第2話 マキナ・イクスは狙撃兵
火花と軋む音をまき散らして、武装特急はスピードを緩める。重々しい装甲で身を固めた金属の長虫は、幾何学的な線を持つ巨大な物体に寄り添うようにして停まった。
「俺は荷下ろしの立ち合いに行ってくる。……漁るなよ」
じっとりとした目でそう言い置いてから、巨体を揺らして出て行ったヒモモカトさんを見送って、私は大きな欠伸を一つ漏らした。ヒモモカトさんのデスクをわざと荒らしていくのも悪くないが、それをやると帰りに延々とお説教を聞かされる羽目になる。ここにいてもやることがないので、デッキに戻ることにした。
車両後部の丸いハンドルに手を掛けてから、ヒモモカトさんのさっきの小言を思い出す。武装特急も停止しているし、素直に車両脇のドアから出ることにした。音もなく開いた電子錠の扉をくぐり、不安定な細い足場に立つと何となしに上を見上げる。
幾何学的な層をいくつも積み上げたような印象の、灰色の船。そこにビンガムキャニオンから採掘した鉱物資源を運ぶのが、私たちの守る武装特急オブリビオンだ。この巨大な船は、私の雇い主のちんぴらじみた民間の惑星開拓団の所有する、開拓用大型艦だ。調査や開拓に必要な機能が一通りそろった万能艦だが、この惑星の各所に開拓や調査用のサイトが建設されてからは、私のような底辺の戦闘要員は立ち入りを禁じられている。いわく、高価な機材があるからだとか、管轄外だからとか、なんとかかんとか。まったく、職務記述書なんてくそくらえだ。
入れもしないものを延々と眺めていても仕方がない。私は巨大な幾何学のミルフィーユに別れを告げて、デッキに備え付けられた銃座の元へと足を進めた。自分の身長よりも長いアンチマテリアルライフルが、私の武器だ。こいつで沿線にたむろする異星人どもをぶち抜くのが私の仕事だった。
「やぁ、マキナちゃん」
不意に上から声を掛けられて、私は声のした方を振り仰いだ。
「スホーカさん」
しゃら、と涼やかな音が鳴る。サファイアを溶かして梳かしたような鬣に交ざった無数の針が触れ合う音だ。艷やかな外殻で覆われた扁平な頭の下で、理知的な目が優しい眼差しを向けてくる。牡鹿を思わせるしなやかな足を組んで車両の屋根に腰掛けているスホーカさんは随分とサマになっていて、なんだか一枚の絵を見ているようだった。実際美しいヒトだと思う。
「いいんですか、サボってて」
「ここなら母船の警護隊もいるからなぁ。休憩休憩」
のんびりとした調子でスホーカさんが言った。インカム越しではないその声は甘く低く、絹のような滑らかさで鼓膜をくすぐる。このひどく穏やかな男がやたらと爆発物を振りまいているのだから、世の中というのはわからないものだ。
「上がっておいでよ」
スホーカさんがちょいちょいと手招きして私を呼ぶ。私は車両の屋根に上がるための梯子を見た。一番上の段には、スホーカさんの足が乗っている。しなやかな脚の先にある鋭い爪が、無意識にか梯子の表面をカリカリと掻いていた。
僅かに首を傾げたスホーカさんが、私の視線を追って自分の脚の存在を思い出す。
「あっ、ごめん」
「いいですよ」
脚を引っ込めようとするスホーカさんに肩を竦めると、私は尾と脚にバネをためて一息に跳躍した。小さな目を丸くしてスホーカさんが私を見上げる。スホーカさんを驚かせるのは気分が良かった。一足飛びに彼を飛び越えて車両の屋根に着地した私は、口の端を緩ませて屋根の上に流れる鬣の横に腰を降ろす。
「相変わらずえげつない機動力してるねぇ、お前」
「そうなんですかね。自分ではよく分かんなくて」
「ウチの隊じゃダントツなんじゃないのぉ。敵に回したくないねぇ、怖い怖い」
「私はスホーカさんこそ敵に回したくないですけどね……」
そう言って私はちらりとスホーカさんの背後に視線を向けた。しゃらしゃらと鳴る鬣を掻き分けるように、6本の蟲の足のような側肢が生えている。スホーカさんはこの側肢を使ってそれこそえげつない動きで戦う、近接戦闘のエキスパートでもあった。ちなみに私が何故それを知っているのかといえば、特殊戦闘部隊35分隊に配属になった時に模擬戦でスホーカさんにこてんぱんにされたからだ。
(お前、いい機動力してるね。ま、格闘戦の出番なんてほとんどないけどねぇ)
血反吐を吐いて床に伏した私を優しげな目で見降ろして、事も無げにそう言い放たれたあの瞬間を今でも忘れる事ができない。不要な模擬戦をガチ負傷するレベルでやるな。
