守るべき存在
あ、これ、死んだ。わたしはそう思った。だけど——
私の目と鼻の先で、騎竜はぴたりと動きを止めた。騎竜だけじゃない。まるで時間が止まったみたいに、全てのものが動きを止めている。
いや、動かないんじゃない。動けないんだ。この場は今、どこまでも強大なオーラに飲み込まれていた。勝手に動いたら、死ぬ。殺される。生き物としての本能がそう訴えている。
停止した時間の中、一つの足音が響き渡る。その人物——オーラの持ち主は、まっすぐに騎竜に向かって歩を進めていた。
魔物というのは、人間以上に、力関係に敏感な生き物だという。特に魔獣種はそれが顕著らしい。凄まじい強者を前にした時、彼らは決して反抗せず、どこまでも従順な家畜に成り下がる。
騎竜の前に立った人物は、その瞳をまっすぐに見据える。
「戻れ」
決して怒鳴ったわけじゃない。それでも、発せられた威圧感に、騎竜はぶるりと身体を震わせ、しっぽを巻いて逃げ出した。他の騎竜たちも、続々と柵の中に駆け戻っていく。
瞬間、張り詰めるような威圧感がふっと消えた。人物は地に膝をつき、倒れていた私の身体を助け起こす。よく見知った血のように赤い瞳が、私の姿を映している。
ギル様……。助けてくれたんだ。
「なぜお助けになるのです?」
傍らに立つギークスの魔族は、震えながらも、ギル様のことをきっと睨み付けた。
「この女は聖女なのですよ!? 我々魔族の敵なのですよ!? この女が憎くはないのですか!? 殺したくはないのですか!? どうしてあなたが……魔王ともあられるお方が庇われるのですか!?」
絶叫すると、彼は足元から崩れ落ちた。虚ろに開いた口から、ずっと、どうして、どうして、という呟きだけがこぼれている。
「そなたの言うように、確かにこの者は、かつてエレアールの聖女と呼ばれた人間だ。我々魔族と長年にわたって戦い続けた、宿敵だ」
ギル様は私を立たせると、庇うようにその前に立つ。
「それでも、この者はここにやってきた。我々魔族を殺すためでなく、魔王軍に入るために。そして、その瞬間から、この者はもう我が守るべき存在なのだ。仮に誰であっても、どのような過去があってもな」
ギル様は彼に向かって歩み寄ると、その腕を掴み、立ち上がらせる。
「そして、そなたもまた、我が守るべき存在だ。助けに駆け付けるのが遅れてしまい、すまなかったな。怪我はないか?」
男はギル様を見て、その肩越しに私を見た。
「……ありません。……エレアールの聖女が、結界をはって守ってくれましたから」
呟くように言うと、彼は肩を震わせて泣き始めた。いったいそれがどういう涙なのか、きっと私には理解できないんだろう。できるなんて、簡単に言っちゃいけないんだろう。
「そうか」
ギル様はその肩をぽん、と叩くと、残りの人々に身体を向け、
「くっくっく。よくぞ魔王城までやってきた。そなたらのこと、魔王たる我が歓迎するぞ!」
と、マントを翻し、右手を突き出すお決まりのポーズを決める。
「くっくっくだ……。本物のくっくっくだ……!」
「これが……くっくっく……!」
「まさか生きているうちに、魔王様のくっくっくが聞けるだなんて……!」
人々は恍惚とした表情で、感動に打ち震えている。
その後、医療班が駆け付け、気を失ったままのエルルちゃんは運ばれていった。ギークスの森の魔族もまた、念のためということで、処置を受けに行った。残った人々は、相変わらずギル様を拝んでる。
いつの間にか、いつもの魔王城の空気が戻ってきてる。くっくっく。その一言で、全てが収まった。と思いきや——
ふいに手首を掴まれ、顔を上げると、
「そなたに話がある。ついて来るのだ」
ギル様が、今まで見たことがない、苦虫をかみつぶしたみたいな表情で、私のことを見下ろしていた。
昨日は投稿が間に合わなくなってしまいました……。実は昨日は、短編版の本作品の、コミカライズ作画担当の方が決まったり、別作品である「真実の愛を見つけられた婚約者様を、全力で推しておりますの!」のコミカライズが決定したり、色々とあった一日でした。今日からはまた毎日投稿目指して頑張ります!




