第11話 曇天に祈りを捧げて
いつも埃っぽいその大地は、今はほのかにぬかるんでいた。私が飛び降りたせいで走行を止めた武装特急は、巨大な血吸蛭のように血染めの大地に寄り添っている。
私が生贄のように掲げた個体を何とか取り戻そうと、"人類"たちは文字通り死力を尽くした。だがその結果は惨憺たるもので、愚かな原生生物たちは雪だるま式に死傷者を増やしただけで撤退する羽目になった。
激しい銃撃戦にすべての命は怯えて逃げ去り、唯一戦いを選んだ知的生命体たちが居なくなった今、耳に痛いほどの静寂が濃厚な死の気配を漂わせている。抜けるように青かった空には厚い雲が掛かり、数多の血を吸い込んだこの戦場跡に重く圧し掛かってくるようだった。
私は傍らに転がる足のもがれた死体を見下ろした。曇天を映し出す濁った目と目の間には、銃弾によって穿たれた穴が空いている。奴らの撤退の皮切りになったこの一発は、私を狙った流れ弾だったのだろうか。それとも慈悲の一発だったのだろうか。
戦闘の高揚感がごっそり抜け落ちた身体は、気を抜けば倒れてしまうのではないかと思えるほどにひどく重たい。まるで全身に絡みつく不可視の手が、私を地の底に引きずりこもうとしているようだった。
引き摺るように一歩を踏み出す。ぷちぷちとなにか柔らかなものを踏み潰す感触が、背骨を撫でて脳味噌まで駆け上がった。小さく身震いをする。
私はぬかるんだ地面に横倒しになっているホバーバイクを引き起こした。手首から先だけになった持ち主が、ハンドルバーを名残惜しそうに握りしめている。土気色の指を毟り取るようにして捨ててからホバーバイクを起動しようとするが、それは持ち主への忠義を捨てきれないかのように数度それを拒んだ。忍耐強く機動を試していると、諦めたように起動したそれはふらつきながらよろよろと浮かび上がる。
明らかに何かの欠落を感じさせる音を響かせながら、私を乗せたホバーバイクはゆっくりと武装特急へ進路を取った。蛞蝓の背中に乗っているような気持ちになりながらそいつを駆る。
見慣れたデッキに横付けすると、私は半ば落ちるようにして血塗れの床に降り立った。私の銃座におさまったスホーカさんが、穏やかな声でお帰り、と言ってゴーグルを外した私を見る。
しゃらしゃらと鬣の針が触れ合う音の中に、かろん、と飴玉を口の中で転がす音が混じった。私の眉根がぎゅっと寄ったのを見て、小さな包みがひとつ差し出される。
「マキナちゃんも食べる?」
「いいえ」
私は静かにそれを拒絶すると、リラックスした様子のスホーカさんの足元に放置されているプロワリアの横にへたり込んだ。優しい友人の身体は死んだときと変わらず、ものを知らない幼子に乱暴に手折られた花のような無残な様子で横たわったままだった。
何かの答えを探すように虚空を見つめたまま光を失った瞳の上に半分掛かる瞼を、そっと閉じてやる。めちゃくちゃな方向に折れ曲がっている手と足を、時間を掛けてゆっくりと元の位置に戻した。
手を組ませてやろうとして、彼女には手が一本しかない事を思い出す。グローブを脱ぎ捨てて、歪な形のまま冷たく硬くなってしまった手を、温めるように両手でそっとおしいだいた。ひどく重たい自分の瞼を閉じる。
じっ、と首筋のあたりに視線が注がれているのが分かったが無視をした。からりと小窓の開く音がして、視線の本数が増えた気がしたがそれも無視をした。今は彼らの事なんてどうでもよかった。
空は厚い雲に覆われてしまった。私がちゃんと祈ってあげないと、彼女の魂は天国の門に辿り着く前に迷子になってしまうかもしれないのだから。
