019 突然の
『大丈夫か?』
16:50に来ていた『たすけて』のメッセージに全身が泡立ち終礼のミーティング終わりに矢部が送ったメッセージは既読にならなかった
少し遅くなったカルテ記録を終えて着替えをするたねにロッカーに移動しているところで院内スマホが鳴動した
「救外(救急外来)?」
時計の表示は17:33、心臓が大きく脈打ち始める
体感としては数分、画面を見たまま思考は止まってしまったが右の親指は異なる時空間で動いており反射的に応答を押していた
「はい、リハビリOT矢部です」
「救外です…」
当たって欲しくない予感が当たってしまった
「すぐ行きます」
鞄を掛けたまま帰る波に逆らって救急外来へ走った
ほんの数十メートルがこんなにも遠いのかと思うほど近付けば近付くほどに足は重くなり視界は歪み狭まっていく
更衣室のある地下からの階段を駆け上がり救急外来の裏側の搬入口から入った
「リハビリ矢部です」
「矢部さん、4番ベッド」
「ありがとうございます」
救急外来のベッド番号の1桁台は緊急の処置が必要で生死の狭間を生き抜く人の為の番号だ
ちなみに2桁は病棟へ上がる患者さん、3桁は霊安室へ向う人の番号だったりする(病院毎に設定は異なる、ABCだったり3桁番号の先頭数字で決まっていたりもする)
心電図モニターの不規則な音が聞こえる4の札のかかったカーテンの前で矢部は一度深呼吸をした
「ヒロだ」
「ミッチー」
カーテン越しに声が掛けられ反射的にカーテンを開けてしまった
中には両親に挟まれ唇を白くした血色の悪い顔の実千代が横になっていた
「待ってたよ」
「ごめん」
「お父さん、お母さん入れてあげて」
「うん」
矢部はカーテンを閉めてお父さんに促されモニターを背にして実千代の右手を握った
収縮期血圧は80台、動脈血酸素飽和度で94%、心電図はRR間隔が延長していて低電位となっていた
「会いたかった」
「うん」
「ヒロのリハビリは私がするって言ったのにもうできないよ」
「まだ…できる、生きろ」
「もう駄目だよ、目も頭も白くなってきたもん」
実千代はの目からは大粒の涙が流れ落ちた
「もっと生きたかった」
「うん」
「一緒に居たかった」
お父さんとお母さんも2人を見下ろしながら涙が止まらなかった
「ハグして?」
「うん」
タオルケットを軽くめくると腹はパンパンに膨らんでいた、脾臓が破裂して同時に何処か別の所も動脈が裂けたりしていたかもしれないし癌の腹水かもしれないがどちらにしろ良い状態では無い
優しく上から覆い被さるように矢部が実千代を抱き締め実千代も矢部を力無く抱き締めた
「ずっとこうしたかった」
「俺も」
「ずっとこうしてて」
「うん」
「私のこと忘れないでね」
「まだだ、一緒に居るんだろ」
「もう無理だよ
さっきサトちゃんも来てくれて首を振っていったのが見えたから、もう最期なんだよ」
「ミチ」
「ヒロ、大好き」
酸素が足りなくなってきたのか呼吸回数が増えてきた
「酸素下さい!」
矢部はアラート音で駆けつけた看護師からマスクを受け取り、優しく実千代に掛けて上げると実千代はマスク外して矢部にキスをした
「要らない、声聞こえなくなっちゃうから」
「ぅん」
「話したいことがいっぱいあるの、お礼も愚痴もいっぱいあるの、時間が足りないよ」
「何でも言え」
「ドライブデートしたかったな、海行ってアイス食べて」
「うん」
「ディズニー行って」
「うん」
「結婚式して」
「うん」
「子ども産んで」
「うん」
「一緒に居たかったな…」
「うん」
矢部は涙が止まらず、実千代の顔がボヤケて見えなくなっていた
実千代を抱き締めて口に耳を寄せて息遣いで何を言っているのか最期まで聞こうとした
『パパパッパパ、パパパッパパ、パパパッパパ』
モニターからアラート音が聞こえてきた
矢部の耳には消え入りそうな呼吸音しか聞こえてこず、首に回された腕の力も腕の重さしか感じなくなった
「(キスして)」
