人と魔族
私はギル様に腕を引っぱられ、城内を歩いていた。ギル様は何も言ってくれない。黙ったまま、物凄い速さで歩を進めていく。
怒ってる。さっきの表情といい、痛いくらいの力で私の腕を掴む手といい、絶対に怒ってる。でも、それも当然だ。私はそれだけのことをしでかした。
ギル様は執務室に私を入れると、背後で勢い良く扉を閉じた。
とにかく、まずは謝らなくちゃいけない。そう思って私は口を開く。だけど——
「無事なのだな、ライザ? どこも怪我はないのだな?」
それより早く、ギル様が物凄い剣幕で詰め寄ってくる。
あまりの勢いに圧倒され、こくこく頷くと、
「良かった……。本当に良かった……」
と、ギル様は眉間に手を当てて、よろよろと壁にもたれかかった。
ここまで本気で私のことを心配してくれたんだ……。
「怒ってないんですか……?」
「怒っているに決まっているだろう」
ギル様は顔を上げた。
「そなたをこんな目に合わせてしまった、己の不甲斐なさにな」
首筋を見つめられ、私はとっさにその部分を手で覆った。だけど、きっとこの人は、あそこで何が起きたのか、もう全部お見通しなんだろう。
「そなたのことを守りたかった。もう苦しまずともよい道を与えたかった。あの塔にずっといれば、そなたは安全だと思った。しかし、閉じ込められたままの人生は、ひどく窮屈なものに違いない。それに気付きながらも、我は何もできなかった。それ以外に、そなたを守る道を見つけられなかった。今回のことは、我の至らなさが招いたこと。本当にすまなかった」
この人は、こんなにも真剣に私のことを考えてくれていた。守ろうとしてくれていた。それなのに——
「……ごめんなさい。勝手に塔を出て、たくさん迷惑をおかけしてしまって」
私はその優しさを軽々しく踏みにじってしまった。
「役に立ちたかったんです。こんなに良くしてもらってるのに、私は何もできていないから。魔王軍で働ければ、少しは恩を返せると思いました。だけど、私には無理だった。私は何も知らなかったんです。魔王軍のことも、魔族のことも。私は何も知らないで、知ろうともしないで、それなのにずっと……。結局私は人間なんです。だから、魔族と一緒にはいられない」
ギル様はじっと私の話を聞いた後、やがて静かに口を開いた。
「人と魔族。その争いは、遥か古の時代から今に至るまでずっと続いている。なぜ我々が争うに至ったのか。そなたは知っているだろう」
かつてこの世界には、女神様の限りない慈愛が注がれていた。女神様の祝福によって、大地は恵みに満ち、作物は豊かに実り、人々は幸福に暮らしていた。しかしある時、女神様の加護を受けた人類を滅ぼし、恵みを独占しようとする邪悪な種族——魔族が現れた。
魔族たちによって、おびただしい数の人間が殺され、地上は血の穢れで覆われた。女神様は穢れに満ちたこの世界を嘆き、ついに地上から姿を消してしまった。そして、この世界は女神様の愛と祝福を失ったのだ。
それから、地上には影が噴き出した。土地はやせ細り、植物は枯れ、争いや病気によって、人々は次々に命を落とすようになった。世界は徐々に、しかし確実に滅びに向かい始めたのだ。
穢れた魔族がいる限り、この世界の不浄は拭えない。魔族を一匹残らず殲滅し、穢れなき世界を取り戻す。それが叶った時、女神様はこの世界に舞い戻る。そして、愛と祝福に満ちた素晴らしい世界が再びやってくるのだ。
そう唱え、魔族根絶のために立ち上がった者たちがいた。かつて女神様に仕え、魔族と戦った英雄の子孫たちだ。聖人と呼ばれる彼らは、聖教会と呼ばれる対魔族組織を作り上げた。そして、聖教会率いる人類と魔族の長きにわたる戦いは始まったのだ。
聖教会の言うこの話が、どこまで本当なのかは疑わしい。だけど、人類の大半は本気で信じている。この世界の不幸は全て、魔族が存在しているせいなのだと。そして、魔族を殺すことで世界が浄化され、来たるべき祝福の日へ近づいているのだと。




