003 サトちゃん、ミッチー
「おじゃましまーす、緩和ケア科の佐藤です」
佐藤医師は部屋に入るときにはいつもこうだ
失礼しますの一言は堅苦しいからアパートの別室にいる友達の家に行くような気分で挨拶をするのだ
実千代は白い部屋の真ん中のベッドの上で体育座りをしながら友達にSMSでメールを打っていた
「相崎実千代です、令和女子にしては古風な名前ってよく言われます
ミチって呼んでくださーい」
実千代の名は亡くなった祖母が付けた
実千代は一時はキラキラネームに憧れたときもあったが誰からも間違えられず、誰からも愛される愛称をつけてもらえる名前という謂れを聞いてから大好きになった
「ミチ、みちちゃん、ミッチー、みっちょん
どれで呼んでも可愛いわ〜良いな〜
私なんて結婚して佐藤になったら佐藤聡子なんて名前になっちゃってさ
皆さとちゃんって言ってくれてたのがさ、佐藤のさとちゃんでダブっちゃったからなんかね〜」
「佐藤先生」
「ダメ、さとちゃんって呼んで
佐藤先生なんて言ったら返事しないわよ」
「うわぁこっわ」
「中々ノリが良いわね」
「伊達に2年も通ってないからね」
「なるほど〜大人には慣れてるか」
2人は目線を合わせてニヤッと笑った
「改めまして緩和ケア科の佐藤聡子です、10階の病棟を担当しています
これから相崎実千代さんと散歩に行きつつ10階見学ツアーを敢行したいと思いますが如何でしょうか?」
「え?マジで行けんの?やったーイクイクー!」
実千代はベッドから飛び降りてスリップインで靴を履いた
「偉いね、ちゃんと靴履いて
たまにモコモコキャラクタースリッパなんて履いてる人がいるからいつか転ぶなってヒヤヒヤするのよね〜」
「タイルに意外と引っかかるから靴が一番!」
「素晴らしい!病院の安全対策ポスターモデルになってもらわなきゃ」
「ギャランティは弾むんでしょうね?」
「それは勿論、やわもちアイス2つでどう?」
「ハーゲンダッツ派なんだけどな〜」
「あちゃー」
他愛もない会話をしつつ実千代は準備完了、両親は2人の後ろを付いて歩いた
「今は4階の婦人科だから景色はイマイチよね
10階より上行ったことある?」
「隣の建物の屋上しか見えない美容室はある」
「なるほど〜うちの病棟来たら驚くわよ」
そんな会話をしながらエレベーターに乗り10階へ移動、エレベーターを降りて緩和ケア科の入口まで進むとラウンジがあり家族・友人と談笑したりエレベーターまで歩いてきてしんどくなった人が休めるようにちょっと良い椅子が置いてある
「ホテルじゃん」
「フロントはこちらでーす」
おちゃめな佐藤医師(年齢的にはオバタリアン)はノリノリだ
「此処から先が緩和ケア病棟です
まず最初に伝えることがあるんだけど、ここに入院したから帰られないってことはないわ」
「え?そうなの?」
「今、ミッチーの白血球の数値が下がってるのは薬の副作用もあるの
薬をやめて体調を整えて白血球数が上がればお家に帰っていい、というか帰す!」
「えぇぇ?やったー」
「ということで見ていこうか
えーっとあ、橘さーん見学するのに何号に入れます?」
通路の先に居たのはホテルの清掃員のようなキレイな服を着たおばちゃんだ
「1と6と12です」
「うわ!見学に最高じゃない!ありがとう」
「はーい」
後ろに控えていたお父さんが首を傾けた
「10人しか入れないのに12号室?」
「はい、4と9号室が無いんです」
「なるほどぉ」
死と苦と連動するという発想だ
「じゃあ1号室からね〜
入ってすぐのところでここは畳の部屋なの」
佐藤が1001号室と札のついた部屋を開けて案内しようとしたが実千代は部屋よりも病棟の明るさの方が気になって立ったまま見とれていた
「白くないんだ」
「そんなに珍しい?」
「はい、電気の色もちょっと黄色というかオレンジ色っぽくて壁が木じゃなくて壁紙だけど床も木目調でなんだろう擬似的だけど落ち着く色合いな感じ」
「あぁ〜そうなのよ、日本人の心象風景で昔の建物ってこういう感じだよね〜をコンセプトにデザインしてもらったのよ」
「その人いい仕事してますね」
「最後の仕事だったけど、褒めてくれる人がいる限りずっと私の心の中で生きてるのよ」
佐藤医師の瞼の裏には楽しいそうな顔で理想を描いている一級建築士の患者さんの後ろ姿が今でも生き生きと働いていた
「患者さんだったんですか?」
「そうよ!まだ私が血液内科医として働いているときにね『どういう病院に泊まりたいか』ってお題でA4の紙1枚渡して描いてもらったのよ
そろそろ描き終わるかな〜っと思って2日後見に行ったらリハビリの人に製図台を作って貰って図面ひいてたのよ!まぁびっくりしちゃって!
