002:学生生活開始
寮に帰り着くと、ジークエルトはまっすぐ自室へと入る。空間魔法を使える事は隠しているので、必要な物を鞄に詰めて持ち歩くのはここ一年程で始めた事なのだが、慣れてもやはり持ち運びは少し煩わしい。
たいして重くもないのに不思議なものだと思いながら、荷物を置くのと着替えの為、一旦戻った二人部屋は空室だった。どうやら同室者は部屋を出ているようだ。
エリーデン魔法学院は教育課程が充実していることで有名だが、入学して感嘆したのは施設の充実具合である。
広大な敷地に豪奢な装飾が施された校舎が三棟、その他に魔術実践棟に野外演習場、体育館、水練場、講堂、図書館、食堂や談話室を含む休息棟──そして学生寮。
全寮制のこの学院は王国貴族の子息令嬢も多く在籍する。そのため学生寮は貴族専用の特別寮と、平民その他が入る一般寮に分けられていた。
特別寮は基本的に一人部屋だ。設備も豪華で、使用人専用区域もあるらしい。そして大きな一般寮は全室が二人一部屋だった。
ジークエルトの知る軍兵舎など、一兵卒は大部屋が当たり前で、新兵は十二人部屋に押し込まれる。以降、年次や階級によって八人部屋、四人部屋、二人部屋へと変わっていくものだった。余程出世しないと一人部屋は与えられない。
待遇の差に目眩を覚えた入寮日を思い出しつつ、ジークエルトは取り敢えず鞄を置いて着替えを済ませた。夕飯にはまだ早いなと時間を確認した後は、なんとなく誰か居ないかと談話室を覗く。
「あ、ジーンおかえりー」
「おかえり」
あっけらかんとした笑顔で隣室のテオが居て、同じくジークエルトの同室者であるセディス・アド・ミストル──通称セディが一緒に居た。
同室のセディスはこのエルロンド魔法王国の侯爵子息だ。
明るい水色のまっすぐな髪を背中に垂らし、ノーブルな面立ちで凜と立つ姿はさすが高位貴族子息、といった趣なのだが、中身はいたって気さくだ。本来ならば特別寮に入るべき立場のはずだが、自身の事は自分でするようにという方針で育った彼は、使用人を必要とする特別寮を嫌って一般寮に入った。使用人に張り付かれない今の生活を三年間満喫する気でいるらしい。暗紫色の瞳はいつも興味津々に輝いている。
「ただいま」
挨拶を返しながら友人達が集まる一角へ近づくと、知らない顔が居る。
精悍な顔立ちをした少年だ。短く刈った赤い髪に金色の瞳。既に体格は大人に近付いて筋肉にも厚みが出始めている。それで重たそうに見えないのは背が高いからだろう。近接戦闘の経験をその身体が物語っていた。
「ジーン、オレの同室のアレク・エーデルハルトだよ! 今朝こっちに着いたんだって」
テオの同室者はずっと名札が掛かっているだけで本人がなかなか来なかったため、テオが随分とやきもきしていたが、無事に着いたようだ。
「私と同じ組だったんだ」
セディスはたしか四組だったはずだ。という事は寮が一緒だという事で、引っ張って来たのだろう。
「そうなんだ。セディと同室のジーンです。組はテオと一緒で三組。これから宜しく」
そう言って手を差し出すと、思いのほか強い力で握り返された。同時に剣ダコを発見する。長年剣を握り続けないとこうはならない。
「アレク・エーデルハルトだ。テオと同室でセディスと同じ四組。アークライナ王国出身の留学生だ。こちらこそよろしく」
「アークライナのエーデルハルト?」
少し驚いて思わず復唱すると、テオが大きく頷いた。
「そうそう、アークライナの【剣聖】エクス・エーデルハルトの息子なんだって!」
「へえ、そうなんだ」
素で驚いてしまった。
「剣聖の息子なのに魔法学院に進学したんだ? アークライナの騎士学院じゃないんだね」
「そっちも魅力的だったんだけどな。楽しくて剣の修行にばっかり打ち込んでたら、せっかくの魔力量が勿体ないって、こっちに突っ込まれた」
肩を竦めて見せるアレクは、やはり剣術が本業らしい。
「じゃあ将来は魔術騎士?」
「母親譲りでそこそこ魔力量があるからな。国としては【英雄】の再来を願ってるらしいけど、あんな麒麟児と一緒にされても困るんだよなぁ」
