最終話 ビンガムキャニオン発、地獄行き ③
針無し注射器で痛みを押し流し、目につくすべての動くものに銃弾を浴びせながら血の痕を追い掛けて歩いていた私は、彼に出会った。
青い青い、サファイアを溶かして梳かしたような鬣。そこに混ざった水晶のような針が涼やかな音を立てる。艷やかな外殻で覆われた扁平な頭の下で、理知的な目はいつもと変わらず穏やかにこちらを見つめていた。
「■■■■、■■■■■■」
知らない言語が、私の知っている声で語り掛ける。私はゆっくりとした動きでポーチからチョーカーを取り出すと、見せつけるようにそれを首に当てがった。透明なバイザーの向こうから、琥珀色の瞳がじっとそれを見ている。ぱちんと、バックルを嵌めた。
ジェーン・ウォーレンとマキナ・イクスの境界はもはや融け落ちかけている。その影響か、私の記憶は断絶していなかった。引き千切った腕の感触も、懇願する声を塗り込める引鉄の感触も、そうして飛び散る青い血も、みんなみんな私の中に残っている。廊下に連なっている血の痕も、今はもう青いままだった。
「おかえり、マキナちゃん」
私がチョーカーを嵌め直したのを見て、私と違う色のチョーカーをつけたスホーカさんは同じ言葉を繰り返す。いつもと変わらない、穏やかな声だった。まるでさっきの虐殺なんか、なかったみたいだった。でもスホーカさんは今まで見た事のないアーマーを身にまとっていて、私の全身は返り血で青く染まっている。私たちはいつも通りで、決定的にいつもとは違った。
私はただいまの代わりに、思った事を口にする。
「死者を悼む習慣は、ないんですね」
「そうだね。不可逆なものを惜しんでいても仕方がないからねぇ」
スホーカさんは鷹揚に頷いた。いつもスホーカさんに感じていた圧倒的な価値観の合わなさは、当たり前のように健在だった。人それぞれ、で処理していたその感覚は、あまりにも大きな断絶だった。今改めて思う。このヒトの目に、この地球はどのように映っているのだろう。答えは知りたいような、知りたくないような気がした。
だから、知りたい事を尋ねた。
「他のみんなは? うちの隊が鎮圧に回されたって聞きましたけど」
「みんな非戦闘員をここから逃がすのに忙しいんだ。誰かさんが殺しまわるから」
「そうなんですか。大変ですね」
医療セクションの冷たい床に転がって、携帯食の味やら武装特急の乗り心地やらについて話していた時と同じような穏やかさで、私たちは会話している。
「いいんですか、ひとりで。その誰かさんは引き続き殺す気満々ですよ」
「いいよ。マキナちゃんを止められるとしたら俺くらいだからね」
私はぱたりと尾を動かした。さっき停止がどうのこうの、と言われた後止まってしまった後、チョーカーを外したらまた動き出した機械の付属品たちは、チョーカーを付けて直してもまだ動いている。訝しむように側腕を動かしている私に、止めないよ、とスホーカさんは笑った。
「地球の習慣でこういうのケットウ、って言うんでしょ? フェアにいこう」
「いつの話ですそれ。古い映画でも観たんですか?」
三歩歩いてズドン、なんてやらないですからね、と言うと、スホーカさんは不思議そうに目を瞬かせた。なんでそこは知らないわけ。
スホーカさんのよくわからない決闘観は脇に置いておいて、私はもう一つ知りたかったことを尋ねる。
「イナータさんって、誰ですか」
何の機能も持たない認識錯誤装置をつけた私を、世界を欺いているんだとみんなに欺かれていた私を、このヒトはそう呼んだ。誰もが驚きを偽って面白がっていたあの瞬間、スホーカさんだけがそうではなかった。
スホーカさんはしばらく答えなかった。琥珀色の瞳が穏やかに思考して、それから私を見る。
