第1話 武装特急オブリビオン
規則的な振動が体を突き上げ、背骨が揺れる。見渡す限りの荒野を突っ切って引かれた線路の上を、重々しい装甲で覆われた列車がひた走っていく。
「マキナ、様子はどうだ?」
デッキの柵に上半身をもたせかけて双眼鏡を覗き込んでいる私に、車両の小窓から目だけを覗かせてヒモモカトさんが声を掛けた。トゲトゲとした触覚の先端についた、クロムイエローの眼球が忙しなく揺れている。
「また目だけ出して。いつか潰れても知りませんよ」
つい先日、この小窓にご自慢の目を挟み掛けていた姿を思い出して、私はちくりと皮肉を言うと双眼鏡に視線を戻した。地平線の先にはくすんだ緑色のサボテンがしょぼくれた姿を連ねているが、動く生き物の気配はしない。かつてこの地平線の先には街があったはずだが、すべては侵略と言う名の車輪に轢き潰されて、それとわかる形を見出すことは既に出来はしなかった。
「お猿さんたちの気配はありませんね。平和なもんです」
「そいつは結構」
ヒモモカトさんがそう言った瞬間、しゅぽん、と軽い音と共に列車が線路に対して垂直に揺れた。一拍置いて、ごつごつとした地平線に突き出た稜線の手前でオレンジと白を混ぜたような閃光が爆ぜる。小窓から突き出ていた目がびたんと壁面にぶつかる音がして、ヒモモカトさんが悲鳴を上げた。
「おいスホーカが撃ってるぞ」
「いや何もいませんでしたって。スホーカさんすぐぶっ放すし、どうせ今日も無駄撃ちでしょ」
「どうだか。お前の見落とし癖もなかなかだと思うがね」
うるせぇな。そのクソッタレな目を伸ばして自分で見やがれ。
喉の手前まで上ってきたその台詞を呑み込んで、私は尾を柵に巻き付けて身を乗り出し、爆煙たなびく地点に双眼鏡を向けた。赤みがかった岩肌が崩れて、低い灌木の茂みの横に小さな山を作っている。その山の下からじわじわと粘性の液体が染み出しているのを見て、うんざりとした気持ちで息を吐いた。
「誰が無駄撃ちだって?」
インカムからざらついた音声が流れ込む。
「盗み聞きだなんて、人が悪いですよスホーカさん」
「垂れ流しといて盗み聞きもクソもないのよ、マキナちゃん。お前ねぇ、ちゃんと観てないといつか頭吹っ飛ばされるよ」
「無理です無理無理。スホーカさんみたいに遠距離熱感知とか出来ないんですってこっちは」
「おっ、またいた」
しゅぼん。車体が揺れる。小窓の内側に吸盤が貼り付き、ぴしゃんと閉まる音がした。ヒモモカトさんは覗くのをやめたらしい。私は双眼鏡を覗いたまま顔を顰めた。どうみても4つ足の生き物だったぞ、今のは。
「ちょっと。ただの鹿ですよ今の。可哀想に、ここんとこめっきり見なくなってたってのに」
「あれ、そうだった?」
「その調子じゃ、さっきのが“人類”だったかも怪しいですね」
見分けなんてつかないよー、とスホーカさんがうそぶく。これだから熱感知野郎はいけない。体温が高ければ何でも撃てばいいと思ってるんだから、私もいつ撃たれるか分かったものではない。
「まあ全部殺しとけば安心でしょ」
「雑だなぁ」
「この武装特急を守るのが俺らのお仕事だもん。マキナちゃん、疲れてるんでしょ。ケントユヌサラモラもいるし、ちょっと休憩していいよ」
「やった、スホーカさん大好き。いやースホーカさんがなんでも撃ってくれるから安心だなー」
「ねぇさっきと真逆の事言ってる自覚ある?」
