第17話 ここは地獄の最下層 ③
──……撃たれた!
そう思って咄嗟に触れた首筋には、包帯が巻かれている。
エレメンタリ・スクール用の教科書が並べられた机の前に置かれた子供用の小さな椅子に、私は座っていた。首に触れていないほうの手からかさりと紙の音がする。手が握っているのは銃ではなく何かが書かれた紙だった。……一体どういうこと?
紙の上に連なる文字列に、私は目を落とす。
── こんにちは、マキナ・イクス。まずは任務達成おめでとう。
マキナ? 頭の中の警戒レベルが跳ね上がる。何故、その名を。
── 名前が書かれていて驚いた? 警戒しているね。わかるよ。でも安心して、私は敵じゃない。あなたを手当てしたのは私。殺すつもりならとっくに殺してる。
頭の中を覗かれているようで気持ちが悪い。安心なんてできるものか。敵じゃないだって? 言葉でなんて何とでも言える。反射的に紙を握りつぶそうとした私の目に、次の一文が飛び込んだ。
── この文字にだって見覚えがあるでしょう?
握りつぶそうとした手を、どうしても閉じることが出来なかった。そうだ、これは私の字だ。騙されるな、と喚く警戒心を私はなだめた。少なくとも文字で人は殺せない。これが何かの罠だとしても、読むだけならば。
── あなたに伝えなければいけないことがある。あなたは騙されてる。オブリビオンはあなたの本当の居場所じゃない。ヒモモカトさんも、スホーカさんもみんな嘘つきだ。
騙されてる? 私が? みんなに? お前にではなくて?
何故武装特急の名前を知っている。ヒモモカトさんの、スホーカさんの名前を。拷問の末に吐かされでもした? でも手当された傷はすべて今夜の殲滅戦で受けた覚えのある傷で、拘束されている様子も閉じ込められている様子もない。訳がわからなかった。
── 私の言葉を証明する方法がひとつだけある。あなたは平衡感覚を失ってなんていない。チョーカーを外しても、立ち上がれなくなったりしないよ。騙されているあなたから、本当の私に戻るだけ。
私の指がチョーカーに掛かる。つるりとした表面を、指の腹がゆっくりと撫でた。最後の発砲から今まで、記憶は断絶している。"人類"達を殺し尽くした居住区に私は居なくて、傷が手当されていることからそれは明らかだ。その断絶の合間に、私が、これを、書いた?
バックルの小さなでっぱりを爪の先で引っ掻きながら、私は最後の一文を読む。
── マキナ・イクス。お前が臆病者でないならば。それを、外してみろ。
……明らかな挑発。一つの可能性に思い至って、私はふふ、と笑った。
いったい誰? 私についてきたの。そもそも一人でコロニーを潰せなんて指令、おかしいと思っていたんだ。きっとこれはテストみたいなもので、私についてきたヒトが私の仕事を見届けて、治療して、最後の仕上げにこのふざけた悪戯を仕掛けに違いない。そうでなければこんな荒唐無稽な怪文書がここにある説明がつかない。
私が外さないと思っているな? 度胸試しなら乗ってやろう。そうして派手に転んで、慌ててすっ飛んでくるそいつの顔を拝んでやろうと思った。
バックルに押しあてた指に力をこめる。かちり、と小さな音を立ててそれはあっさりと外れた。
* * *
寝具の中で私は覚醒した。
ベッドの脇に、折りたたまれた紙が置かれている。
──おはよう。マキナ・イクス。
高いところにある窓から、光が漏れ落ちていた。朝。また記憶が断絶している。苦々しい気持ちで紙を手に取って開いた。
── 残念だけど、これは悪戯ではない。
私はうんざりと息を吐いた。ネタばらしというものは、ネタが割れたらすぐにするべきだ。しつこいのは面白くもなんともない。
そう思いたいだけでしょう? と誰かが密やかに耳元で囁く声には聞こえないふりをした。
── あなたが何をしたのか、もう一度その目で全部見て。
── ジェーン・ウォーレン
最後の記名は流石に趣味が悪い。今日の怪文書はこれで終わりのようだった。成果を確認しろということだろうか。確かに任務の完了には報告が必要かもしれない。だけど、こんなゲームじみたやり方でやらされるなんて。
私は溜息をついてベッドから滑り降りた。ジャケットを羽織って、ブーツを履いて、死体をカウントしながらコロニーの中を一通り歩く。仕事はきちんとやり遂げられていた。もう帰ってもいいだろう。装甲車に乗り込んでエンジンを掛ける。コロニーの門から出て、来た道をほんの少し走ってから振り返った。誰がついてくる様子もない。
ぐるりと拠点の周りを一周走ってみた。誰もいない。もううんざりだった。私は車を止めた。そしてバックルを外す。
* * *
こんもりと盛られた土の前に私はいた。
土の塚の上には大きな金属板が突き刺さっていて、そこには鋭利なもので引っ掻いて書かれた文字が刻まれていた。金属板には4つに折られた紙が括りつけられている。
──あなたたちはこんなことをしない。
折られた紙の一番上にはそう書かれていた。金属板に刻まれているのは名前だった。
タイラーの名前があった。デリックの名前があった。文字列を目で追いながらその数を数える。私がコロニーの中を歩いて数えた死体の数と、同じ数だけの名前が刻まれていた。
私の側腕は、土にまみれていた。
紙を取って開く。短い言葉が二つ書かれていた。
──目をそらさないで。
視線が揺らぐ。私を形作っている土台が揺らぐ。積み上がり続けてきた小さな違和感が、私に向かって牙を剥く。
──答え合わせをしましょう。
胸の底に、大きな塊が栓のように頑なにわだかまっているようだった。私はその合間から細い息を吸い込んで、コロニーの中へ足を向ける。死体がなくなったコロニーの中には、それでもまだ濃い死の香りが満ちていた。
エレメンタリ・スクール用の教科書が並べられた机の前に置かれた子供用の小さな椅子に座る。ペンを取った。
答え合わせをしましょう。そう書かれた文字の下に、私は文字を綴る。




