第12話 夜と朝のあわいに
両の手はべっとりと真っ赤な血に染まっていた。濃厚な死の香りがたちのぼる。ノイズ。右にも左にもバラバラになった人体の欠片が散らばっていた。ノイズ。
その中にプロワリアの頭を見つけて、私はそれを拾い上げた。ノイズ。濁った眼には小さな蝿が止まっていて、手で追い払うとそいつはしぶしぶと肥った身体をもちあげる。ノイズ。ぶうん、と耳障りな音がして蝿がいなくなると、濁った眼がきょろりと動いた。ノイズ。
「どうして」
空虚な口がぽかりと開き、呪いのように言葉を吐き出した。ノイズ、ノイズ、ノイズ。私は思わず悲鳴を上げて頭を取り落す。ぼとり、と落ちた頭は鈍い音を立てて割れて、中からどろりとした赤黒いものが溢れ出した。ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ。ああ、私はなんてことを。ノイズはどんどんひどくなり、視界が引き裂かれるように歪んだ。すべてが赤と黒の入り混じった砂嵐に覆われていく。
「──────っ!!!」
びくん、と体を震わせて私は目を開けた。清潔に保たれた鈍い銀色の天井が私を迎える。一瞬悍ましい色彩が脳の表面を引っ掻いたような気がしたが、目覚めの意識に溶けて消えていく。白色灯に目を細める頃には、もう何の夢を見ていたのかも思い出せなかった。ただ酷い気分の悪さだけが残る。
目を擦ろうとして、手が動かない事に気付いた。アクチュエータの駆動音が鼓膜を撫でて、看護機械が銀色の腕を伸ばしてくる。感情のない機械の看護師は無神経に私の瞼を硬質な器具でこじ開け、カメラアイが剥き出しになった眼球を覗き込んだ。
「気分はどうだい」
「っ!?」
突然目の前の看護機械が喋り出す。今まで一度も喋ったことのなかった機械の突然の問いかけに動揺して口をぱくぱくさせていると、しゃら、と涼やかな音が鳴った。
「──悪趣味ですよ、スホーカさん」
逆側の瞼をこじ開けられながら、私は目だけを動かして死角に隠れるようにして立っていたスホーカさんを睨みつける。
「うん? 怪我をした同僚を見舞うのは悪趣味なのかい」
琥珀色の瞳が不思議そうに細まった。どうやら立ち位置が悪かっただけで他意はなかったようだが、嫌味もまた通じないようだった。
看護機械が私の点検を終えて天井付近に戻っていくと、スホーカさんは私の寝かされているストレッチャーに歩み寄った。冷たい色の指がストレッチャーの脇に取り付けられたパネルで何か操作をすると、手足の拘束が解けて狭い室内に拒否感の強い警告音が響き渡る。だがそれもスホーカさんがパネルを追加で操作すると止まった。
肘をついて体を起こそうとすると、全身に割れ砕けそうな痛みが走る。顔をしかめて低い声で呻く私を、スホーカさんがのんびりと覗き込んだ。青い鬣を掻き分けるように生えた蜘蛛の足のような側肢が、固い床にかつんと音を鳴らす。
「起きれそう?」
「……起きていいんですか」
スホーカさんの肩越しにじーっと見降ろしてくる看護機械のカメラアイを見上げながら、私は不貞腐れたように呟いた。さっきの警告音は、まだ起きてはいけない事の証だったのではないのだろうか。
「まあ倒れたら俺がまた乗せてあげるよ。ずっとそこに括られてたんじゃ気の毒かなって」
「気の毒って……」
なんだか道端に落ちていた小鳥みたいな扱いだが、そのどこかズレた気の使い方がスホーカさんらしい。それにこの覚醒状態で看護機械のカメラアイと睨めっこするしかやることがないと言うのも、うんざりしそうなのは確かだった。
起き上がろうとしてまた呻く私を、スホーカさんはじっと見つめている。心配しているなら、手の一つでも貸してくれればいいのに、よく分からないヒトだ。一向に手助けしてくれそうな気配はないので、いつもの通り側腕と尾に頼ることにする。硬い外皮に覆われた頼もしい腕はいつもの通りちゃんと私に力を貸してくれた。慎重にストレッチャーから足を降ろす。びりびりとした痛みが踵から脳天まで駆け上がり、思わず奇妙な叫び声を上げた。無理。無理だこれ。