はぁ、とため息を吐かれて一瞬呼吸が止まる。
「そっか、親父さん、英雄ジークエルトの剣の師匠なんだっけ」
「そう。俺は一度も会ったことないけど」
「え、ないの?」
ちょっと聞きたかった、と素直に訴えるテオに、アレクは苦笑して首を振った。
「ジークエルトが活躍した九八三年なんて、俺まだ七歳だよ。領地の田舎で初等学校に通いながら体力作りと習った型の練習ばっかさ。戦場になってたヒルナ平原どころか、まだ王都にも行った事がない頃だよ」
「でもジークエルトだって、まだ十二歳だっただろ? たしか初陣が七歳だったって聞いたけど」
「だから麒麟児は特別だったんだ。七歳の子供なのに実戦に耐えられるなんて普通に考えておかしいだろ? 俺は普通なの!」
そりゃそうだ、と笑う皆は、その当人がこの場に居るなんてもちろん知らない。
「生きてたら今頃二十一歳か。一度でいいから、伝説の空間転移とか見て見たかったよなぁ」
憧れの眼差しを宙に浮かべるテオに、アレクも同意して笑った。
「俺もそれ、親父に言ったコトある。親父は『いきなり現れるから心臓に悪いぞ』って言ってた」
──そうでしたか。そういえば何度か『前触れを寄越せ!』と叫んでいた。その節は申し訳なかった。もしかしたら寿命を縮める一助になっていたかもしれない、とジークエルトは今更ちょっと反省した。
「じゃあアレクの剣の師匠は親父さんなんだね?」
「うん。と言っても親父は基本、王都に居る事が多かったから、直接みてもらえるようになったのは中等学校からな。それまでは親父の部下に習ってたよ。中学時代の三年間は直接指導だったから地獄を見たけど」
剣聖の指導はやっぱり大変らしい、と目を瞬かせるテオとセディスを横目に、ジークエルトも昔仕込まれた時期を思い出して遠い目になってしまった。
「授業には近接戦闘もあるから、そっちは独壇場かもね。良かったら今度見てくれない?」
接近戦はあまり得意じゃなくてさ、と眉を下げるセディスにアレクは破顔して了承した。
「実技って二組合同だよな? オレも混ぜて欲しいなー」
テオもまた情けなさそうな顔で言う。
「テオも近接苦手なの? なんか活発に動き回ってそうな印象だけど」
不思議に思って聞いてみると、運動はキライじゃない、とテオも頷いた。
「でも結局ガキの遊びしかしてないから。村に駐屯してる兵士さんが訓練してるのを真似して遊んでただけだから」
田舎の農村に本格的に武術を習える環境はそうそうない。軍事について英才教育を受け、ほぼ戦場で育ったジークエルトは、そんな小さな常識すら持っていなかった。
もちろん、そんな事はおくびにも出さない。
「じゃあ正式に習うのは初めてなんだね」
「そう。なんで魔法学院なのに近接戦闘なんかが必須項目になるんだよ……」
「必修科目なんだよね……」
テオとセディスが遠い目になっている。
「そりゃあ、ある程度の体力と護身くらいは必要だからでしょ? 魔力が切れた魔術師なんか、ただの動く的だもん」
逃げるにも走る体力ないと逃げ切れないしね、とあっさり言うジークエルトに三人の視線が集中した。
「さすが、実戦を知ってるヤツは言うコトが違うぜ」
感激したように言うテオにアレクがどういうことだ、と迫るので、先ほどと同じく既に冒険者として活動している事、魔獣との戦闘には慣れている話をする。
「それは野外実習の時に心強いな」
「一緒の班になれるといいよな〜」
半年以上先になるが、実際に魔獣の出る森へ出て実戦を学ぶ授業もある。学年毎に向かう先が違うのだが、最高学年になると中堅冒険者が向かうような山へ行くことになるらしい。
そこで行程や野営、警戒、連携、ありとあらゆる事を学ぶのである。
「あと想定される事態としては、パーティ、もしくは部隊の分断だよね。前衛と常に一緒に居られるとは限らないから、ある程度でも近接戦闘ができれば、それで対応できる敵には魔力を温存した方がいい。魔力回復薬もあるけど連続服用はできないし、持てる数にも限界があるし……」
いつ、どこで、何が起こるかは分からない。ありとあらゆる事態に備えて、鍛えられる環境があるなら鍛え、学んでおくことが重要だ。そして実践で磨き上げるのだ。
