退職挨拶
「お久しぶりですね」
私は平原の外れにある、小高い丘の上へと転移した。そこから戦場を見渡していた男——レオンハルトは、私に気付いてこちらを振り返る。
「聖女……」
まじまじと私を見つめていたのも束の間、レオンハルトはつかつか歩み寄ると、思い切り私の頬を張った。
「今更戻るなど、ふざけているのか? 罪深いお前を、我々は生かしてやっているのだぞ? それを、おめおめと魔王にさらわれるなど、いったいどれだけエレアールに迷惑をかければ気が済むのだ? この穢らわしい簒奪者が」
その瞳は血が通っていないくらい冷たかった。
レオンハルトは私の耳を引っ張って、
「ほら、今までの分も、聖女の力を使ってこい。せいぜい働いて役に立て」
と、本陣に連れていこうとする。
こいつはつくづく私のことを道具としか見ていない。こいつだけじゃなくて、エレアール全体も。いや、確認できて良かった。私、やっぱりこいつらのこと、大っ嫌いだわ。
「嫌です」
私はレオンハルトの手を振り払うと、まっすぐその顔を睨みつけた。
「私はもう、あなたたちの道具にはなりたくありません。私、エレアールの聖女をやめさせてもらいます」
「は? 何を言って……」
「ってことで、これは退職挨拶だ! 受け取りやがれ、このくそ野郎!」
身体の中で魔力が反転した結果、私は新しい魔法を習得した。聖女の力——生命力増強、治癒。その反転。生命力を奪い取り、身体に負荷を与える魔法。
私は両手を組み、最大火力で力を使う。身体の奥底から溢れ出す莫大な魔力が、平原中を駆け抜けていく。途端、エレアール兵たちがふらつき、地面にばったり倒れる。そのうち数人は、口元から吐しゃ物を垂らしている。
「な……!」
レオンハルトはしばらく耐えていたけど、やがて膝から崩れ落ち、盛大にげろった。その口から、苦しげな息がもれている。エレアール兵全員、もはや立ち上がることはできないはずだ。
「私はもう行きます。魔王軍の——魔王様のところに。だから、さようなら」
これで全部終わりだ。そう思ったのに——
「……この、くそ女があああ!」
レオンハルトは剣を抜き、私めがけて切りかかってきた。だめだ、よけられない……!
「くっくっく」
だけど、そこに、振り下ろされた剣を受け止める一本の腕があった。
「魔王……! なぜこ……ぶはあっ!」
レオンハルトが言い終えるより早く、ギル様はその頬に拳をたたき込んだ。うわあ、これは痛い。割と整ってた顔が、不細工に歪んじゃってるもん……! しかも、さっき自分が吐いた上に、顔から倒れたもんだから、もう目も当てられないレベルで顔がぐちょぐちょだ……!
「ライザは我がさらったのだ。それを傷つけることは、決して許さぬ」
ギル様の身体から発せられる激しい威圧感に、私は思わず目をつぶる。そして、次に目を開けた瞬間、私は目を見張った。目の前には、山のように巨大な竜が鎮座していた。初めて見た……。純粋な竜種が、まだこの世に存在してたなんて……。
竜はぐちょぐちょのレオンハルトを爪に引っ掛け、はるか下の平原に投げ捨てた。そして、前脚で私の身体を包み込む。途端に、激しく荒れ狂う無数の竜巻が平原に現れる。レオンハルト含めたエレアール軍は、みるみるうちに竜巻に飲まれ、そして吹き飛ばされていく。
私が前脚から身体を出した時、ナージャ平原からエレアール兵の姿は消え去っていた。魔王軍本陣から勝どきの声が上がる。戦いは終わった。魔王軍の勝利だ。
次回でひと段落します。