最期の吐息がそう聞こえ唇を重ねて目を合わせると微笑みを浮かべる実千代がそこにいた
パッとモニターをみると心電図は消え入りそうなほどしか山が出ておらず酸素は拾えず、血圧は50と数字が出て消えてそのままなんの波も拾わなくなった
「ミッチー、まだ逝くな、置いてくなよ」
「矢部、ちょっとすまんな」
「タマ」
連絡を受け取り駆け付けた田丸医師だったが最期の看取りをするだけになってしまった
「17時55分、心停止確認しました
最期は多発癌転移、脾臓破裂と腹水貯留での腹腔内出血でした
お疲れ様でした」
一度機械のアラート音で涙が止まった3人だったが田丸医師の言葉で再び涙が溢れてきた
「矢部、一回出るぞ」
「お、うん」
田丸医師に声をかけられ矢部は申し訳無さで両親に頭を下げた
「取り乱してすみません、呼んでいただいてありがとうございました」
「ちょっと待っててくれるかな」
「はい」
涙を拭きながらお父さんが矢部を引き止めた
矢部は看護師に救急外来の受付近くの椅子に座っていると伝言して退室した
数十分後、看護師が放心して頭の中を白くしていた矢部を呼びに来た
「矢部さん、101で相崎さんのお父さんが呼んでます」
「ありがとうございます」
エンゼルケアが終わって看護師が離れた一番奥のカーテンの中、2人分の足が見えたところに重たい足をなんとか動かした
「矢部です」
「どうぞ」
カーテンの先には薄く化粧を済ませ微笑みを浮かべたまま横たわる実千代とその横で膝立ちで頭を撫でるお母さんと後ろに立つお父さんが居た
「失礼します」
「矢部さん、いくつか言いたいことがあるけど先ずは突然呼び出したのに来てくれてありがとう」
「いえ、むしろ呼んで頂いてありがとうございます」
お父さんが冷静にだが落ち込んだ表情で話し掛けてきた
「家に居たときもあんまり元気がなくてね」
「はい」
「ずっと矢部さんを待っていたらしいんだ」
「はい、メッセージがありました」
「最期のお別れをしていくかい?」
「はい」
お母さんの反対側に回って顔を見下ろす
「こんなキレイな顔のまま…」
そこまで言葉が出たが続かず、涙が蛇口を捻ったかのように止めどなく流れ続けた
「矢部さん」
「はい」
「ありがとう、実千代に恋をさせてくれて」
「…」
「最後に実ったもの、最高よ」
「デートしたかったって、結婚も、子どもも」
「そうねぇ、実千代なら来世でやるわよ」
「そうですね」
「だから新しい人見つけて、結婚して子ども作ってね」
「…今はちょっと」
「実千代を追い掛けないでくれればいいわ」
「はい」
追い掛けようかとも少なからず思っていた矢部には楔が打ち込まれたように感じた
「ここに入院させてもらってから私達も楽しかったわぁ、矢部さんと一緒の写真いっぱい見せてもらって入院中だったけど楽しかったんだと思うわ」
「僕も楽しかったです」
それ以上の会話はなく時間だけが過ぎた
「お父さんお母さん、お疲れ様でした、ありがとうございました」
「矢部さんもありがとうございました」
「ミッチー大好きだよ、遅くなってごめんね」
矢部も頭を撫でて頬に触れた、まだ温かく柔らかかったのが矢部には辛かった
溢れ出る涙は止まらず、立ち直ることも出来ず後悔だけが残る
フラフラと救急外来を出ると湊師長とサトちゃんこと佐藤先生が待っていた
「後悔しちゃったね、今日は1人にしておけないから両手に花で慰めてやろうじゃないか」
「私の懺悔も聞いてくれるかしらね?」
「ありがとうございます」
矢部は深く頭を下げて着替えに行けた
2人が居なければおそらくこの日はアパートには戻らず最上階のレストラン前ソファで寝ていたことだろう
着替えて裏側玄関口に行くと私服姿の2人が待っていた
「さて、個室のある店に行こうか、矢部さんの奢りで」
「はい」
サトちゃんの懺悔、湊師長の焚き付け、矢部の部屋でやっていたハグやキスの話をきいてfwu〜となったりSNSのメッセージを見てWowとなったり明るく接してくれる2人に感謝して眠りに付くことが出来た