学んだことが無駄ではなかったと、彼らが理解するのは当分先になるだろうけれど。
「明日から、楽しみだな!」
そう言って笑うテオに、皆が同意したところで揃って夕食に移動した。
明けて翌日は、早速テストだった。午前中に筆記試験を行い、午後は学院内案内で終了。更に翌日は身体検査及び魔力検査、実技試験。二日に渡った検査及び試験は、現時点での実力を正確に測る事を目的としているそうだ。更に午後には先輩方による部活動の紹介が行われた。放課後に行われる部活動は強制参加ではないが、同じテーマを研究したり、苦手分野を伸ばしたり、得意分野を深めたりといった目的で認可されている。
「部活の種類が思ったりずっと多くてビックリした」
放課後に教室でテオと話していると、同じく終わった隣組のセディスとアレクも合流してくる。
「料理部ってなんで認可されてるんだ?」
「野営で美味しいご飯を食べましょう、って案内に書いてある」
首を傾げるアレクにジークエルトが案内を読み上げると、三人は揃って更に不思議そうな顔になる。
「さてはみんな携帯食料を食べたことがないな?」
ジークエルトがジト目で言うと、貴族二人は揃って頷いた。この学院に来るまでの旅程でも基本的に出なかったそうだ。
「堅パンだろ? たまにウチでも食べてたけど」
農家出身のテオが言うが、忌避感はないらしい。きっと美味しい家庭料理の一環として食べていたのだろう。
堅パンは日持ちするように塩を多用して堅く焼き上げられたパンである。冒険者や兵士等、遠征に出る者にとっては馴染みの携帯食だが、人気はない。
「スープに浸して食べればそれなりに美味しく食べられるけど、本当にもう堅パンしかない、って状況で食べると悲しいっていうか空しくなるっていうか。堅くて千切るのも大変だし、噛み切るのも大変だし、口の中の水分もなくなるし」
「それは水を飲めばいいんじゃないの?」
「給水できる場所ならそれでもいいけど、次の給水がいつになるか分からない状況で水をがぶ飲みするのは自殺行為だよ」
実感を込めて語るそれは、行軍の中で体験した事だ。もちろん同級生である彼らは、冒険者活動での体験だと思っている。
「まあ、今まで料理したことのない人が、野営で簡単な食事を用意できるようになる練習にはいいんじゃないかな」
貴族二人に必要な技能かどうかはともかく。
「アレクは剣術部に入るの?」
話題を変えようと振ってみると、アレクは「迷ってる」と困ったように項を撫でた。
「ちょっと悩むんだよな。模擬戦相手には困らないんだろうけど、自主鍛錬は元々するつもりだしな」
なにより流派が違うし、とアレクは眉をへにゃりと下げた。
「違う流派と模擬戦するのもいいんじゃないの?」
「模擬戦だけならな。俺が気にしてるのは基礎練。流派毎に色々あるから、この国の基本を押しつけられたり、俺の流派を否定されたりとかがないならいいんだけど」
そういうことか、と納得してジークエルトたちは大きく頷いた。ちなみにそんな細かい違いがまったく分からないテオは「へー」と感心した声を上げている。
「見学してから判断すればいいよ」
「そうだな、見学だけなら……」
緩慢にアレクが頷くとセディスが明るい声を上げる。
「それなら、みんなの興味あるところを一緒に見に行かない?」
「オレ魔道具研究部見に行きたい」
「僕は魔術陣研究部かな」
テオととセディスがそれぞれ自分の希望を上げたところで、アレクはジークエルトに視線を移した。
「ジーンは興味あるトコあったか?」
「いや、俺は入らないつもり」
「なんで?」
「部によるけど、時期によっては休日も出なきゃならないみたいだから。俺は休みは冒険者ギルドに行くし」
なるほど、と彼らは一様に頷いた。
「そういえば寮の先輩が言ってたけど、部活やってる人って生徒の半分くらいなんだって」
「そうなの?」
「あとは冒険者ギルド派らしい。月に一度は依頼を受けなきゃペナルティが付くけど、逆にそれさえしとけば後は自由だから、個人で訓練所を借りて自主練したり、あと冒険者ギルドでも予約しとけば訓練してくれる教官いるし」