「それを聞いて、お前はどうしたいの?」
「わかりません。でも、なんでかな。気になったんですよね」
スホーカさんは扁平な頭を少し傾けた。針がしゃらしゃらと鳴る。
「……いないよ、イナータなんて。みんなと一緒にマキナを見た時になんて名前で呼ぼうか決めた時に適当に決めただけ。楽しかったよ」
「本当に?」
私は揶揄うような、蔑むような、労わるような声で再確認する。琥珀色の瞳が僅かに細まった。
「なら、こういうのはどうかな。イナータは故郷に残してきた俺の小さな妹で、俺が任務を終えて帰ってくるのを心待ちにしてるんだ。なあ、お前たち人類はこういう物語が好きなんだろう? 俺は情報分析官でもあるからね。お前たちの事なんて何でも知ってるんだよ」
饒舌に語る声が、冷たさを帯びて私を煽る。それを燃料にするように、私の心の中にも冷たい炎が燃え上がった。私たちは今、お互いに準備をしているのだ。そしてそれはもう終わろうとしている。
「なんにも知らないくせに」
「知ってるよ。言葉も、生態も、感情も。マキナちゃんの毎日のバイタルデータだって」
「……私は、ジェーンだ!」
私はそう叫んで踏み込んだ。先の切れた私の尾と、スホーカさんの腕のアーマーが激しくぶつかり合って火花を散らす。アーマーの継ぎ目に突き付けたショットガンの銃口を、蜘蛛のような側肢の一本が弾き飛ばした。すかさずそれを即腕でつかみ取る。艶やかな表面が幾層にも重なった側肢がみし、と嫌な軋みを上げたところでスホーカさんが頭を振った。鬣の中で逆立つ毒針が猛烈な勢いで流れてきて、慌てて距離を取る。
「だってねぇ。お前たちの言語の固有名詞って発音しづらいんだよ、じぇーン」
側肢がかつんかつんと床を鳴らす。私が折りかけた一本にはダメージが入っているようで、斜めに引きずって持ち上がらないようだった。歪な発音でスホーカさんが私の名を呼ぶ。ぞわっと背中を悪寒が駆け上がった。
ああ、こいつらはいつも一方的だ。一方的に押しかけて、一方的に殺して、一方的に奪って、一方的に押し付けて。だから私も投げ返された会話を無視して一方的に喋る。
「ねえ、なんで侵略なんてしたんです」
唸りを上げて迫ってくるナイフを、私はブーツの底で蹴り飛ばした。後ろ飛びに数回跳ねて距離を取り、手榴弾のピンを引き抜いて投げる。爆発の瞬間、廊下の曲がり角に身を投じた。避けきれなかった破片が、厚いズボン越しに脛の皮膚を裂く。
爆風の合間から、青い旋風が私を追い掛けて飛び込んで来た。アーマーに守られていない側肢は3本折れ、焼け焦げた鬣の合間からばらばらと砕けた針が零れ落ちる。その頭を横から尾でぶん殴ると、鹿のような脚がたたらを踏んでよろめいた。体勢を崩したスホーカさんを見降ろして、私は畳み掛けるように怒鳴りつける。
「侵略なんてしないでくださいよ。物資が必要だったの? なら仲良くなって、地球で補給して、それから侵略なんてしなくてもいい他所の星に行けばよかったんだ。ねえ、そうでしょ!」
ぼたぼたと青い血が零れ落ちる。嘲笑うような、憐れむような、呆れたような声でスホーカさんは答えた。
「ないよ。そんなもしもはないんだ、マキナ」
「私はっ、マキナ・イクスじゃ、ない!!!」
そう叫んで飛び掛かった私の手元にレーザーの白光が閃いた。即腕が一本切断されて、ジャケットごと私の脇腹を浅く抉る。重量が偏ってバランスを崩した私を蹴り転がして、今度は琥珀色の瞳がじっとこちらを見降ろした。
「お前たちも土地を均して家を建てるじゃない? 土を掘る時、いちいち地虫にお伺いを立てるの?」
「会話も……っ、できない生き物と、一緒にしないでくだ……ぐあ!」
