第13話 栄光の階段に足を掛けろ
意気軒高! 今の私の状態を一言で表すならそんな感じ。身体に不調なんてひとつもなくて、足取りはうきうきと軽い。雲の上を歩いているとしたらこんな感じなんじゃないだろうか。
「マキナでーす」
呼び出されたヒモモカトさんのオフィスの扉を、私は元気よく引き開けた。いつも武装特急のデスクに居る印象のヒトだが、ちゃんと自分の部屋を持っている。ごちゃごちゃと散らかったきったない部屋だ。でっぷりとした巨体がもぞもぞと動き、ぴょこんと飛び出したクロムイエローの眼球がふたつ、きょろりと私を見る。
「お、来たか。……ご機嫌だな」
「そりゃあもう。すっかり元気いっぱいのマキナさんですとも」
いえい、とブイサインを作ってびたんびたんと尾を跳ねさせる。空のボトルが黒い尾に弾かれてすっ飛んでいくのがなんだかおかしくて、くすくすと笑った。ヒモモカトさんは巨腹を揺らして近寄ってくると、じいっと私を覗き込む。ああ、触覚のトゲトゲが今日もトゲトゲしていてトゲトゲだ。
「昨日の今日でまあ……よく効いてんなぁ」
「なにがですー?」
「何でもねぇよ。昨日はよくやったな。大戦果だぞー」
昨日。昨日。すっきりと真っ直ぐに整った記憶を遡る。
そうだ、殺してやった。奴らを。撃って、突いて、裂いて、締めて、折って、投げて、叩きつけた。みんな、みぃんな殺してやった。
相互理解も、倫理観も、憐れみも。とうの昔に捨て去った。うきうきと弾んでいた心の中に、憎悪の炎が燃え上がる。今なら焼き尽くせそうな気がした。何もかもを。万能感と憎悪が心地よく絡み合って、私は芝居がかった敬礼をして見せた。
「任せてください。奴らの殲滅こそが私の存在意義です。幾らでも殺します」
「お、おう。やる気満々で結構だよ」
褒めたくせになんだか引いている様子のヒモモカトさんにちょっぴり腹が立ったが、まあそんなのはどうでもいいことだった。
「新しい任務を頂けるって聞きました」
「うん、うん。そうだ」
ヒモモカトさんは頷いて、触手の先でデスクの上で淡い燐光を放っている四角い領域に幾つか触れた。
「お前が昨日見せた白兵戦での働きが素晴らしい評価を得たぞ。今回の任務はそれを活かせる仕事で――お、すごいぞマキナ。この任務を成功裏に終わらせれば、素晴らしい栄誉がお前を待ってるってさ」
栄誉! なんて甘い響きだろう。仕事をこなして与えられる輝かしい誉れ。つまり私は今、栄光の階段に足を掛けているわけだ。どんな仕事だろう。是非とも頑張らなくてはいけない。まだ任務の内容も聞いていないのに心はうきうきと弾んだ。そうだ、栄誉を得ればあの安らかな母星にまた帰ることだってできるかもしれない!
「マキナ・イクス、謹んで拝命いたします」
「こーら、話は最後まで聞け。まだ任務の内容も伝えてないよ」
「そうでした」
「ご機嫌なのは結構だが、落ち着けよ。うん、そうだな。そこに座れ」
水面に工業油をこぼしたように淡く虹色に色彩が揺らぐ吸盤が、ひっくり返って置かれている武骨な箱を指さした。はぁい、と返事をして大人しく腰を落ち着ける。座ると確かに浮足立った気持ちも少し地についたような気がした。きりりと眉を引き締めて、ヒモモカトさんの巨体を見上げる。
「お前の次の任務は、コロニーB22への単独潜入任務だ。昨日見せてくれたあの白兵戦能力なら、単独で十分に内部の殲滅が出来ると試算が出た」
「コロニーB22。殲滅。……ひとりで?」
ヒモモカトさんの言葉を断片的に繰り返して、私は少し考えこんだ。ひとりで。いくらなんでもさすがにちょっと無理がない?
あからさまに不満を顔に浮かべた私に、ヒモモカトさんは虹色の吸盤をぐねぐねとくねらせた。あは。ヘンな動き。
「話は最後まで聞け。任務にあたってお前にはコイツが支給される」
ヒモモカトさんの触手が、なにかぽいと小さなものを私に投げ残してきた。ご機嫌な尾がそれを掴み取る。私はそれを手に落として、とっくりと眺めた。つるりとした表面の愛想のないデザインのそれは、小さなバッジのようだった。
「なんですかこれ?」
「それはな、認識錯誤装置だよ。裏側にスイッチがあるだろう。そいつを付けてスイッチを入れると、なんとお前は連中から見るとお仲間に見えるって寸法だ」
「認識錯誤装置……」
狐につままれたような気分で私は小さなバッジを眺めた。裏に返すと確かに小さな小さなスイッチがある。かちりとそれを押し込むと、艶やかな表面にぽつんと血の一滴が滲むように赤い光が灯った。胸元につけようとごそごそやっている私に、ヒモモカトさんが笑いを含んだ声で言う。
「そいつには面白い機能があってな。それを付けてるヤツがお前を見ると、親交が深い相手だと誤認するんだ。——おお。お前今俺の故郷のデーヤンと同じ姿に見えてんぞ。尻尾生えてるけど」
私は自分の身体を見降ろした。いつもと変わらない私自身の姿に、黒光りする側腕と尾。自分から見た自分はそのままの姿なので、なんだか少し信じられない気持ちだった。
「何にも変わりませんけど」
「そりゃそうだお前、自分まで騙してどうするよ。ぷ、くく、デーヤンに尻尾が生えてる。あ、ちょっと動かすなよ笑っちゃうだろくくく」
デーヤンさんとやらに尻尾が生えている姿はよほど面白いらしく、ヒモモカトさんは腹を抱えて笑っている。楽しいのは結構だが、"人類"には側腕も尻尾もない。こんなお粗末な装置じゃあすぐにバレちゃうんじゃないの?
「ああ、それは問題ないと思うぜ。お前はこう言えばいい。『これは異星人の兵器で、私はこれを奪ってきたんだ』と。お前は間違いなく連中のお仲間に見えるんだ。きっと受け入れてくれるさ」
そんなもんかなぁ。まあ、きっとそんなもんだろう。なんたって相手は右を見ても左を見ても同じパーツを並べた原生生物たちだ。私たちの技術レベルに疑問を抱くべくもないはずだ。しかしこんな小さなバッジにそんな機能を詰め込んでしまうなんて、流石母星の技術はすごいなあ。
栄光が私を手招いている。憎悪の炎が渦巻いている。奴らを皆殺しにすれば、この炎は消えるだろうか。これが終われば、私はきっと穏やかな日常に帰れる。最高の仕事だ。ああ、最高の。最高の仕事だ!




