002 緩和ケア
「失礼します!緩和ケア専門医の佐藤です」
重たい空気をなかったものかのように明るい話し声の40歳くらいのお姉さんが飛び込んできた
「実千代の父です」「母です」
「宜しくお願いします
川内先生、何処まで説明されました?」
「面会自由で売店に行ってもいいというところまで本人にも伝えてあります」
「分かりました、ではちょっと色々聞くと大変だと思うのでパンフレットを見ながらお話を聞いてください
メモはご自由に、分からないことがあったら聞いてください、いいですか?」
「はい」
佐藤医師はA4で5枚綴のパンフレットを2部渡した
「まずは緩和ケアということについてです
緩和ケアというのは苦痛の緩和が主たる目的ではありますが苦痛にも多くの種類があります
まずは肉体的な苦痛です、ガンが神経や血管を圧迫したり浸潤してくれば当たり前に痛みます
なので強い痛み止めや麻薬を使います、なるべく意識を保ったうえで痛みなく動ける程度に容量を見極めて使うので人によってはかなり動けるようになることが有ります
次の精神的な苦痛です、不安や落ち込みうつ、恐れ、焦り等を含みます
これらについては本人と話しながら一緒に考え背負っていくことですが家族や友達と居るだけでも緩和される部分でもありますので接し方ということをご家族にも勉強していただきますので頑張って下さい
3つ目は社会的な苦痛です
高校生だと人間関係とかが主体になりそうですね、大人だと相続とか会社や仕事関係なんかの金銭面での心配とかが出てくるんですけど高校生だったら彼氏とか親しい友人等との関係性なんかがあがってきそうですね
学校で生きている人と長く病院にいる人では恐らく話は噛み合わないでしょうしね
最後は魂の痛み、スピリチュアルペインです
自分の人生の意味や死生観、死への恐怖、家族の今後なんかが頭を過ぎったときに何を思うか、死にたくないとか私のことを忘れられちゃうんじゃないかという存在としても死を感じ始めると恐怖心を抱く方が多いので分かち合いたいなと思っています
矢継ぎ早ですみません、何かご質問ありますか?」
「…」
「すぐは難しいことでもあるのでいつでも聞いてください
次に緩和ケア病棟に転棟する条件についてです
川内先生からも聞いたと思いますが原病に対しての積極的な治療はしません
もしもとなった際にも心臓マッサージや気管挿管もしません、自然なままでと考えていますがいかがでしょうか」
「はい、それは本人も管に繋がれて生きていたくないと言っていたので大丈夫です」
へぇ本人がねぇ、しっかりしてるんだなと佐藤医師は思ったがそれは強がりかもなとも思った
「緩和ケア病棟では本人の希望によって食事の変更やリハビリ、薬の変更や停止等を行えます」
お父さんが顔を上げ怪訝な表情を浮かべた
「リハビリ?」
「はい!肉体的なリハビリを皆さん思い浮かべると思いますけど精神的なリハビリも有るんですよぉ、特に女性からは要望が多いですねぇ〜
病棟は10部屋しかないですが専属で1人作業療法士さんに入ってもらっています
大体1日に1患者さんあたり20〜40分くらいしか介入できないんですけど苦痛緩和にかんしてはオーダーメイドな感じで一役買ってもらっているんですよぉ」
お母さんはどっかで聞いたような見たようなと目を動かしながら手がかりを掴むべく『何だったっけ?』を口にした
「リハビリでは具体的には何を?」
「そうですねぇ、患者さんが何をしたいのかどんなことに苦しんでいるのかを聞いて出来そうな内容で実践したり、楽しいことを提供したりと…抽象的だな」
佐藤は最近おもしろいこと何したかなと脳内トリップして思い出を引き出した
「最近はカラオケしたいって言う人がいてスマホをテレビにつないでカラオケアプリで歌ったり、孫が来たから一緒にご飯食べたいって言うご飯を食べられないおじいちゃんのために10階の食堂の一部をパーティションで区切ってそこまで送迎したり、あとはそうねぇ〜死ぬ前にエステに通って体をピカピカにしておきたいっていう御婦人には風呂上がりにオイルマッサージしたりとか色々やって貰ってます」
「それってリハビリなんですか?」
「そうです
先ほどのカラオケの人は情報を話しても構わないという同意を頂いているので話しますけど、咽頭癌で声帯まで一部転移していて声が掠れているんです
それでもリハビリで声が出しやすくなるように低周波で声帯周囲の筋肉を動かして首にテーピングして筋肉を動かしやすくする位置を探って止めて10分間で2曲、家族の前で歌ったんです
趣味がカラオケっていう方だそうで歌えないことが辛いっていう身体機能からくる精神的な苦痛を緩和するためにカラオケの時間にベストパフォーマンスの時間を重ねたんですよ、凄いですよねぇ〜
その日が最高に輝いていた最後の日で翌朝満足そうな顔で逝かれたんです
あれほど心の救済をされた方を見たことないですねぇ」
佐藤は思い出して目を潤ませた
両親ともに何故か涙は止まり少しだけ笑みがこぼれる瞬間さえあった
「すみません、一人で感傷に浸ってしまいました
リハビリの説明はこんな具合でよろしいでしょうか?」
「はい」
「あとは管理栄養士と薬剤師の専属は他の病棟同様に居ますし珍しいところで言えば10時から3時まで調理師が居ますのでオーダーでおやつや食事、飲み物を提供できます」
「なんだか高級ホテルみたいだな」
「お父さんのおっしゃる通りかもしれません
ホテルのようにゆっくりと最後まで気分良く過ごして貰えるように場と技術を提供させていただきます」
「最後かぁ…」
お父さんが大きな溜息をついて項垂れてしまったのをみて内心『しまったー!』と佐藤は思ったが時すでに遅し、撤回することは無理だ
「でも実千代は十分闘った、自分は本人の良いように過ごさせてやりたいです」
お父さんは心を決めたらしく目は真っ赤に腫らせていたが清々しい表情を見せた
「私はまだまだ治療をして長生きして欲しいと思ってますけど治療は辛いだろうし、その治療がもう無いって言われるとね
治療方法が見つかるまで気分良く過ごせれば私も良いのかなって思います」
お母さんも顔を上げて表情は歪だけど佐藤医師の方をしっかりと見て言った
「ではご両親は同意のサインをお願いします」
両親は2人のサインを入れた
「あとはお部屋で本人にも同じ話をさせていただきます
今なら部屋に空きがあるのですぐに入棟が可能なのですが緩和ケア専門の看護師と他のスタッフとともに受け入れについてケアカンファレンスを開いてからとなりますので早くて明日、遅くても1週間以内にはお迎えできると思います
宜しくお願いします」
「「お願いします」」
お互いに頭を下げた
「では川内先生、本人と会ってきます
後で10階にお願いしますね」
「はい、ではあとで」
佐藤医師は両親を伴ってカンファレンスルームを出た