106・大好きだから〈※後半クレフィーン視点あり〉
王都帰還の翌日、僕と母娘の3人は、クランハウスの玄関に外出のために集まった。
本日は買い物デートの日。
「よし。じゃあ、行こっか?」
「う、うん」
僕の言葉に、幼女は頷く。
お母様も微笑み、
「はい。――では、すみませんが、アル、レイア、あとはお願いしますね」
と、友人たちを見る。
クランに残る美女2人は、
「うん、3人ともいってらっしゃい」
「ま、楽しんできなさいな」
と、笑顔で見送りをしてくれた。
ダルトン夫妻も丁寧なお辞儀で、僕らを送り出してくれる。
「はい、いってきま~す」
と、僕らも手を振る。
そんな訳で、出発。
今日は天気も良く、快晴の青空だ。
(うむ)
日頃の行いかしら?
僕らも上機嫌で住宅街を歩き、本日の目的地、商店の多い大通りを目指していく。
チラツ
横目に見れば、迷子対策でお母様と幼女は手を繋いでいらっしゃる。
2人とも笑顔で、
(うんうん)
僕も、ほっこり。
今日は、クレフィーンさんも私服で、上品な白色のシャツと落ち着いた若草色のロングスカートという装いだ。
長い金髪も緩い三つ編みにしている。
なんか、
(若奥様?)
って感じ。
清楚で神秘的な美しさがあり、凄く素敵。
また幼女の方も旅服ではなく、お出かけ用の少しお洒落なクリーム色のワンピース。
腰に巻かれた大きなリボンが揺れる。
うん、
(まさに、天使みたい)
しかも嬉しいのは、幼女の金色の髪には『花の髪飾り』がつけられている。
そう、僕の贈った物。
えへへ。
(使ってもらえて、お兄様は嬉しいよ)
もう心が満腹です。
そんな麗しい母娘に対して、僕は普通のシャツとズボン姿である。
……うん、平凡。
(いいの、僕、庶民だから)
2人とは、素材が違うんだ……。
と、若干の自虐を混ぜつつ、僕らは通りを歩いていく。
王都アークロッドが誇る大通りに近づくと、人の数もどんどん増え、道沿いに並ぶ商店の数も多くなった。
「ふぁぁ……」
幼女の青い目が真ん丸だ。
彼女にとっては、初めて自分の足で歩き、眺める大都会の景色である。
ふふ、可愛いのぅ。
クレフィーンお母様も微笑ましそうである。
さて、本日は、僕の破れた冒険用の服と外套を買い直す目的である。
予算は充分ある。
実は出発前、アルタミナさんから先日のクエスト報酬の分け前を頂いてたんだよね。
なんと、7万リド。
そう、700万円だ……!
(ふひひっ)
クエストの総報酬は5000万円。
そこから必要経費、税金などを引き、約3000万円が利益。
それを、4人で分配。
残り約200万と端数は、クランの運営貯金にするらしい。
要するに、倉庫にあった各種ポーションとか、道具とか、使い捨ての石板の購入資金とか、竜車のチャーター代とか旅の宿泊代とかになる訳だね。
他にも、クラン員の保険代、治療費など。
あと必要なら、クラン員へのお金の貸し出しもできるって。
なんか、
(手厚いよね?)
福利厚生、安心なクラン『月輪の花』でございます。
って訳で、予算は700万円。
うむ、
(いい装備、買っちゃお~)
と、僕、ウキウキです。
そうして、母娘と大通りを歩いていく。
大通りには、各種商店が立ち並び、ただ見ているだけでも楽しい。
都会が初めての幼女も、
「ふわ、ほわ、はわぁ……」
と、感動したように目をキラキラ輝かせている。
うんうん。
お兄様も幸せだよ。
目移り忙しいファナちゃんの姿に、僕とクレフィーンさんはつい顔を見合わせ笑ってしまう。
そんなお母様も、
「やはり、王都は物価が高いですね」
と、値札を見ながら、若奥様らしいことを呟いていた。
そんな楽しい時間。
でも、そういう時にこそ、変な邪魔は入るもので、
「――お、何だ? ずいぶん別嬪の姉ちゃんがいるじゃねえか? よぅよぅ、そこのお姉ちゃんよぅ?」
突然、前方から粗野な声がした。
(ん……?)
