第3話 新緑色の雪が降るデッキで
しゅぼん。武装特急の車体が揺れる。帰り道はやたらと盛況だった。
最近では滅多にお目にかかれない装甲車まで出張って来て、私の可愛いアンチマテリアルライフルも大いに活躍するところとなった。
大規模な戦闘になるほどスホーカさんとキキカカさんが操る列車砲がその威力を誇示するのだが、砲撃の合間合間に抜けてきた敵の対処は私とメロテアさん、それからケントさんの仕事だ。
原生知的生命体の“人類”も武装はしているのだが、彼らの武装の射程は短いので概ね反撃の心配はなかった。線路を壊してしまえばいいのではないかと思うのだが、彼らは武装特急の振り撒く毒を恐れて線路には近付かない。一方的な蹂躙でちくちくと痛む心のことさえ忘れてしまえば、楽な仕事だった。
沿線に転々と爆発と血の跡を残しながら武装特急はビンガムキャニオンへと戻っていく。
長きに渡り“人類”が鉱物資源を露天掘りしてきたこの鉱山は、巨大なすり鉢のような地形と化している。螺旋状にすり鉢の内側を走る線路を、武装特急は緩やかに下っていった。
ここまで来ればもう戦闘が起きることはないと言っていい。私は首に掛けていた双眼鏡を扉の横のフックに掛けて体を伸ばした。双眼鏡の重みがなくなっただけでも大分頭が軽くて気持ちがいい。
線路を噛む車輪がぎいぎいと軋む音に身を委ねていると、私の頰にぽつんと冷たいものが触れた。空を見上げる。母船近辺で見た抜けるような青空はそこにはなく、巨大なすり鉢の頭の上にはどんよりと重く重なる雲が垂れ込めていた。その雲の合間から、ひらひらと冷たい欠片がいくつも落ちてくる。
手のひらを上に向けて差し出すと、ひやりとした冷たさとともに新緑色の欠片がその上にふわりと舞い降りて、すぐにしゅわりと溶けて消えた。
母船ほどの処理能力はないものの、この採掘場にも一部精錬設備が設置された事により、汚染はこのすり鉢の中にも広がり始めていた。かつて純白だった雪は鮮やかな新緑色に染まり、その毒性に耐性のない"人類"に対しての天然のバリアと化している。
新緑色の欠片は、側腕にも舞い降りる。艶めく黒い外皮は冷え切って冷たく、欠片は溶けずに次々とその上に降り積もった。肉がむき出しの手と異なり、硬い外皮に覆われた側腕は冷たさを伝えてはこない。
「マキナちゃん、何やってんの。もう着いてるよ」
私が雪の感触に身を委ねている間に、武装特急はすり鉢の底にほど近い終着点にたどり着いていたらしい。呆れ声の放たれた方を振り向けば、しゃらしゃらと澄んだ青の鬣が揺れるのが見えた。屋根の上に顔を出してこちらを見ているスホーカさんは、どうやら私が降りてこないのを気にして見に来てくれたようだった。
冷たくなった頬に新緑色のひとひらが落ちる。ぼんやりと視界の端に焦点を結ぶサファイアの鬣が淡い風にそよいだ。針と金属が触れ合う音がする。屋根の上に登ってきたスホーカさんは、車両の端に腰掛けて笑った。高いところに登るのが好きなヒトだな、と思う。
「お前はあれだね、自然現象が好きだね」
「自然現象はお小言を言いませんからね。ヒモモカトさんはジョーシキ、ジョーシキってうるさいんです」
「ヒモモカトはそれが仕事だからね。奴は特殊部隊員じゃない。まあ監督官みたいなものだから風紀とかさ、ほらうるさくなっちゃうのよ」
「風紀ねぇ……」
死を振りまいて走る武装特急の中で、守られるべき風紀とはなんだろう。そう思考しかけた鼻先にも冷たい欠片が落ちてきて、私は考えるのをやめた。新緑色の雪と共に思考が溶けていく。
「あ、こら。チョーカー外すなよ?」
「え? ……ああ、はい」
スホーカさんにそう言われて、私は無意識に指を引っ掛けていたチョーカーから手を離した。内側の滑らかな触感と、外側のざらついた触感が指に残る。
スホーカさんの首にも巻かれているこのチョーカーはいわば認識票だ。これは私たちの所属と身分を保証してくれる以外にもう一つ機能がある。
戦場に記憶と一緒に落っことしてきた平衡感覚を補助してくれているのが、このチョーカーだった。これがなければ私は天と地の区別もつかなくなってしまうのだ。
その時の記憶は曖昧だが、スホーカさんが言うには一度これが外れたことがあるらしい。外れた、というその事実に心当たりは全くないが、平衡感覚が融けて意識に雪崩込み、もろとも混濁していく酷い不快感には心当たりがあった。正直常に首元に何かが巻き付いているのは好きでは無かったが、あの感覚をもう一度味わうよりはマシだと思う。
つい手癖で指を掛けてしまうので、度々スホーカさんがこうして指摘してくれるのは有り難かった。
武装特急の駆動音はもはやなく、深々と降り積もり始めた雪は世界から全ての音を奪い取っていくようだった。静まり返った空気を掻き分けて、硝子同士がぶつかるような透明な音がする。曇天を覗き込むように空を見上げたスホーカさんに、私は尋ねた。
「スホーカさんも雪、好きですか?」
「ユキ? ……ああ、これのことか」
スホーカさんは私を真似るように雪を手に取って、それをくしゃりと握りつぶすとこちらを見た。
「こんなのただの自然現象で気にしたことはなかったけどね。ユキを見てるマキナちゃんを見るのは面白いかな」
「なんですかそれ」
呆れたように言う私を、深い琥珀色の理知的な目が見る。それは楽しそうに歪んでいて、観察されている感覚に背筋がぞくりと震えた。