「……上で寝るか下で寝るかの違いでしかなかった気がします」
冷たい床の上にごろりと転がって、私は恨めしげにスホーカさんを見上げた。あちこち火照るように熱を孕む体に、冷たい床は少し気持ちがいい。力をこめなければさほど痛くないので、尾を使って僅かな床面積の間を適当に冷たいところへところへと転がる私を、スホーカさんは面白そうに眺めていた。
「まだ眠い?」
何を勘違いしたのかそんなことを聞いてくる。私はごろりと向きを変えると、スホーカさんを見上げた。
「眠くないですよ。……かなり長く寝てました? 私」
「マキナちゃん、昨日の帰り道でそのまま気絶しちゃったからねぇ。でもまだ夜……ああいや、そろそろ日が昇る時間かな」
ストレッチャー横のパネルを覗き込んでスホーカさんが言う。鈍い銀色の天井に張り付いた白色灯は一定の光量を投げかけ続けていて、夜の闇も朝の光も分からない。心臓を握りつぶされそうな感覚だけが残る夢の世界と、無機質なこの部屋が一瞬地続きになったような気がして、ぶるりと体が震えた。
「寒い?」
「いえ、寒くはないです」
冷たい床に転がったまま、私は言った。スホーカさんは私の近くに座るとぺたりと床に手を付けてふうん、と呟く。とことん私とは感覚の合わないヒトだなと思うが、不思議と嫌ではない。このヒトは知らないものに手を伸ばす子供のように、いつも私の事を知ろうとしてくれている気がする。
鬣の針が床に触れあって硬質な音を立てた。夜と朝のあわいだという今この時間にここにいるということは、夜通し傍に居てくれたのだろうか。そう思うと、夢の気分の悪さが少し遠くへ行ったように思う。
「お腹空いてない?」
そう問われた私のお腹が、ぐうと鳴った。腹の虫で返事をした私に、スホーカさんは頷い四角い棒状の包みを投げて寄越す。投げるな、動けないんだってば。
地面に落ちるすんででそれを側腕がつかみ取る。銀色の紙を剥がし取って、私はすっかり食べ慣れた携帯食に噛り付いた。もちもちとしたスポンジを噛んでいるような食感はいつも通りだが、ほのかにスパイシーな香りがする。
「なんですかコレ、新味ですか。スホーカさんだけずるいですよ」
「ええー。それ、昨日うちの部隊に持たされたやつだよ。マキナちゃんも同じの貰ってたはずだけどなぁ」
「うわ、食べ損ねたのか」
「はは。ちょっと元気出てきたみたいだね」
「お陰様で」
相変わらず身体はまともに動きそうになかったが、心臓をぎゅっと掴んでいた何かの手は少し遠ざかったようだった。それからしばらくたわいのない話をする。お互いに毎日死を振りまいている身で、やれ携帯食の味がどうの武装特急の乗り心地がどうのとしようもない話をしているのがなんだか少しおかしかった。
少ない日常会話のカードの手持ちがなくなった頃、スホーカさんは言葉を切って琥珀色の瞳でじっと私を見た。
「マキナちゃん」
「はい?」
少しだけ改まったように名前を呼ばれて、私は手慰みに携帯食の包み紙に折り目をつけては広げる作業をしていた手を止めた。
「お前のね、新しい任務が決まったんだよ」
「新しい任務……?」
任務も何も、私身動きも取れない状態なのだけれども。よく事態を飲み込めずにスホーカさんの言葉を繰り返した私にうん、と言ってスホーカさんは小さな針無し注射器を取り出した。
「詳しい話はあとでヒモモカトがしてくれるよ。まずは身体を治さないとね」
看護機械の冷たい腕が伸びてくる。金属の腕は数本がかりで床に転がった私をつまみ上げて、ストレッチャーに乗せ直した。
琥珀色の目が優しく私を覗き込む。労わるような甘く低い声が、ひどく心地良く響いた。
「よく効くよ。もう痛みに悶えなくても良くなる」
首筋に押し当てられた針無し注射器の先端は、ひやりと冷たい。そんなものがあるなら最初から使ってくれればいいのに、と思った思考に、ぷしゅっと高圧ガスが薬剤を押し出す音が混ざった。
幕が引かれるように、急速に意識が濁っていく。鉛のように重たい瞼のあわいから覗き見たスホーカさんの目は、どうしてか悪いことをしてしまった子供のような目をしていた気がした。




