118・やせ我慢
「――そろそろ、戻りましょうか?」
「あ、はい」
お母様の言葉に、僕はハッとする。
気づけば、周囲は暗く、近くの時計塔を見れば、もう夜の7時を回っていた。
転移門の予約は、午後9時。
予約1時間前に行くとして、アルタミナさんたちとの合流時間も考えれば、もう帰らないとまずいだろう。
僕らは、南都の通りを歩く。
(…………)
チラッ
クレフィーンさんの横顔を見る。
先程とは違い、今は落ち着いた表情に見える。
あれ……?
(僕、キスされた……よね?)
なのに、今のお母様は全然、普通にしている。
まるで何もなかったみたいに……。
もしや、夢?
(いや、いやいや……まだ唇に感触残ってるし、夢じゃないはず!)
じゃないよね?
彼女の表情を見ていると、僕だけがドキドキしているみたいで、なんか現実だったのかわからなくなってきたよ。
「シンイチ君?」
「あ……」
足の鈍った僕を、彼女が振り返った。
心配そうな表情で、
「どうかしましたか?」
「い、いえ、何でも」
「…………。そうですか」
「は、はい」
コクコク
僕は何度も頷く。
クレフィーンさんの青い瞳は、数秒だけ僕を見つめ、また前を向く。
う、う~ん?
考え込んでいる内に、南都の『転移門』に到着する。
『真眼』で周囲を見れば、アルタミナさんとレイアさんのいる喫茶店はすぐに見つかり、無事、合流を果たすことができた。
2人には、
「楽しかった、フィン?」
「あら、その腕のブレスレット、どうしたの?」
「ふふっ……実はシンイチ君にプレゼントされました。ほら、彼とお揃いなんですよ」
「へ~、いいね!」
「そう。楽しんだようね」
「はい、とても」
と、お母様は友人たちと和気藹々と話している。
照れた様子もない。
(…………)
やがて、僕にも話が振られ、デート内容などを話すことになった。
あ、もちろん、キスのことは言わない。
クレフィーンお母様の友人2人は「よかったね」と、僕らのデートを祝福してくれ、お母様も「ええ」と頷いていた。
そして、転移の時間。
許可証を見せ、転移する。
パァアア
巨大な門を潜ると、王都アークロッドの夜景が視界に飛び込んできた。
うん、帰ってきた。
南都フレイロッドに比べて、空気は少し涼しくなり、街の雰囲気もどこか落ち着いたように感じる。
時刻は、午後9時20分。
今夜は遅いので、冒険者ギルドに報告に行くのは明日の早朝にして、本日はクランハウスに戻ることになった。
王都の通りを、徒歩で移動する。
1時間ほどで、クランハウスに到着。
「――お母様!」
と、金髪の天使ちゃんとダルトン夫妻が玄関で出迎えてくれる。
もう10時過ぎなのに、まだ起きてたんだね?
そんな娘を、
「ただいま、ファナ」
ギュッ
クレフィーンお母様も笑顔で抱き締めていた。
(うんうん)
僕らは微笑ましく、それを見守る。
やがて、アルタミナさんが僕らに労いの言葉をかけ、「じゃあ、今夜は解散!」と宣言した。
各人、挨拶を交わし、それぞれの自室へ。
僕と母娘は、お隣同士。
階段、廊下を歩きながら、幼女とお話する。
今回の僕らの冒険譚を伝えれば、彼女は目を丸くして「そ、そんなに大きい魔物だったんだね」と驚いてくれた。
う~ん、いいリアクション。
話して、満足。
幼女も、
「あ、明日、約束のクッキー、作るからね」
「わ、ありがとう」
嬉しいな。
出がけの約束通り、ファナちゃんの手作りクッキーが頂けそうだ。
やがて、部屋の前へ到着。
お別れの時間。
僕とお母様は、しばし向き合う。
(…………)
彼女は穏やかに微笑み、
「今回もお疲れ様でした、シンイチ君。今夜は、ゆっくり休んでくださいね」
「あ、はい」
僕は頷く。
うん、やっぱり、いつも通り。
なんか、キスして意識してるの、僕だけなのかな……?
彼女は大人だ。
15歳の僕は、まだ子供に見えるだろう。
だから、もしかしてあのキスは、幼い子供に親愛を示すためだけのものだったのかも……?
(……そっかぁ)
僕、落ち込む。
いや、仕方ないけどね。
彼女は美人だし、年上だし、素敵だし、お母様だし、未亡人さんだし。
僕なんかじゃ、駄目なのかも。
ジッ
彼女の青い瞳は、僕を見ている。
と、その時、
ヒィン
【クレフィーン・ナイドの心境】
・桐山真一を想っている。
・キス以降、年上の大人として、動揺する姿を見せまいと必死に平静を装い続けている。
・我慢の限界が近い。
・好感度、100/100。
(……え?)
まさか、やせ我慢?
じゃあ、クレフィーンさんも、実はドキドキしてくれてたの?
僕は茫然。
見れば、表情は落ち着いているけれど、その青い瞳は熱く潤んでいる。
長い髪にほぼ隠れた耳も、見える部分は真っ赤だった。
(あ……)
そうとわかると、僕に情けない姿を見せまいと必死だったはずの彼女が妙に愛おしく、可愛く思えた。
僕は言う。
「――南都でのこと、僕、ずっと忘れません」
ビクッ
彼女の身体が跳ねた。
見つめ続けると、クレフィーンさんは硬直したまま、その顔が赤くなっていく。
パッ
長い髪を乱し、顔を逸らす。
無意識なのか、自分の唇を手で隠すように押さえている。
(~~~~)
お母様、可愛い……!
娘さんの方がおかっぱの金髪を揺らし、首をかしげる。
「お母様……?」
「な、何でもありませんよ、ファナ」
「う、うん」
「さあ、部屋に戻りましょう」
と、娘を促す。
ファナちゃんは頷き、僕を見る。
「じ、じゃあ、おやすみなさい、お兄様。また明日」
と、はにかむ。
僕も笑顔で、
「うん、また明日ね。おやすみ、ファナちゃん」
と、挨拶した。
天使な幼女は嬉しそうに頷き、部屋の扉を開けて、先に室内へと消えていく。
そして、お母様もあとに続き、
ピタッ
ふと、その足が止まる。
(ん?)
見ていると、長い髪で表情を隠したその横顔が呟く。
「――私も、忘れません」
驚く僕。
その間に、彼女はサッと室内に入る。
パタン
隣室の扉が閉まった。
僕は1人、しばらくその廊下に佇んでしまう。
(……ふふ)
つい、頬が緩む。
高揚した気分のまま、
(――うん)
と、僕は大きく頷いた。
明日からの明るい未来を思い、大好きな人との日々を夢想しながら、
カチャン
自室の扉を開いたんだ。