僕らは、顔を上げる。
進路上の道に、赤ら顔の男たちが3人いて、こちらの方を見てニヤニヤ笑いを浮かべていた。
う……強いお酒の匂い。
うん、酔っ払いだ。
(何だよ、も~?)
せっかくのお母様たちとのお買い物デートに、迷惑な邪魔者が現れたみたいだった。
◇◇◇◇◇◇◇
~クレフィーン視点~
(はぁ……厄介なことですね)
私は内心、ため息をつきました。
シンイチ君とファナと一緒に外出を楽しんでいる時だというのに、昼間から酒に酔った男たちに絡まれてしまいました。
何とも、運のない……。
男たちの目的は、私のようでした。
下卑た視線。
かつての日々で、村の男たちから何度も浴びせられた嫌な視線です。
……ああ。
当時を思い出し、楽しい気分が台無しになりました。
そんな私に構わず、3人の男たちは近づいてきます。
「おお、いい女だね」
「2人のお母ちゃんか? しかし、ずいぶん若ぇな」
「おう、お母さんよ? せっかくの運命の出会いじゃねぇか。そんな子供のことなんて忘れて、俺らと一緒に楽しいことしようぜ。な?」
「…………」
私は呆れます。
酔っているとはいえ、何を言っているのか。
ですが、
(2人のお母ちゃん……シンイチ君の母親にも見られたのでしょうか?)
ズキッ
その事実が、少し胸に刺さりました。
いえ、異国人だからか、シンイチ君は確かに15歳にしては小柄で幼い顔立ちです。
間違われても仕方ない。
私も、それだけの年齢でしょう。
けれど、
ズキズキ
(どうしました、クレフィーン……?)
動揺している自分に驚き、情けなくなります。
――しっかりしなさい。
自分を叱咤します。
酔った男たちが何をするか、わかりません。
今、母親として、年長者として、この男たちから2人を守れるのは私なのですよ。
しっかりしなければ……。
グッ
私は唇を引き締め、3人の男を睨みます。
けれど、酔った男たちはにやけた笑みを変えぬまま、近づいてきます。
「へへ、さぁ、来いや」
「気持ちいいこと、いっぱいしてやるぜ?」
「なぁ、お母さんよぅ……ひひひっ」
「…………」
嫌な言葉。
気持ちの悪い表情。
触れるのも嫌悪したくなるような男たち――その手がこちらに伸びてきます。
と、その時、
パシッ
私の前に立った少年の手が、その男の手を払いました。
(え?)
私は驚きます。
シンイチ君?
黒髪黒目の少年が、私を庇うように目の前に立っていました。
「――彼女は、僕の大事な人だ。触るな」
凛とした声。
静かな怒気と緊張感が伝わります。
3人の酔った男たちは、驚いた顔をしました。
すぐに、
「ああん?」
「なんだ、テメェ!?」
「やるってのか!?」
逆上した怒りの表情で更に顔を赤くしながら、暴力の気配を強くしました。
(――いけない)
私は止めに入ろうとします。
その時、
ギュッ
怯えたファナが泣きそうな顔で私に縋りつきました。
(ファナ)
娘に気を取られ、一瞬、遅れました。
ゴスッ
「ぐっ」
(あ……!)
男の1人が、シンイチ君の顔を殴りました。
「シンイチ君!」
私は慌て、
バッ
けれど、彼の手のひらが私の方に向けられました。
――来るな。
言外の意思を感じます。
私は息を飲み、足を止めてしまいました。
痛みに耐えながら、黒髪の少年は、目の前の男たちを睨みます。
そして、
「冒険者手引書には、冒険者は無闇に暴力を揮ってはならないとある。でも、自衛の場合は別……目撃者もいるし、つまり、これで正当防衛は成立だ」
「は?」
「何言ってんだ、コイツ?」
「おいおい、ボクちゃん、大丈夫でちゅかぁ?」
「……ぺっ」
彼は、唾を吐きます。
道に落ちたそれには、血が混じっていました。
彼は笑い、
「――逃げるなら、今だよ?」
と、挑発するように言いました。
3人の男たちは唖然。
すぐに笑いながら、
「お前、馬鹿だろ……おら!」
と、1人の男が再び殴りかかりました。
(シンイチ君!)