どうか安らかに。この先ひとかけらの苦しみも、貴女の上に落ちてくることがないように。ああ、神様。どうか。どうか。
(──どうして)
懸命に祈る私の脳内に、プロワリアの最期の言葉がまたリフレインした。
(どうして)
どうして私を置いて、行ってしまったのかと言われているような気がした。どうして、私のそばを離れて引鉄を引きに行ったのかと。
分かっている。プロワリアはもう死んでいてそんな事は言わないし、生きていてもきっと言わない。だからこれは、彼女の言葉を借りた私の後悔だ。軽快に生命を駆って、狩って、刈り尽くした両の手はひどく震えている。彼女のための祈りをいつの間にか赦しへとすり替えている自分に吐き気がした。
厚い雲に濁った空を見上げる。スホーカさんの琥珀色の瞳が、追い掛けるように空を見上げる気配がした。雲の切れ間から差し込む光の一筋でもあれば、この私の腐りきった祈りでも届く気持ちになれただろうに。だがそんな救いもなく、空はただ重く垂れ込める雲に覆い尽くされている。曇天の向こうにあるはずの光に意識を向けて、私は再び目を閉じた。
『何だマキナ、眠いのか? 疲れてんだろ、寝るなら中で休めよ』
インカム越しにヒモモカトさんが、見当違いな優しさを投げかけてきた。私はうんざりとした気持ちで目を開けると、小窓から突き出した目玉二つを睨みつけた。ここでちぎり取ってやらないだけ優しいと思って欲しい。
「ここで寝るわけないでしょ。祈ってるんです」
「イノッテ……る?」
ぎこちない発言でスホーカさんが私の言葉を繰り返す。私は半眼でスホーカさんを見上げた。最近は無宗教のヒトたちが多いのは重々承知だが、まさか祈りを知らないなんてこともないだろうに。
「祈りです。彼女が……プロワリアがちゃんと天国にいけるように。彼女の魂が安らかにあるように」
スホーカさんは不思議そうに目を瞬かせて、てんごく?と首を傾げた。私は黙ったまま、視線で曇天を示す。スホーカさんは理解できないようで、困惑したように問うた。
「……雲の向こうにあるのは、宇宙だよね。死んだ個体の電気信号が揮発するとか、そういう話?」
「ただの宗教観ですよ。精神世界のレイヤーの話です。まあ、無宗教のヒトには理解しがたいものかもしれませんけど」
「シュウキョウカン……ああ、しゅうきょう」
スホーカさんはようやく理解したように頷く。
「ごめんね、俺田舎の出で、ムシュウキョウだからさ。そういうの、よく分かってなくて。精神的支柱を共有して安定的に社会を回すシステムだね」
ズレた納得の仕方をして、スホーカさんはうんうんと頷いた。私は表情を曇らせる。宗教に都会も田舎もあるだろうか。むしろ田舎の方が宗教観は強いような……私の居たあのコンパートメントだって、週末になれば集まって祈りを……あれ……どこに集まっていたっけ?
「マキナちゃん?」
思考がぐるぐると空転し、猛烈な吐き気がこみ上げた。喉からせり上がってくる熱い塊を吐き出す。気持ち悪い。吐き出した黒い塊は、口まで粘ついた糸を引いた。喉が焼けるように熱くて、激しく咳き込む。これは罰だと思った。酷い不快感と焼けるような痛みと、重力係数が狂ったような重さの身体は私の罪を雪いでくれるだろうか。
「随分具合が悪そうだよ。やっぱり中に──」
伸びてきたスホーカさんの手を振り払う。やだ、と駄々をこねる子供のように私は呻いた。心配そうなスホーカさんの視線から逃げるようにプロワリアの遺体に縋り付く。
祈らなきゃ。彼女のために。安らぎのために。救いのために。赦しのために。
「ああ、神様──」
土気色の手を握りしめて、必死で祈る。もう何に祈っているのか分からなくなりながら、それでも私は縋り付くように祈り続けた。




