第15話 ジェーン・ウォーレン ①
ジェーン・ウォーレンという名の女性が、このコロニーB22に所属する"人類"達が私に見る幻想のようだった。今朝の出発前には実に様々な名で呼ばれたので、かなりの枚数の仮面を使い分けることを覚悟していたのだが、蓋を開けてみればどいつもこいつも私の事をジェーンと呼ぶ。親交の深い相手という話だったから、このジェーン・ウォーレンはよほど皆から好かれていたらしい。交わされる言葉の端々からも彼女に対する信頼の強さが伺えた。
念のため一通りコロニーの内部を確認する作業は、そのお陰でひどく楽に終わった。概ね私の記憶と齟齬はない。記憶違いのところについて尋ねれば、大抵の返事は「ああ、そこはお前が居ない間に変わったんだ」。どうやってコロニー内部の情報を仕入れたのか分からないが、うちの諜報部門はなかなか仕事の質が高いらしい。
「今晩から警戒ローテに組み込めって? お前、帰ってきたばっかの身でそんな」
埃っぽい食堂で、ほとんど味のしない薄いスープを啜りながら私の出した提案に、タイラーは呆れたようにぽかんと口を開けた。
「どう見たって人手が足りてない。そんな事言ってる場合?」
「そうなんだが……まあそれでも何とか回っちゃいる。せめて今日くらいはゆっくり休んで欲しいっつーか……」
「いいじゃねぇかタイラー。折角本人がやる気なんだからよ」
ベコベコにへこんだトレイが、投げ出されるような乱雑さで置かれる。薄いスープが跳ね飛んで、皿の横に添えた私の手のすぐそばに落ちた。
「よぉジェーン。マジで帰って来たんだな」
ガタンと引いた椅子に身体をこれまた投げ出すようにだらしなく座った男が、そう言って私の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。このコミュニケーションにはどう反応したらよいか思いつかず、私は曖昧な笑みを浮かべて無精ひげだらけの顔を見返す。そんな私の様子を見たそいつは面白がっているような表情を浮かべると、ぐい、と私の目の前にその髭面を突き付けた。
「ははーん。どうやらイカレエイリアンの野郎にアタマ弄られたって話はホントらしいな? いつもの拳が飛んでこねぇってことは、俺の事まで忘れちまったんかよぅ」
仕入れた情報の中に"人類"の個々の情報は含まれていない。これについては今日一日「異星人に改造を受けた際に何かされたらしく、一部の記憶が曖昧になっている」で乗り切り続けてきた。ずっと私につき歩いていたタイラーを筆頭に、その言説は驚くほどすんなりと受け入れられている。これほどの信頼を得ているジェーン・ウォーレンの、かつての献身にはほとほと感謝したい。
男は流れるような動きで身体を摺り寄せてから、私の肩を抱き寄せた。砂埃と汗に乾いた血の混じった臭いが、つんとした刺激になって鼻を刺す。男は私の耳に唇を寄せて、囁くように語り掛けた。
「なあホントに忘れちまったのか? 恋人の顔までさ……」
「ああクソやめろデリック! お前全然そんなんじゃねぇだろ!」
向かいに座っていたタイラーがそう叫んで立ち上がった。可哀想なくらいにボロボロな机がガタンと揺れて、食器同士がぶつかる音が響く。途端にぱっと肩を抱いていた手から突き飛ばすような形で私は解放された。危うく椅子から落ちそうになって思わず側腕が出る。クソ、馬鹿力だな。
顔を真っ赤にしているタイラーを指さして、デリックと呼ばれた髭面は心底おかしそうに笑い始めた。
「だっはっはっは! タイラー、お前がグズグズしてんのが悪ィんだぞ。ジェーンのアタマがカラッポになっちまった今なら、こうやって誰に掻っ攫われてもおかしかねぇーんだからな」
ああいやその前にクソエイリアンどもに掻っ攫われたか! と言ってデリックはまた爆笑する。何がおかしいのかさっぱり分からなかったが、デリカシーという言葉とは無縁なヤツなのだろうなという事だけは分かった。
タイラーが大声を出したおかげですっかり人の目を集めてしまっているが、その視線の大半は呆れたような面白がっているような様子で、こいつはいつもそうなのだろうなということ伺わせる。こういう極限状態の場所で、こうした底の抜けたムードメーカーは貴重だ。コイツは早めに殺しておくと色々とやりやすくなるかもしれない。
まあそれよりも分かりやすいのはタイラーだ。なるほど色恋沙汰とは、ジェーン・ウォーレンもなかなか隅に置けない。私の言う事をいちいち何でもすんなり飲んだのにもこれで納得がいった。
タイラーはむっつりとした様子で腰を降ろすと、スープに浸しっぱなしになっていた堅パンをスプーンの先でつつく。
「このバカの言う事なんざ気にするな、ジェーン」
いや、これは未満だな。「お前ら素直じゃねーからなー」とバリバリと堅パンを噛み砕きながらデリックが茶化しているところを見るに、お互いにといったところだろうか。これはこれで使いでのありそうな情報だ。バカのノンデリカシーに感謝だな。
「とにかく。私も今夜から警戒に出るから」
色恋の話には一切触れずに強引に話を引き戻した私に、タイラーは少しだけ寂しそうな顔をした後、ぽつりと「分かった」と呟いた。




