最終話 ビンガムキャニオン発、地獄行き ①
針無し注射器を首に押し当てる。瓶の中のカプセルは残り少ない。これがなくなった時が私の終わりかもしれない、という考えがかすかに頭をよぎった。
薬が切れると倦怠感と頭痛、それに吐き気が酷くなる。これはあの沿線に振り撒かれた毒の影響だった。薬が効果を発揮する期間は徐々に短くなっている。これは一時的に身体を動かすための劇薬であることを、私はもう理解していた。
この復讐を終えた先の世界に、きっと私の未来はない。ジャケットの下に隠れた腕の皮膚には、黒ずんだ痣のようなものが広がりつつある。これは連中の毒の末期症状なのだとジェーンが教えてくれた。残された時間は、きっともう長くはない。
まあ私に残っていないのは時間と未来だけではない。希望も、救いも、そして安らぎも、もう何もない。だって、それは全部自分が壊してしまったんだから。
ぷしゅっと高圧ガスが薬剤を押し出す音が疼痛と懊悩を押し流す。構いやしない。何も残っていないということは、失うものもないということだ。
怒りと憎しみが身を焦がす。冷静に整った頭の中に燃え盛っているそれは、いつか読んだお伽噺の中に出てくる冷たい炎のようだった。ひんやりと冷たく美しいそれに手を差し入れると、いつの間にかこんがりと焼きあがってしまう破滅の罠。
いつも武装特急が下っていく線路の横を、サスペンションのへたった装甲車で下っていく。悪路がダイレクトに背骨を揺らす感覚にしばらく身を委ねていると、線路の端に止まった武装特急が見えてきた。この巨大なすり鉢の底に、私の地獄が待っている。
私は車を止めて、じっと毎日を共にした車両を見上げた。私のための実験場。口の端から笑いが漏れた。私がこれから成すべきことを成したとしても、それはきっと誰の記憶にも残らない。巡り巡って、なんて相応しい名だったのだろう。忘却にひらりと手を振って、私はアクセルを踏み込んだ。
* * *
持てるだけの武器を持った。たすき掛けに幾重にも重ねた小銃が背中でぶつかり合ってガチャガチャと音を立てる。体中が銃器まみれだ。ずっと昔に、コメディタッチの古い戦争映画で同じような光景を観たことがあった気がして、くすりと笑いが漏れた。
せっせと車から降ろした武器を身に着けている私を、半分眠った爬虫類のような趣の守衛がじっと見ている。私を見るなり、「なんだ、あのバッジ外しちゃったのか? 面白かったのに」といけしゃあしゃあとのたまった後は、特に干渉してくる様子はなかった。
私はガシャガシャと不穏な音を立てながら守衛に近付くと、両手を広げてその眠そうな目の前に銃器まみれの自分の姿を見せびらかしに行く。
「じゃーん! 見てくださいこれ、全部戦利品なの。すごいでしょ?」
「……分けて運んだら?」
「ヤです。私の戦果ですもん。見せびらかしたいんです。認めてくれるヒトは多いほうがいいでしょ?」
鼻息荒く得意げに主張してやれば、守衛は眠そうな目を欠けた月のような形に歪めた。
「やれやれ。今回の任務が決まってからずっとハイテンションだなあ、お前」
「だって、特別な仕事ですもん。ふふん、ルーティンワークじゃない、私だけの特別な、ね」
「……喧嘩売ってる?」
ジョーダンですぅ、とカラカラ笑ってするりとその横をすり抜ける。背を追いかけてくるのは呆れた雰囲気のみで、どうやら疑いの目は向けられていないようだった。軽薄な笑みを顔面に張り付けたまま、心の中で小さく息を吐く。チョーカーが外れたことが検知されるかどうかは賭けだったが、どうやら一つ目の賭けには勝ったようだった。
しんと静まり返った廊下を歩く。まるで誰も居ないかのようだった。この場所は採掘と研究のためのサイトだ。もともと駐留している人員はさほど多くはない。だがこのサイトのどこかには人間を捕らえて実験をしている区画があり、そこで問題が発生した場合に備えての鎮圧部隊が居るずだった。連中は脱走に備えていつもサイトの中をぐるぐると巡っており、こうも誰にも会わないのは珍しい。
そんなことを考えながら歩いていると、唐突に進行方向の側面の扉が開いた。中空に浮かぶ四角く光る領域に視線を落とし、ぶつぶつと呟きながら出てきた研究員に話しかける。
「あの」
「わぁ!? ……ま、マキナ?」
そいつは情けない悲鳴を上げて飛び退った。光の領域が掻き消えて、こちらを向いた6つの目がぱちくりと瞬く。
「何ですか、幽霊でも見たような顔をして」
「ゆ、ユウレイ? い、いや、帰ってると思わなくて。び、びっくりした……」
私からじりじりと距離を取りながら、そいつはぎこちなく応じた。開けられた距離を詰めるように一歩踏み出すと、ひょろ長い身体がびくんと震える。
「ぶ、物騒だねなんか……」
「ああ、これですか? コロニーB22の戦利品です! 見慣れないものもいっぱいあったんでとにかくたくさん持って帰って来たんですよね。よかったらちょっと研究部門で見て貰えません?」
「う、ん……? 現地生物の武装はもうだいたい……わ、わかった、わかった! 部門のみんなに声掛けるからそれを僕に近付けないで!」
わざとグレネードランチャ―の砲口を向けてずいっと差し出すと、細身の研究員は尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げて身を捩りながら私の提案を呑んだ。私はにっこり笑ってグレネードランチャーを担ぎ直す。
「いっぱいあるんで広めの場所に持っていきますね。演習室3番とかどうですか」
「演習室3ね。わ、わかったよ」
「ところで、鎮圧部隊の皆さんが全然見当たらないんですが何かあったんですか?」
そのまま去ると見せかけておいて、思い出した風に私は尋ねた。
「ああ、マキナがコロニーB22を殲滅に行ったから捕獲計画が凍結されちゃってね? Universe13も終わっちゃったから今うちに収容されてる"人類"、ほとんどいなくてさ。なんか他のサイトで手が足りてないらしくてね、ほとんどそっちに取られちゃったよ」
少し距離を取ったことで落ち着いたのか、出てきた扉の中に半分身を隠した研究員はぺらぺらと饒舌に語る。耳慣れない単語に私は眉をひそめた。
「Universe……13?」
「うん? 生態調査のための箱庭実験だよ。あれくらいの破綻で処分しなくたっていいのにさ……。はぁ、次の早く仮説検証やりたいのになぁ。14サイクル用の素材はいつ来るんだろう……」
ぺらぺらと饒舌に喋るその口をじっと見つめる。今の私がジェーンじゃなくてよかった。ジェーンだったらここでおっぱじめていたかもしれない。歪んだ世界のレイヤから真実を見降ろしている私ならまだ、冷たい炎に身を浸していられる。私はふうん、と興味なさげに相槌を打った。
「部隊ごと異動しちゃったならしばらくは無理なんじゃないですか? 襲撃とかあったらどうするんでしょうね」
「そうなんだよね、この間も侵入されたばっかりでしょ? なのにみんな移動させちゃってさぁ……。まあしばらくは武装特急の部隊も鎮圧に回ってくれるんだって聞いたよ。そういう意味じゃマキナが帰ってきたのも有難いや。……ああそうだ、武装の検証だったよね」
よく回る口がようやく止まる。そそくさと室内に戻っていく後ろ姿に、私は穏やかな声を投げかけた。
「はい、演習室3で。先行ってますね」