その人は腎臓の癌で人工透析って治療もしてから元透析室だったこの病棟がモデルになってたの、で透析センターを隣に建てるって話が出たときにここの図案も持って院長室に直談判よ
最後の時間を使って見積もり金額まで出してあるんだもの!設計費は思いつきだったからって無料、条件として出来上がったら自分をここで看取って欲しいってことだけ、そんな申し訳無さすぎるわよね〜」
「すぐ出来たの?」
「ううん、こういう病棟って基本的に不採算部門なのよ
国の定める医療点数ってのがあってそれに則ってしか請求できないけど『基本的に治療しない』ことが原則だから基本料金しか請求できないの、ご両親と本人を目の前にして言うのもダメなんだろうけど知っといても特に何も変わらないから言うけどさ
リウマチ外来と争うのは辛かったねぇ〜、不採算部門対超優良採算部門だからさ
最終的に4階の眼科病棟を潰すってことになったからとばっちりもとばっちりで申し訳なさすぎたよね」
「うわぁ〜」
「まぁ良いのよ、縮小しなきゃいけなかったからさ、ということで何十年と第一線で働いていた一級建築士の技術と善意と生きるエネルギーと熱意によって作られた病棟だから良い空間になってるのよ」
「へぇ〜」
「喋りすぎたわ、部屋見学するわよ」
「あぁ、はーい」
一般個室サイズ(6畳そこそこ)の畳に布団の和室と板間っぽい樹脂タイルの洋室(ベッドも茶色)、最後の10号室はちょっと大きめの洋室でベッドはセミダブル、ふかふかのソファにローテーブルとサイドテーブルがありテレビはネットTV付き、冷蔵庫、冷凍庫、電子レンジまであった
実千代も驚いていたが両親はもっと驚いていた
「リッチな大学生の一人暮らし」
「え?こんなにいい部屋無理だろ〜?30歳超え独身貴族の社宅ってのが丁度いいくらいじゃないか」
「私はお嬢様学校だったからこんなとこに住む娘がいっぱい居たんですぅ」
「俺のとこは貧乏苦学生ばっかりだったからなぁ」
両親が楽しそうな話をしているのを実千代もニヤニヤして聞いていた、佐藤もそれを見て笑顔だったが流石に止まらなそうなので声を掛けた
「お父さんお母さん楽しい思い出の中ですみません、娘さんの一人暮らしのアパート探しじゃないですよ〜」
「あっ、すみません、なんだか楽しくなっちゃって」
「私もすみません」
「良いんですよ、一応部屋代金が掛かりますので娘さんに良い部屋を選んでください
全室個室で先の2部屋は3千円、ここは1万円なんですけど」
佐藤医師はチラッと実千代を見た
「気分的にはここがいいな〜、シャワーもついてるし」
「普段お風呂入らない最近の若者だったり?」
「だってめんどくさくないですか?風呂なんて3、4日に1回で良いんですけど」
「キャ〜ジェネレーションギャップを感じるわ
お風呂はいるのが贅沢と言われて育った世代だからさ、風呂入って満足して寝るのよ?」
「先生、私もその世代です」
分かるわ〜と言いながらお母さんが介入してきた
「え?お母さんも?」
「はぁい、昭和の50年生まれなんですけどまだ小さい頃は薪だったの〜、冬なんて沸くまで2時間もかかっちゃって」
「分かります〜2・3日に1回でしたよね〜」
「そうそう、凍る手前みたいな水で手を洗ってねぇ〜」
「ホントに懐かし〜、今が便利すぎてねぇ」
「ほんとほんと〜」
2人は空気を察知した
「で、ご両親どうされますか?」
「私達も来て良いんですよね?」
「泊まりもOKです」
「じゃあこの部屋にしましょう、お父さんも良いわよね?」
「…うん」
お父さんは腕組みをして懐事情を考えてしまったが2対1、勝てる筈がないとの判断だった
「では部屋は押さえておきます
最後に説明なってしまったけど実千代さんに説明をしておかないといけないから聞いてね」
「はい」
4人がソファの柔らかさを体感してからDNAR(Do Not Attempt Resuscitation蘇生措置拒否)の確認と現行の治療の終了、血液検査の数値が改善したら退院という取り決め、新たな治療手段が見つかった時には一般病棟を希望して戻れるということに本人と家族のサインをして終了となった
「佐藤先生」
「ダメ、やり直し」
「サトちゃん宜しくお願いします」
「ミッチーもお父さんお母さんもこれから宜しくお願いします、でもまだ(仮)だからね」
「大丈夫、待ってるから」
実千代は両親の間に挟まれ最中を擦られながらて脳外科の病棟に戻っていった、見送った佐藤医師からは泣いているようにも見えていた