婚の話も何度か頂きましたが、全てを断りました。
感じる、男の下心。
夫を亡くした未亡人に対する、そうした男たちの感情が見えてしまうからです。
あの人だけでした。
心から、私と娘を大事にしてくれる人は……。
(あなた……)
心の軋みに、涙が滲みます。
その時、
『――いや、美人だな~って』
ふと、黒髪黒目の少年の顔が浮かびました。
(え……?)
なぜ……あの子の顔が?
私は驚きました。
同時に、そんな自分に戸惑います。
ですが、あの時、自分に向けられたのは、ただ素直な賞賛と憧憬の眼差しでした。
その、深い黒色の瞳。
あの人以外、久しぶりに向けられた純粋な好意の視線。
下心のない、無垢な感情。
…………。
トクッ
胸の奥が、少しだけ動きました。
(……ふ……ふふっ)
そんな自分に呆れました。
こんな感覚は数年ぶりでしょうか……?
懐かしくもあり、情けなくもあり、けれど、それに安心している自分も確かにいました。
(馬鹿ですね……)
彼は、15歳。
私とは、12歳も年齢が離れているのに……。
ふと、娘の寝顔が見えます。
(ええ……)
お似合いなのは、きっとファナの方でしょう。
2人の年齢の方が近いのです。
もし、2人が結婚したら……?
(……むしろ、私はシンイチ君の義母ですか)
クスッ
私は、小さく笑います。
そして、
「ファナ……」
眠る娘の髪を撫でました。
愛しい子。
あの人の形見。
そして、大切な、大切な私の宝物……。
身を屈め、
チュッ
その金色の髪にキスをします。
そのまま、私も娘と同じベッドに横になりました。
優しく抱きしめます。
腕の中にある、我が子の温もり。
その命の手触り。
私は瞳を伏せ、
「……ファナ。お母様は、明日もがんばりますね」
そう囁きます。
薄闇の中、ファナの寝息だけが聞こえます。
その優しい音を子守唄に、私はまぶたを閉じて、静かに眠りに落ちていったのでした――。