第6話 夜の帳を硝煙で焚きしめて
珍しく帰りは夜になった。久しぶりに見る夜空には真ん丸な月がかかり、砕いたダイヤモンドを詰めた箱をひっくり返したような数の星々が瞬いている。
もっともその星空を愛でている暇なんてものは、ちっともなかったのだけれども。
『いつもこんなに激しいんですかぁ!?』
ひっきりなしに発射される列車砲に揺れる車体に揺さぶられて、プロワリアは濁ったビブラートが掛かった悲鳴を上げている。ちなみに彼女も列車砲の担当で、今はスホーカさんについているはずだった。
『やあ、今夜は特別盛況だ、ねぇ!』
そう応じるインカム越しのスホーカさんのざらざらとした声は、なんだかひどく楽しげだ。あの熱感知野郎にとって、夜の闇は何の障害にもならない。トリガーハッピーのきらいがあるあのヒトにとって、この状況はおおいに楽しいものなのだろう。
意識を覗き込んだスコープの先に戻す。母船の技術部が改良してくれた長距離用スコープは、下がりきった夜の帳など存在しないかのようにくっきりと像を結んだ。日中の襲撃が無かったのは、このためだったのだろうか。
盛んに走り回る小さな影に向けてトリガを絞る。たぁん、と鋭い発砲音が響けばそのうちの一つは動かなくなるが、撃っても撃っても遮蔽から遮蔽へと走り回る"人類"たちの動きは留まるところを知らないようで、私はだんだん無限に広がる梱包材の気泡を一つずつ潰しているような気分になってきた。
戦況は激しいが、蹂躙はいつも通り一方的だ。大方この星の文明を轢き潰し終えて、大規模な戦闘がなくなってからは"人類"たちの手が私たちに届くことはほぼなくなっている。そも、星系の外へ出ることも叶わない彼らと私たちでは文明のレベルが違いすぎるのだ。侵略当初こそは見積もりの甘さからこちらも相応の損害を被ったが、その戦力を解析尽くした今となっては──
ちゅん、と私の右後方にあるデッキの、これでもかとビス止めされた頑丈な扉に銃弾の跳ねる音がした。一瞬遅れて、ゴーグルの下で剥き出しになっていた私の頬に生じた灼熱感と共にたらり、と生温かい液体が顎へと伝う。雫となってぽたり、と床に落ちたそれは、宵闇の中にあってはその色を判別できず、ただくろぐろとした液だまりを形作っている。
体中の血液が泡立ち、緩み切っていた意識が一気に覚醒した。前言は撤回だ。これはまだ戦争だった。ぬるま湯の底に沈んでいた憎悪が、むくりと顔をもたげる。
『抜けられてるぞ、マキナ』
厭味ったらしいヒモモカトさんの声が、憎悪の火に油を注いだ。こちとら今、身をもってそれを理解したところなのだ。弾の飛び込んでこない車内に引き籠っている奴は黙っていて欲しい。
私は食い入るようにスコープの中の視界をねめつけた。列車砲の着弾地点がいつもよりだいぶ近くなってきている。武装特急の振りまく毒性物質を恐れて、この線路に対しては一定以上距離を詰めてこなかった"人類"たちだったが、ついにその先へと踏み込むことにしたのだろうか。
再び足元の床が鋭く硬質な音を鳴らして、私は舌打ちすると銃座の中に頭を引っ込めた。スコープの視界は狭い。遠くの対象に先制するには非常に有効だが、こうして近寄ってくる相手を索敵するのにはあまり向いていないのだ。
私は狙撃兵だ。これが平地ならさっさと銃架を畳んで後退するところだが、抜けられたからといって距離を取ることが出来ないのがこのデッキに縛り付けられた私の辛いところである。
嗅ぎなれた土埃の匂いを押しのけて、硝煙の香りが色濃く立ちのぼる。鋭く心地の良い狙撃の音は途絶え、代わりに銃弾をばら撒く機関銃の音が響き始めた。敵味方、どちらの音か判然としないが近くも遠くもならないところを見るに味方だろうか。ケントさんあたりがさっさと獲物を切り替えたのかもしれない。
トリガを絞る。撃ち抜いて、撃ち抜いて、撃ち抜いてリロード。コッキングしながら、ちらりと銃座の横から顔を出した私は思わず瞠目した。着弾した列車砲が舞い上げた土煙の合間から、砲火を逃れたホバーバイクが真っ直ぐこちらに向かってくるのが見える。もう狙撃するような距離ではなかった。
慌てて背負っていたアサルトライフルを降ろすと、ろくに狙いも付けずに銃弾をばら撒く。数発は命中したはずだが、ホバーバイクの勢いは止まらなかった。なおも真っ直ぐにこちらに突き進んでくるそれに向けて、トリガを絞り続ける。
銃身が与えてくる反動がふっとやみ、引いたトリガがカチンと虚しい音を立てる。こちらが弾切れになったと見るや否や、ホバーバイクの側からマズルフラッシュが閃いた。猛スピードで移動しながらの射撃にそう精度は見込めないはずだが、ばら撒かれた銃弾の一つが私のゴーグルとヘルメットをまとめて弾き飛ばす。灼熱の銃弾は額をもろとも浅く抉り、流れ出た血液が目に流れ込んで視界を奪った。
だがそれを振り払う暇もない。空になった弾倉を振り落とし、新しい弾倉を叩き込む。薬室に1発目を送り込むと、私は再び猛然と反撃を開始した。もうホバーバイクは車両の目前まで迫ってきている。硝煙の香りに混ざって、鉄錆の匂いが鼻を突いた。
フルオートの射撃は3秒と持たない。再び弾切れを起こした私の目の前で、ホバーバイクは高く飛び上がった。サブウェポンの拳銃を引き抜いて安全装置を外す。腹の下のタンクを晒したそれを撃ち抜こうとした時、バイクの上から一匹の"人類"が飛び込んで来た。
腹に硬いブーツの踵がめり込んで、私は血反吐を吐きながらビスだらけの扉に叩きつけられた。錆び付いた丸いハンドルが背骨を強打し、息が詰まる。クソ、体が動かない。取り落した拳銃にぎこちない動きで手を伸ばす。冷たい銃口が、私の頭に向けてぴたりと狙いをつけた。グローブをはめた指がトリガに掛かるのを、血で濁る視界で睨みつける。どう考えても私が拳銃を拾い上げるよりも奴が引鉄を引く方が先だが、怯えた姿を見せてやる気は毛頭なかった。
だが私を蹴り飛ばした"人類"は、頭に向けた銃口を降ろして狼狽したような声を絞り出す。
「……お前、なんで」
お前らの敵だからだよ。そう答えたかったが、まともに呼吸を再開しない喉は言葉を紡げない。"人類"の顔は赤いレンズをはめ込んだヘルメットに覆われていて、その表情を窺い知ることは出来なかった。
「どうして……」
降って湧いたような幸運のおかげで、震える指が拳銃拾い上げる。幸い腕は素早く動いた。喉元に向かって1発撃つ。宵闇に黒々とした液体が飛び散り、"人類"は大きく仰け反った。尾と側腕を使って跳ね起きる。お返しとばかりに蹴りを見舞うと、命の灯が消えた体躯は声もなく柵の向こうへ消えていった。