歯医者の椅子
テーマ:「歯医者の椅子に座る哲学」
歯医者の椅子というのは、ただの椅子ではない。あれは人類の無力さを象徴する存在だ。何もしていないのに勝手に倒れ込むし、倒れたと思ったら「口開けてください」と命令される。人間が本当に自由意志を持っているなら、なぜ私は今この椅子に逆らえないのか。
歯医者はなぜ、あの明るすぎるライトを使うのだろうか。目を閉じていても貫通してくる。歯の治療とは関係ない部分まで晒されている気がする。もしかすると、私の魂そのものを透かして見ようとしているのではないか。歯を治すふりをしながら、彼らは私の心の奥底を覗き見ているのだ。「奥歯の治療が必要ですね」と言いながら、実際には「最近、何か隠し事してませんか?」と言っているように感じるのだ。
また、歯医者が持っている器具にも疑問がある。尖った金属棒や、水が勢いよく出る謎の機械。あれらは一体、どこで調達しているのか? 私たち一般市民があんなものを所持していたら、確実に通報されるだろう。しかし、歯医者は堂々とそれを手に持ち、何なら「口開けて待っててください」と言い放つ。これは完全に信頼の暴力だ。
そして何より、「ちょっとチクッとしますね」というあの台詞。あれは嘘だ。「ちょっと」ではないし、「チクッ」でもない。あれは完全に刺されている。私は毎回思うのだ。「これが本当に私のためなのだろうか?」と。だが、そんなことを考えている間に椅子はさらに倒れ込み、ライトが眩しくなり、器具が口の中で暴れ始める。そして私はまた、「はい、しっかり磨いてくださいね」とだけ言われて帰されるのだ。
結局のところ、歯医者の椅子とは人間の矛盾を体現しているのだ。痛みを避けるためにそこに行き、痛みを受け入れることを余儀なくされる。しかし、その痛みを乗り越えることで得られるのは「次回は半年後に来てください」という次なる試練の約束だけである。人生とは、こうした矛盾とどう向き合うかの連続なのかもしれない。