104・天使のクッキー
ドッ ドッ
竜車は、街道を行く。
時刻は、早朝未明。
まだ周囲は暗く、東の方角の山々の縁が明るいぐらいの感じだった。
視界も悪い。
でも、王都付近になると街道の石畳には『光石』が埋設されていて、道の位置だけははっきりわかる。
(うん、便利~)
そのまま、約20分。
地平の先に、
(あ……光だ)
無数の光の集まる場所が見えた。
――王都アークロッドだ。
白亜の壁には無数の照明が灯り、その壁の向こう側からは街の明かりが上空へと漏れている。
おお、
(綺麗だね)
人工の明かり。
すなわち、人が暮らしている安全な空間だ。
大自然の中をずっと走ってきただけに、その光の都市は見ているだけで安心する。
だけど、
(おや……?)
王都から小さな光が線のように漏れている。
何だ?
と思ったら、
「え、渋滞?」
照明を灯した車両や旅人が大門前にたくさん並んでいた。
この時間で?
僕、唖然。
3人は苦笑し、
「王都は24時間、混んでるよ」
「夜間も開門されているのですが、それでも捌き切れないようで……」
「ま、昼間より待ち時間はましよ」
とのこと。
……そうですか。
そんな訳で、僕らの竜車も渋滞の列に並ぶ。
街道脇には、お弁当や飲み物を販売する売り子の人ももう歩いている。
旅人の何人かが買っている。
僕らも朝食用に4人分、ゲット。
うん、サンドイッチとから揚げサラダのセットだ。
(美味しそう)
みんなで食べる。
ん、美味い
僕はホクホク笑顔で頬張った。
食べながら車窓を見ていると、
(……ん?)
売り子の中に数人、『並び代行屋』という看板をつけている人もいた。
何だろう?
3人に聞いてみると、
「文字通り、有料で並ぶのを代行してくれる人ですね」
と、お母様。
並ぶのを代行?
そんな需要、あるの?
僕の表情に、黒髪の美女が笑う。
「城壁付近には公衆トイレがあるんだけど、1人旅の人が並んでいる最中、用を足したくなった時に利用することが多いかな?」
「へ~」
「他にも、気分転換したい人とか、仮眠したい人とかね」
「なるほど」
そういう需要もあるのか。
うん、
(目から鱗だよ)
ポロポロ
ちなみに、公衆トイレは浄化用魔導具が設置されているとか。
あとで僕も試しに1度、行ってみたんだけど、広く清潔で、臭いもなく、もしかしたら日本の公衆トイレより綺麗かもしれないと思ったよ。
異世界、侮れないね。
それと、
「並び代行屋は、孤児がやることも多いわね」
と、レイアさん。
(孤児が?)
僕は、黒い目を瞬く。
「仕事も簡単だし幼い子供でも稼げるから、孤児院や貧民街の子供がよくやっているみたいだわ」
「…………」
もう1度、外を見る。
確かに、
(ファナちゃんぐらいの子もいるね)
と、気づく。
金髪のお母様も少し哀しげな微笑みだ。
う~ん?
思えば、十数年前、黒髪の獣人さんもお母様も孤児になったんだっけ。
異世界、か。
時々、日本より厳しい部分があるよね。
特に、命関連で……。
(…………)
まぁ、ある意味、僕も孤児なのかも?
15歳だけど。
この世界に親兄弟なく、現在、天涯孤独の身でございます。
でも、
(クレフィーンさんたち、いるもんね)
本当、ありがたい。
きっと、僕は幸運でした。
僕は3人を見て、
「一緒にいてくれて、ありがとうございます」
ペコッ
頭を下げた。
美女3人は、キョトンとする。
「シンイチ君?」
「何だい、急に?」
「どうしたのよ、気持ち悪いわね」
「いや、何となく、3人に会えた僕は幸せ者なんだなと感じまして……」
と、曖昧に笑う。
3人は顔を見合わせる。
お母様が、
「何か悩みや心配事があるなら言ってくださいね。ちゃんと聞きますから」
と、おっしゃる。
友人2人も頷く。
(あはは)
困惑させたみたいだ、ごめんなさい。
でも、嬉しいな。
3人には悪いけど、僕は上機嫌。
そんな会話をしながら、時は流れ……やがて、約1時間半後。
僕らの竜車は入都検査と手続きを終え、王都アークロッドの大門を無事に潜ることができたんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「――お母様!」
ガバッ
おかっぱの金髪をなびかせ、ファナちゃんが母親に抱き着いた。
お母様も、
「ファナ、ただいま」
と、娘を抱き返している。
(うんうん)
見守る僕らは、微笑ましくそれを眺めた。
王都帰還後、竜車はクランハウスに向かい、その玄関でこうして母娘の感動の再会を目にしたのである。
ダルトン夫妻も笑顔。
そして、
「おかえりなさいませ、皆様」
と、お辞儀する。
僕らも「ただいま」とお返事です。
その後、御者さんにも手伝ってもらいながら、旅の荷物をクランハウス内に運び入れる。
うむ、
(これで、旅も終わり)
みんな、お疲れ様でした。
ダルトン夫妻が、お茶とお菓子を用意してくれるというので、皆で食堂に移動することに。
でも、その前に、
「私はギルドに報告に行くよ」
と、アルタミナさん。
(え?)
