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第17話 ここは地獄の最下層 ①

 かひゅ、と細く息の漏れる音がまだ温かさを残した血溜まりに跳ねた。私は弾かれるように顔を上げる。


 ──まだ、誰か。


 必死で左右を見回す。ひしゃげた人体と肉の破片があちこちに散らばって、どの目にも光は残っていなくて、そして誰も動かなかった。静寂の視界に、拡張視界(オーグメント)が小さな方向表示をぽつんと灯す。慌てて表示を追い掛けたその先には、小さな背中が倒れていた。

 駆け出そうとして、ぬめる血だまりに足を取られて転ぶ。無様だな、と私の少し上から冷静に私を見降ろしている私がせせら笑った。どの面下げて駆け寄ろうっての?

 体に力が入らない。何度も膝を付きながらにじり寄った小さな体を抱き上げる。利発な輝きを宿していたはずのグレーの瞳は、どの位置にも焦点を結ばずに濁っていた。血に濡れた唇のあわいから、今にも消えてしまいそうな細い喘鳴だけが漏れている。


「ティモシー。……ティム、ティム」


 未発達の少年の身体の、薄い胸を貫いたタクティカルナイフは肺を深く刺し貫いているようだった。私はおろおろとそれに手を掛けて、そうしてどうしようもなく手を離す。ああだめだ、抜いたら死んでしまう。

 抜かなくたって死ぬよ、と私の上に薄く漂っているマキナ・イクスの虚構が嘲笑(わら)った。分かっている。分かってしまう。毎日、毎日毎日、殺すために殺していた私にはそれが分かってしまう。

 利発な子だった。優しい子だった。頑張り屋で、少しやんちゃで。銃の撃ち方を教えろと、粘りに粘れられて、私が根負けして。

 銃を構えたティモシーは、弟を自分が守るのだと言っていた。ふわふわした髪の、小さなロニ。ああ、あの子はどこで死んでいるんだろう。


「……二……」


 喘鳴の合間に、小さな小さな声が交じった。よく聞き取れなくて、薄く開いたままの口に耳を寄せる。


「──────かえせ」


 微かな声が鋭く私の鼓膜を貫いて、そしてそれが最期のひとことだった。手のひらに落ちた淡雪が溶けてなくなるように、ふっと喘鳴が消える。抜けていく魂を逃がしたくなくて、私は小さな体を強く強く抱きしめた。だがずしりと重くなった小さな肉体からは、無慈悲に熱がほどけていく。

 頭が割れるように痛い。どうしようもなく寒かった。誰も彼もが死んでいる。私に熱を分け与えてくれる人はもう誰も居なかった。

 ティモシーの身体をそっと地面に横たえる。その傍らに落ちた拳銃を手に取った。殺すために作られた機構はずっしりと重い。そんなことも私は忘れていた。

 冷たいバレルを、口の中に押し込んだ。銃口を上に向けて、きちんと弾が(わたし)まで届くように。指がゆっくりとトリガを絞る。ここで頭の中身をぶちまけて、みんなの後を追い掛けよう。……いいや、無理だ。私とみんなでは行く先が違う。

 私は地獄に落ちるだろう。でも、そこでどんな責め苦が待っているとしても、ここよりよっぽどましだった。カチン、と引き切ったトリガが軽い音を立てる。カチン。カチン、カチン。カチン。何度トリガを引いても、私の中身は私の中に納まったままだった。

 あぁ、そうか。ここが地獄の底だから、私はこれ以上堕ちることすら許されないのか。私に(すくい)を与えてくれないバレルを吐き捨てる。血交じりの涎が糸を引いた。

 重みを失った手がひどく震えている。怖かった。そこかしこに転がる自分の罪の重さに押し潰されそうで、逃げられない事に怯えている自分自身さえも悍ましい。

 無意識にポーチを漁った私の手に、針無し注射器ジェットインジェクターが触れた。震える手で取り出したそれはとても軽くて、吸い付くように手に馴染む。とろけるような快感の記憶が、恐怖に凍えて縮こまる心の表面を優しく撫でた。

 分かっている。これはひどい裏切りだと。もしこれが(マキナ)(ジェーン)で失くしていたものならば、私はまた罪を重ねる事になる。

 チョーカーのなくなった首に針無し注射器ジェットインジェクターを押し当てた。冷たいマテリアルの感触が、矮小な私を嘲笑う。

 薬剤を押し出すためのボタンを押す指に躊躇いはなかった。正しさも信念も贖罪も、そういった何もかもを押し退けて、今はただ逃げ出したかった。


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