私は飛び出しかけ、
スッ
黒髪の少年は1歩、横に動き、その拳をかわしました。
そして、避け様に足をかけ、
「!?」
ズデン
酔った男はバランスを崩し、石畳の歩道にひっくり返ります。
残った男2人は、ギョッと驚きました。
私も同じです。
(……上手い)
事前に察知したように動き、完璧なタイミングで足を引っかけました。
娘も、青い目を丸くしています。
足を捻ったのか、男は起き上がれず、「痛ぇ痛ぇ」と呻いていました。
それを見下ろし、
「……ふん」
シンイチ君は、鼻を鳴らしました。
ドキッ
その怜悧な眼差し。
いつもの優しい彼と違う表情に、思わず胸の奥がときめきました。
私は……何を?
自身に困惑していると、
「てめえ!」
「やりやがったな!」
男たちが、今度は2人がかりで襲いかかります。
あ……、
(シンイチ君!)
私は焦り、
ヒュッ ヒョイ パシッ
(…………)
けれど、黒髪の少年は全ての拳や蹴りを避け、時に簡単に受け流し、1発も当たりません。
動きは素人。
ですが、
(初動が速すぎる……)
まさに、未来を視ている――そんな動きです。
ああ、
「お兄様……凄い」
私の背中に隠れながら見ていた娘が、私の内心を代弁するように呟きました。
この騒ぎに集まっていた周囲の人々も、シンイチ君の華麗な動きに驚き、感心したような表情をしています。
酔った男の1人は、
ズデン
「あぐ……っ」
足をかけられ、また転びました。
シンイチ君は、その男を見下ろします。
周囲の野次馬から、歓声が上がりました。
と、シンイチ君の背後にいたもう1人の男が顔を真っ赤にし、憤怒の表情で呟きました。
「もう許さねぇ……!」
シュッ
(!)
男は懐から短剣を出し、鞘から抜きました。
こんな街中で……!
人々から悲鳴が上がります。
黒髪の少年は背中を向けていて、まだ気づいていないようです。
男は短剣を振り被り、
キラッ
刃が陽光に輝きました。
少年に向けて男は走り出し、
「シンイチ君……!」
私は警告の声を発して、自分も足を踏み出し――その瞬間、
バキン
突然、男の短剣が根元からへし折れました。
(――え?)
黒髪の少年は背を向けたまま、男に右手のひらを向けていました。
ヒィィン
その手の甲に、魔法陣が輝いています。
(あ……)
今のは……。
私は気づきました。
黒い針のような縮小化した『土霊の岩槍』が射出され、あの短剣に穴を穿ち、砕いたのだ……と。
魔法自体は空に抜け、消滅したようです。
折れた短剣を手に、男は放心していました。
気づいたのです。
目の前の小柄な少年が、1歩間違えれば、自分を殺傷できる魔法を所持していることを……。
黒い瞳が男を振り返り、
「――まだやる?」
静かに問いかけます。
ヘタリ
男は腰が抜けたように、地面に座り込みました。
それが答えでしょう。
しばらく見つめ、
「ふぅ……」
シンイチ君は息を吐きました。
緊張感が抜け、柔らかな……いつもの優しい気配に戻ります。
と、彼が私たちを見ました。
ニコッ
穏やかに笑って、
「――うん、もう大丈夫ですよ」
と、私たち母娘を労わるように言いました。
◇◇◇◇◇◇◇
直後、騒ぎを聞きつけ、王都の警邏隊が駆け付けました。
私は、事情を説明。
目撃した周囲の人々と共に、彼の正当防衛を主張します。
その際、身分証として、冒険者ギルド所属の証である『登録魔刻石』も提示しました。
すると、
「月輪の花……!」
「黒獅子公のクランの方ですか!?」
「はい」
私は頷きました。
そして、
「もちろん、この彼も」
と、シンイチ君のことも示します。