後から、そんなに柔い身体だとは思ってなかったんだ、と釈明を受けた。こっちだってあの鬣のキラキラが全部毒針だなんて思ってなかった。マジで死にかけたのだから最悪だ。つくづくこのヒトが敵でなくてよかったと思う。
艶やかな表面が幾層にも重なった側肢には機能美と嫌悪感が同居している。そろりと手を伸ばしかけて、先ほどヒモモカトさんに言われた「常識のないやつ」という台詞が頭をかすめた。私はふくれっ面で伸ばした手を引っ込める。
ヒモモカトさんには何と思われようと構わないが、なんとなくスホーカさんに常識知らずだと思われるのは嫌だった。だいたいこのヒト毒持ちなんだった。頼まれたって触るもんか。ちなみに模擬戦の時だってほとんど触っていない。あれは私が一方的にボコられただけだったのだ。
「……マキナちゃん、何してんの」
自問自答を繰り返しながら挙動不審な動きをしているをしている私に、スホーカさんが呆れたような視線を向ける。
「何でもないでーす」
私はわきわきさせていた手を尻尾でぐるりと体ごと包んで、母船の反対側に目を向けた。私の仕事場。赤茶けた砂の大地にはしがみつくようにしょぼくれた植物たちが生えている。だが武装特急とその下に連なる線路に目を向けると、そこにはじわじわとした死が広がっていた。
ビンガムキャニオン。現地生物の呼称そのままで呼ばれているその鉱山の、現地生物たちが掘っていた資源の更に下にあった地下資源を私たちは運んでいる。彼らには無害かつ無益だった地下資源は、母船で精製される際にこの星の原生種に対して有害な物質を作り出す。その毒は武装特急にも付着して、線路に沿って死を振りまいていた。現地生物たちには気の毒な話ではあるが、これもまた生存競争なのだ。
視線を遠くに向けたまま思考を巡らせている私に、スホーカさんが笑いかける。
「また考え事? お前はあれだね、真面目だよね」
「別に。考えるのが癖なだけですよ。ただの性格です。スホーカさんこそ何してたんです?」
「俺はぼーっとしてただけだよ。こういう殺風景な光景は頭を空っぽにできていい」
「殺風景。殺風景ねぇ……」
私はもごもごと口の中でスホーカさんの言葉を繰り返した。
抜けるような青い空。その下に広がる赤茶けた大地とのコントラストは、綺麗だと思う。私はそっと隣に座るスホーカさんの小さな目を見上げた。大雑把なヒトだが、スホーカさんの目にはこの世界はどのように視えているのだろう。
まあ、以前この鬣の美しさを褒めた時に、まったくピンと来ない様子で狼狽えていたので、そもそも色彩感覚が私とは違うのかもしれない。感覚的なものをあれこれ言うのは無粋だよな、と思いながら《《殺風景》》な景色へと目を戻す。
『おい、そこのサボり魔ども。帰るぞ』
「うわひゃ」
突然、インカムがヒモモカトさんのざらついた音声を流し込んできて、私は思わず変な声を漏らした。武装特急が細かな振動を始める。スホーカさんが「仕事かぁ」と言いながらぐうっと体を伸ばした。鬣が揺れ、しゃらしゃらと鳴る針がこちらに触れてきそうになって慌てて立ち上がる。あっぶな。
「そうだ。これあげようと思って呼んだのに忘れてたよ」
同じく立ち上がったスホーカさんが、私に向かって何か小さなものを放って寄越した。ばらばらと3方向にばらけて飛んでいくそれを、側腕と尻尾も使ってすべてキャッチする。小さな紙に包まれた丸いもの。なんですかこれ、と尋ねる前にスホーカさんはくるりと背を向けた。「おやつ」と言い捨てて、ひらひらと手を振る。
のそのそと屋根伝いに持ち場へ戻っていくスホーカさんを見送って、私は自分の銃座に飛び降りた。自分の身長よりも長いアンチマテリアルライフルをざっと点検してから位置固定ロックを掛け、扉の脇のフックから双眼鏡の紐を取り上げる。二つの接眼レンズを覗き込めば、まだ死んでいない荒野の光景がぐうっと近くなった。
武装特急が動き出す。金属と金属が擦れる不快な音がインカムを突き抜けて鼓膜を引っ掻き、ゆっくりと動き出した重々しい車体のスピードが徐々に上がっていく。
私は双眼鏡を覗き込んだまま、スホーカさんに貰った“おやつ”の包みを開いて口に放り込んだ。かろん、と軽やかな音がして、爽やかな甘い味が口の中に広がる。
「おいし」
私は口元を綻ばせた。ヒモモカトさんの味覚も見習うべきだと思う。カロカロと甘さに浸っていると、私の視線が“人類”を捉えた。双眼鏡を首に落とし、アンチマテリルライフルのスコープを覗き込む。向こうもこちらに狙いをつけているようだった。懲りない連中だな、と思いながらトリガを引く。
どすん、と腹に響く発砲音が轟き、目標は血の飛沫になって弾けた。