見返す僕に、
「クエスト完了手続きしないとだしね」
「あ……」
「あと、遺跡管理局の局長にも会わないと……ま、これもクラン長のお仕事だね」
と、片目を閉じながら笑う。
それから、
ガシャッ
手元の『青き落雷の大剣』を持ち上げ、
「ジオ・クレイアードの件も、報告しないとだし」
「…………」
「ま、こうして物証もあるし、信じてもらえるとは思うけど、少し時間はかかるかもしれないかな」
「うん」
僕は頷く。
そんな僕を見て、
ポン
白い手が僕の肩を叩く。
「ま、あとは私に任せて。シンイチ君たちは先に休んでてよ」
と、白い歯を見せた。
(アルタミナさん……)
友人2人も彼女を見つめる。
頷き、
「ありがとう、アル」
「悪いわね。今回はお言葉に甘えるわ」
と、微笑んだ。
黒髪のクラン長も「うん」と頷き、降りたばかりの竜車に乗り込む。
竜車とも、ここでお別れ。
車両を牽く4つ足の竜――ヒュルトン魔竜ともお別れだ。
僕は近づき、
「ありがとね」
ポンポン
太い首を軽く叩く。
鱗の生えた、逞しい筋肉質の首。
フシュル
(わ?)
大きな鼻息が応える。
驚く僕に、御者さんを始め、皆が笑った。
そして、
ドッドッ
重い足音を響かせながら、竜車が動き出す。
玄関前の前庭で旋回し、そのままクランハウスの敷地を出て、住宅街の通りを走っていった。
僕らは、見送る。
やがて、
「では、食堂に行きましょうか」
と、お母様。
僕は「うん」と頷く。
移動の際、
キュッ
(お?)
金髪幼女の小さな手が、僕の手を握った。
少し赤くなりながら、
「お、おかえり、お兄様」
と、言う。
天使……!
その手の温もりを感じながら、僕も笑う。
「うん、ただいま、ファナちゃん」
「あ……う、うん!」
パッ
天使の表情が輝く。
ま、眩しい~。
ああ、心が浄化されます……。
クレフィーンお母様は、何だか嬉しそうにそんな僕らを見ている。
レイアさんも微笑む。
ダルトン夫妻も優しい表情だ。
そうして僕ら6人は、天使ちゃんの先導でクランハウスの食堂へと向かったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
食堂では、クッキーと紅茶が出された。
給仕の際は、ファナちゃんもお手伝い。
たくさんのクッキーが入った大皿を、小さな両手でテーブルまで運んでくれた。
うむ、
(かわゆい)
まるで、お人形さんですな。
僕らは全員、微笑ましく見守りました。
で、
(おや?)
と、気づく。
お皿の上のクッキー、何枚かは綺麗なんだけど、何枚かは焦げたり、形が歪だったりする。
これはもしや……?
ヒィン
【ファナのクッキー】
・ファナががんばって作ったクッキー。
・お母様、お兄様のために練習したものの、少し失敗している。健康上の問題なし。
・味は……食べてのお楽しみである。
(おお……!)
やっぱりだ!
真眼で見なくてもわかったぞ。
見れば、クレフィーンさんも何かに気づいた顔で、僕と目が合う。
(うん)
僕は頷く。
お母様も頷き返してくれる。
レイアさんは不思議そうに、ダルトン夫妻を見る。
お2人はチラッと幼女の方を見て、レイアさんも察した表情になった。
ファナちゃんは、
ドキドキ
と、少し緊張した面持ち。
よし、
(先陣は僕が……!)
歪な1枚のクッキーに、手を伸ばす。
ヒョイ
持ち上げ、見つめる。
どんな味でも受け入れるぞ、いただきます!
パクッ
口の中に放り込む。
む……?
むむむ……!
「……美味しい」
僕は、正直に呟いた。
少し焦げてるけど、あれ、全然美味しいぞ?
