第9話 頭をぶち抜くのはこちらの特権ではないのだということ
荒野に響いた一発の銃声は、何の感慨もなく武装特急のスピードに吹き散らされた。
生ぬるい液体を頭から被って、私は呆然と立ち尽くしている。
「プロワリア?」
知っていた。その問いに答えは二度と返ってこないと。
隣に立っていた体躯がぐしゃりとくずおれた。鉄錆の匂いを含んだ液体が髪を針のように束ねて、細まったその切っ先から粘つく雫をぼたぼたと零している。
思考が回らなかった。すべての音が遠のく。私は今、誰と何の話をしていた?
プロワリア。そう、プロワリアだ。引鉄を引けないと打ち明けてくれたばかりの、やさしいプロワリア。
空は遠く高く、澄み渡っている。綿のような真っ白な雲が美しいと思っていたその空は、冴え冴えとした寒さをまとって私を、何かでびしょぬれになったデッキを見降ろしている。
何故?
頭の中に疑問符が浮かぶ。かつての夜、ダイヤモンドのような星空を背負って私を見下ろした赤いレンズに向かって、届かない問いを投げかける。何故私を殺さなかった。私はお前たちを撃った。お前は私を撃てたはずだった。何故銃口を降ろした?
何故?
友人の頭を吹き飛ばした誰かに向かって、私は再び届かない問いを投げかける。何故プロワリアを殺した。引鉄を引けないと言ったやさしいプロワリアを殺す必要はなかったはずだった。何故私ではなく彼女を撃った。
お前たちはいつもそうだ。いつもそうして、戦えない誰かを奪っていく。いつも。いつも。いつも。いつも。〇〇も、■■も、□□も──ノイズが掛かったように、黒く塗りつぶされたように、思考が濁っている。
誰が死んだんだっけ。私は何を奪われて……いや、どうでもいい。許さない。許さない。許さない。許さない!!!
「おいマキナ! プロワリアのバイタル異常が……ああ、クソッ。まだ早すぎるぞ」
小窓の開く音は、こんな状況でもからりと軽い。そこから目を突き出したヒモモカトさんが、唾を吐くような声で唸った。
ぼん、ぼん、ぼん、と連続した発射音と共に車体が激しく揺れる。猥雑な悪態をつきながら、二つの目玉は小窓の中へと消えていった。
「コワイ」
ちゅん、と金属に銃弾が跳ねる音に身を低くした私の耳に、副頭の声がひそやかに届いた。
「プロワリア!?」
ものを知らない幼子に乱暴に手折られた花のように、プロワリアの身体はデッキの床に倒れている。片側が吹き飛んで、桃色がかった黄色のやわらかな肉片を零した頭の、くろぐろとした血に染まった口がかすかに動いた。
「コワイ」
音にならないプロワリアの声を、副頭が繰り返す。副頭の目は相変わらず硝子玉のようだったが、その向こうにあるプロワリアの目は濁った硝子玉のようだった。意思の光の消えた目が、青い空を流れる雲をむなしく映し出している。
「ドウシテ」
副頭はぽつりと呟いた。一つ瞬きをして、一切の動きを止める。列車砲の衝撃と、車輪が線路の継ぎ目を噛む規則的な突き上げが、モノへと変わってしまった身体を時折揺らした。
デッキの上でぐらぐらと揺れる二つの頭を無言で眺めながら、ヘルメットを被る。
『マキナちゃん、そっちに抜けたよ』
インカム越しのざらざらとしたスホーカさんの声は、いつもと変わらぬ調子で鼓膜を撫でた。スコープを覗き込む。トリガに指を掛けた。引き絞る。
ドウシテ。
ぱん、と水風船のように弾ける標的が届かない声で私に尋ねた。ちっとも重くないトリガでそれに応える。
ドウシテ。
発砲音は遠くなり、無機質な副頭の声がこだまする。金色の薬莢がデッキに跳ねる。爆発しそうな感情の上には何故か冷静な薄膜が一枚乗っていて、私の手は淡々と空になった弾倉を落として新しいものと取り替えた。
プロワリアと出会った夜よりも攻勢は激しかった。まだこんなに残っていたのか、と冷静な私が素直に感心している。
武装特急が揺れる。列車砲の衝撃だけではないようだった。追走してくる装甲車の砲が機関部の横腹に弾けたが、武装特急は構わず走り続けている。デッキにも断続的に銃弾が飛び込んでくるが、私の頭はまだ肩の上に乗ったままだった。
どうして。
最期の言葉がプロワリアの声で再生された。引鉄を弾く指がそれを嘲笑う。頭をぶち抜くのはこちらの特権ではないのだということだ。私と同じ憎しみを彼らも持っている。
でも、でも、でもだ。先に引鉄を引いたのはそちらだろう?
そう思った瞬間、唐突に酷い不快感が込み上げた。視界が明滅し、胃の腑が裏返るような感覚を覚え、喉を駆け上がったモノを吐き出す。鉄錆をふんだんに含んだ臭いがする、べっとりと黒いものをデッキにぶちまけて、激しくえずいた。気持ちが悪い。思考と意識が融けて混ざっていく。
『……マキナ?』
ざらついたスホーカさんの声が、訝しげに私を呼んだ。答えようとしたが、喉からはなにか奇妙な音しかでてこない。
べたべたする口をグローブでぐいと拭って、薬室に弾薬を送り込んだ。スコープを覗き込んだが焦点が合わない。トリガに指をかける。馴染んだそれがどうしてか酷く重い。
車体が揺れるのに合わせて、ぐらりと重心が傾いだ。
「マキナ」
床に叩きつけられるはずの私の腕を、誰かが掴んだ。明滅する視界を上にずらすと、青い空に溶け込みそうな青い鬣が風になびいて揺れている。
琥珀色の理知的な目は、穏やかな色を湛えたまま私を見下ろしていた。