警邏隊の皆さんは、即座に私たちの証言を信じてくださいました。
3人の男たちは、青褪めています。
「し、知らなかったんだ……!」
「すまねぇ!」
「ゆ、許してくれぇ!」
王都4000人の冒険者の頂点に君臨する3人の内の1人――『黒獅子公』の異名は、やはり伊達ではありませんね。
私は、ただ微笑みました。
男たちは震え出します。
おや、失礼な……。
そして、3人の男は警邏隊の方々に捕縛され、連れていかれました。
(ふぅ……)
やれやれ。
やっと、騒動が収まりましたね。
見送っていた、その時、
「イテテ……」
ペタッ
突然、シンイチ君が座り込みました。
(あ……)
私と娘は慌てます。
「シンイチ君」
「お、お兄様……」
「あ、ごめんなさい。少し緊張が抜けちゃって……あはは」
彼は、力なく笑います。
ああ、そうでした。
彼は『秘術の目』という大きな力は持っていましたが、その本質は一般人のままなのです。
私たちは彼を路肩に運び、縁石に座らせました。
頬が腫れています。
(…………)
痛かったでしょう。
私は、すぐに回復魔法を使用しました。
「――癒しの光の御手」
パアッ
光る手で、彼の頬を撫でます。
「ん……」
彼は気持ち良さそうに目を細めました。
大好きなお兄様の袖を掴みながら、ファナも泣きそうな顔で見守っています。
治しながら、
「シンイチ君」
と、私は彼を見つめました。
黒い瞳が、私を見ます。
(…………)
思わず、許したくなる心を引き締め、彼を叱りました。
「なぜ、あんなことをしたのですか?」
「え?」
「シンイチ君よりも、私の方が荒事には慣れています。気持ちは嬉しいですが、ああいう無茶をしてはいけません」
「でも……」
「酔った相手は何をするかわからない……本当に危険だったのですよ?」
「…………」
キッ
大人として、彼を睨みます。
相手は、武器を持ち出していました。
今回は、上手くいった。
ですが、次はどうなるかわかりません。
今回の出来事で勘違いをし、今後、シンイチ君が自分から余計な危険に飛び込まないよう注意するのは年長者の務めでした。
(この子なら……)
きっと、わかってくれる。
シンイチ君は、いい子ですから。
そう思っていました。
なのに、
「――嫌です」
(え……?)
彼は、私を見返しながら、否定の言葉を返してきました。
え、シンイチ君?
予想外のことに、私は戸惑いました。
ですが、彼は言います。
「――危険なら、尚更、任せられません。いくらクレフィーンさんの方が強かろうと、2人を守るためなら、僕は何度でも同じようにしますよ」
そう、真剣に。
ドクン
心臓が跳ねました。
ファナも青い目を見開いています。
言葉の出ない私に、黒髪の少年は微笑みました。
そして、
「――だって僕は、2人が大好きですから」
と、無邪気に言い切りました。
(――っ)
私は、何を言えばいいのかわかりません。
代わりに娘が瞳を潤ませ、頬を赤くしながら、お兄様の胸に抱き着きました。
シンイチ君は、
「お……?」
と、驚き、すぐに優しい表情で、娘の金色の髪を撫でてくれました。
私は、その姿を見守ります。
…………。
ああ、そうですか。
私は悟りました。
決して、あの人のことを忘れた訳ではありません。
それでも、
ドクン ドクン
(……シンイチ君)
私は青い瞳を伏せ、強く胸を押さえました。
知りたくない感情。
はしたない衝動。
許されない情念。
それでも、私は……このクレフィーンは、
(ああ……)
この時、はっきり自覚しました。
――私は……こんな12歳も年下の少年のことを、本気で好きになってしまったのだ……と。