ざらざらとしたスホーカさんの呆れ声を黙殺して、双眼鏡の紐を扉の脇のフックに引っ掛ける。銃座のアンチマテリアルライフルから側腕を離し、ロックを掛けると鋼鉄の棺桶のような車両の丸いハンドルに手を掛けた。
金属がぎちぎちと砂を噛む感触が、不快に背骨を撫で上げる。自慢の尾と両足を踏ん張り、黒光りする側腕も手伝って腕4本分の力を込めれば、悲鳴のような軋みを上げながら錆の浮いたハンドルはゆっくりと回り始めた。勢いを殺さず回し切り、これでもかとビス止めされた重い重い扉を引き開ける。
車両に体を突っ込み、尾で扉を閉めようと引っ張っている私を、ヒモモカトさんが呆れ顔で振り返った。
「この車両の側面に電子錠のついたワンタッチで開く扉がある事をいつになったら覚えるんだ、マキナ」
「カッ飛ばしてる武装特急の側面を歩くなんて御免ですよ。目の前に開けられる扉があるんですからそっちから入ります」
「あーやだねぇこれだから脳筋は」
「ヒモモカトさんはちょっと虚弱すぎじゃないですかね」
「俺はいいんだよ、頭脳労働が仕事なんだから」
でっぷりとした重そうな体から伸びた、無数の吸盤が連なる触腕が不愉快そうに揺れる。水面に工業油をこぼしたように淡く虹色に色彩が揺らぐ吸盤に触れようとすると、ヒモモカトさんは素早い動きで触腕を引っ込めた。
「メスのくせに気軽に触るんじゃないよ。相手が相手なら種が混ざるぞ。相変わらず常識のないやつだな」
「いやだからその常識ってやつ、抜けちゃってるんですって。すいませんねどうも」
触腕をすべて引っ込めたヒモモカトさんが、触覚の先の目だけを伸ばしてぎろりと私を睨みつける。単為生殖できる体のクセに何を照れてるんだか、と思うが常識知らずと言われては返す言葉がない。なんせ私の頭からはここ数年の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。お陰でヒモモカトさんからはしょっちゅう常識知らずと罵られている。ヒモモカトさんは何故かやたらと常識にうるさい。
常識なんて無くてもいいじゃないか、と私は頭の中でぼやいた。口に出さないのはヒモモカトさんが鬱陶しいからだ。
なんたって私を含めた特殊戦闘部隊35分隊の仕事はこの武装特急を守り抜くこと。守るといえば聞こえはいいが、やっている事といえば現地住民である知的生命体の虐殺でしかない。常識がなんの役に立つというのだろう。
私達は侵略者だ。この地球という星を奪いにやってきたならず者。最近の記憶はなくとも、それくらいは分かっている。ああ、懐かしの母星。こんな屑みたいな仕事はさっさと終わらせて、狭くて居心地の良い私のコンパートメントに帰りたくて仕方が無かった。
そのためにはクソったれの異星人どもを皆殺しにし、この惑星を我らの手中に収めねばならない。奴らが居なくなれば私はお役御免だ。それだけが私の心の奥底に、ナイフで刻み付けられたかのようにくっきりと鮮明に残っている認識だった。
ヒモモカトさんの作業デスクの横にある小さな冷蔵庫をあける。緑の光と共に白い蒸気がふわりと溢れだした。その奥に手を突っ込み、きらきらとした虹色の液体で満たされた瓶を取り出す。ひゅぽんと栓を引き抜けば、ぱちぱちと小さく泡が弾けた。
「あっ、オイそれ俺の──」
伸びてきたヒモモカトさん触手をひょいと躱して瓶の端に唇をつける。喉を鳴らして飲み込めば、ごってりとした甘さの奥に苦さと酸っぱさを併せ持つ液体が、弾けて踊りながら喉を滑り落ちて行った。
「まっず」
「じゃあ飲むなよ! 俺は好きなのそれが!」