起き上がろうとした私の身体にスホーカさんが脚を掛ける。白光が抉った腹をぐり、と踏み込まれて思わず叫んだ。側肢の尖った先端が頬を裂いた傷を撫でて、チョーカーに触れる。
「俺たちだってできないよ、会話なんて。これのおかげで分かる気になってるだけのくせに。あれだけ騙されてまだ懲りないの?」
「こんの……うあっ!」
踏み付ける脚を絡め取ろうと伸ばした尾が触れる前に、スホーカさんが私の身体を蹴り飛ばした。内臓をまともに潰されて視界が明滅する。毒のせいなのかダメージのせいなのか分からない血の塊を吐き出した。苦しくて目の端に涙が滲む。
「懲りましたよ。許せないし、もう信じられない」
歩み寄ってきたスホーカさんは追撃せず、起き上がろうともがく私を見降ろした。じわじわと流れていった私の血が、折れた側肢から滴る青い血が作る血だまりにゆるく混ざり合う。
「なのにどうして、私に与えた武器を取り上げないんだ。どうして会話に応じるんですか。地虫だって言うなら理解しようとなんてしないでよ」
「言っただろ、俺は情報分析官でもあるの。今のお前はすごくいいサンプルだよ。じっくり観察させてよ」
傷だらけのアーマーの手が私の頬に触れて、顎を掴んで持ち上げた。理知的な瞳が、冷たい知的好奇心を灯して私を見る。覗き込まれた私の目から、ぼろりと涙が溢れた。
「嘘吐き。このクソったれの大嘘吐き。あなたのこと、嫌いじゃなかったのに」
「行動選択のベースが論理的思考じゃなくて感情に依るところが、お前たち人類の脆弱性だね」
穏やかな声が徹底的に私を突き放す。あなたが情報分析官だと言うなら、今まで人間の習性を踏まえた上で私にあんなふうに接していたなら、今あなたはそうすべきではないはずなのに。ああ、嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き。
顔を掴む腕に尾を巻き付ける。アーマーからはみしみしと骨が軋むような音がした。ああ、こいつのせいで。こいつらのせいで、私は何人も、何十人も殺す羽目になったのに。大切な人たちを、好きだったひとを、この手にかけたのに。憎くて、許せなくて、頭が沸騰するほどの殺意を向けているのに、私はこの戦いを永遠に終わらせられないような気がした。
めぎ、と嫌な音が響いて、顔から手が離れた。覗き込むような姿勢のスホーカさんの体躯を側腕に握っていたショットガンで殴り飛ばして距離を取る。スホーカさんは酷くへこんだ腕のアーマーを少しだけ見てから、逆側の腕にナイフを構えた。ぶぅん、という虫の羽音のような振動音と共にその刃が青く輝き出す。
ショットガンを両手に構えた。床を蹴る。正直なところ勝算はなかった。青く輝く刃が首に迫る。それでも身体を前に進めて、側肢がジャケットとその奥の肌を切り裂くのにも構わず、滑り込むようにスホーカさんのヘルメットの真下の隙間にショットガンの銃口を突き付けた。
だぁん、と銃声一発。ヘルメットが弾けて宙を舞う。琥珀色の瞳が片方、青いシャワーに呑まれて消えていくのを、私は呆然と見つめた。私の首を飛ばすはずだった青く輝く刃が、震えながら床を滑っていく。スホーカさんの腕が私の襟首を掴んで引き寄せる。顔半分を吹き飛ばされた頭が近くなって、異星の言葉が耳に囁いた。
「俺も君のことが、嫌いじゃなかっ、た、よ。マキナ」
思考がひび割れる音がした気がした。私は絶叫しながら、残りの弾薬をすべてスホーカさんの身体に叩き込む。どこが急所かわからないから、全部をぐちゃぐちゃにするしかなかった。即腕がアーマーを引き剥がして、そこにまた撃ち込んで、鉄と火薬と、ありったけの憎悪で、跡形もなくなってしまえと願いながら。