甘くて、サクッとしてる。
普通にクッキー。
僕の様子に、クレフィーンお母様も手を伸ばす。
サクッ
上品に一齧り。
青い目を少し見開き、
「まぁ……っ。シンイチ君の言う通り、美味しいクッキーですね」
「うん、ですよね」
僕も頷く。
ファナちゃんは、
パアアッ
と、太陽みたいに表情を輝かせた。
金髪のおかっぱを躍らせ、ハンナ夫人を見る。
ハンナ夫人は微笑み、頷く。
えへへ……と、幼女は嬉しそうにはにかむ。
そして、
「あ、あのね、そのクッキー、ファナが作ったの」
と、告白。
うん、知ってた。
でも、僕とお母様は、何も知らなかったフリで「ええ!?」「まぁ」と驚いてみせる。
幼女を見て、
「凄い、本当に?」
「う、うん。ハンナおば様に教えてもらって……」
「へ~?」
「え、えへへ」
恥ずかしそうに照れる幼女。
と、
ギュッ
お母様が娘を膝の上に抱きあげる。
優しく笑い、
「がんばったのですね、ファナ。あまりに美味しくて、お母様は驚いてしまいました」
「お、お母様」
「ふふっ、美味しいクッキーをありがとう」
「う、うん!」
褒められて、ファナちゃん、少し泣きそう。
ギュッ
お母様の首に両手を回し、抱き着く。
クレフィーンさんの白い手も、ポンポンと娘の背中を軽く叩く。
(うんうん)
僕らも、ほっこり。
そのあとも、ハンナさんの美味しいクッキーとファナちゃんの少~し焦げたクッキーを食べながら、紅茶も楽しむ。
楽しみながら、雑談も。
基本的には、今回のクエストの話を幼女にも聞かせる形で。
あ、もちろん、亜人差別や僕がお腹に穴を開けたことは内緒だけどね?
とりあえず、遺跡のゴーレムと戦いながら、狭い抜け道を抜け、巨大なボスを倒して、最後に遺跡の悪~い機能も停止させたよ、と。
幼女も、
「す、凄いね、お兄様。がんばったんだね」
と、言ってくれて、
(えっへん)
天使に褒められて、素直に嬉しい。
僕、上機嫌です。
そんな僕に、お母様も微笑み、レイアさんは苦笑している。
僕と幼女の会話中、クレフィーンさんは紅茶に蜂蜜を入れたりしている。
それに気づき、
(あ、彼女の好みなんだっけ)
と、思い出す。
僕も、
「すみません、僕にも蜂蜜ください」
と、お願いする。
お母様は「え?」と驚く。
(?)
「シンイチ君も、蜂蜜を入れるのですか?」
「え? はい」
「…………」
「前にアルタミナさんが淹れてくれて、美味しかったんですよ。クレフィーンさんも好きなんですよね?」
「え、ええ」
「ですよね。あ、蜂蜜どうも」
と、蜂蜜の瓶を受け取る。
チャポッ
紅茶に入れ、混ぜる。
一口。
うん、甘くて美味しい。
クッキーとはまた違う甘さで、お茶の渋みと調和し、凄くいいお味です。
(ふはぁ)
と、満喫。
そんな僕を、クレフィーンさんがジッと見ている。
(???)
えと、何か?
首をかしげる僕に、
「その……アレスは……夫は、蜂蜜入りのお茶があまり好きではなかったので……」
「あ、そうなんですね」
「…………」
「でも、僕は好きですよ」
「……っ」
「? クレフィーンさん?」
なんか、目元が潤んでいるようですけど……?
僕、困惑。
彼女は、少し顔を赤くし笑う。
「いえ、何でもありません」
「はぁ」
「ふふっ、シンイチ君と好みが一緒で嬉しいです」
「あ、うん。僕もです」
と、こちらも笑う。
2人で笑い合う僕らに、ファナちゃんはキョトンとする。
レイアさんは肩を竦め、
「よかったわね」
と、短く言う。
それから、少し考える素振りを見せる。
やがて、
「ね、シンイチ、フィン」
「?」
「はい」
「明日はクエスト翌日だし、1日休みの予定なの」
「あ、そうなんですね」
「まぁ、そうですか」
「ええ。でね? せっかくだし、シンイチの壊れた服や装備を買い直しに、ファナと3人で出かけてきたら?」
「え?」
「え?」
思わぬ提案に、僕とお母様は顔を見合わせる。
つまり、
(お買い物デート?)
金髪のお母様も驚いた顔である。
でも、一緒に聞いていた幼女は、パア……と表情を輝かせた。
「お、お出かけ?」
と、母親を見る。
あ、うん。
いつも1人でお留守番だった彼女だから、一緒のお出かけは嬉しいらしい。
その表情を見て、断ることなどできるだろうか?
(いや、できぬ!)
ま、最初からその気もないけどさ。
僕は、クレフィーンさんを見る。
彼女は、困った様子。
遠慮がちに、
「その……シンイチ君は、よろしいのですか?」
「うん、全然」
僕は頷く。
笑って、
「クレフィーンさんたちとお出かけできたら、すっごく嬉しいです」
「……っ」
彼女は息を飲む。
何かを我慢するように胸を押さえ、1度、深呼吸なさる。
そして、
「そうですか……では、明日は、ファナと一緒によろしくお願いします」
サラッ
綺麗な金髪をこぼし、頭を下げてくる。
(やった!)
僕も「はい」と元気に返事。
ファナちゃんと目が合い、
「楽しみだね」
「う、うん」
頷く幼女。
僕は手を伸ばして、
パチッ
小さな手のひらと軽く打ち合わせた。
幼女は、青い目を丸くして驚く。
でも、すぐに満面の笑顔になる。
それに僕も笑い、そんな僕らの様子にお母様も安心したように微笑んだ。
――そうして僕は明日、金髪の美人母娘と一緒に買い物デートをする約束を取り付けられたんだ。