「あーなるほど」
テオが人懐こさを発揮して仲良くなった先輩の情報は役に立つ事が多い。この話も非常に参考になった。
「見学期間は来週いっぱいだから、それで見てみて、気に入らなければ冒険者ギルドってのもありだね」
「セディとアレクも冒険者登録するなら、オレこの四人でパーティ組んでみたい」
テオが笑顔で言うと、名指しされた二人も笑って快諾した。
「でも私は女の子も居て欲しいなあ」
臆面もなく笑顔で言ったセディスに、テオとアレクは呆れ顔になる。
「冒険者ギルドで登録できるパーティの最大人数は六人だから、二人までなら誘えるよ。と言っても、まだ決まってないからね」
苦笑しながらジークエルトが言うとセディスは「考えておく」と頷いた。既に心当たりがあるらしい。
「来週いっぱいと言えば、履修科目も来週中に決めないとだよな」
「必修科目は授業開始だしね。選択科目も一緒に選ぼうよ。テオ、先輩からなにか聞いてないの?」
「まだあんまり。今晩にでも聞いてみようか?」
そんな風に、男四人でだらだらと話ながら帰宅した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
週末、ジークエルトはテオと連れ立って冒険者ギルドへやって来た。
「おー、ここが冒険者ギルド! 初めて来た!」
興奮するテオを笑って宥めながらギルドに入る。ジークエルトにとっては見慣れた場所だが、話を聞いていただけのテオはすっかり高揚していた。
入り口を入ると意外と広い。正面には受付カウンターが並び、右端には上階と地下へ続く階段、その隣には奥へ行ける通路がある。
カウンター前が広いのは、混雑時に冒険者が並ぶためだ。
左の壁沿いから手前までは貼り出された依頼書が並ぶ掲示板。他にもパーティ面子の募集やパーティ加入希望等、冒険者が独自に利用できる掲示板がある。あとは誰からもスルーされるギルド規約等が大きく貼られているし、また軍が発行する犯罪者の手配書が貼られている一角もある。
右手階段の向こうは酒場だ。今は混雑時間の隙間に当たるせいか客は一人もいなかった。
「あら、ジーンくん久しぶり」
受付から馴染みの受付嬢、ミリアが声を掛けてきたので、ジークエルトは「こんにちは」とのんびり笑ってテオを連れて行く。
「一緒に来たってことはお友達ができたのね、良かったわ」
楽しんでいるようで何より、とお姉さん目線で頷くミリアには苦笑するしかない。
艶やかな茶色の髪を揺らして笑うミリアは、目が大きく童顔の可愛らしい顔立ちをしている。そして胸部に凶悪な装甲を備えているため、一部の冒険者から熱い声援を贈られているのだが、テオのような純朴な少年からすれば、憧れに値するキレイなお姉さんである。見惚れてポーッとなるテオの肩を叩き、ジークエルトは苦笑を重ねた。
「はい、いい友人ができました。それで、今日はこいつの登録に来たんですけど」
「なるほど。学院の生徒さんなら、字は書けるかしら? この用紙に必要事項を記入してくれる?」
すかさず対応するミリアに促されたテオは「ぅはいっ!」と妙な声で答えてペンを受け取る。
「あ、ジーンくん。良かったらこっちの彼──テオくん? の登録が終わるまでの間に、支部長の部屋に顔を出してあげてくれないかしら? ちょっと心配してたみたいなの」
「そうなんですか? じゃあ挨拶だけしてきます」
促すミリアに頷いてテオを任せ、ジークエルトは足早に二階に上がった。
階段を上がって右手は資料室で、左手に事務室。ギルド長の部屋はその再奥にある。
すっかり慣れたジークエルトがノックをすると、即座に「どうぞ」と声が返ったので、気負わずに入室する。
「ご無沙汰してます、ガルアスさん」
「おお、ジーンか。久しぶりだな。まあ座れや」
言われた通り、さっさと応接用の椅子に腰掛ける。
と、支部長のガルアスは無言で遮音と人避けの結界を張った。これはジークエルトの秘密がバレないようにいつもしている事だ。すっかり慣れているジークエルトはその間に首から魔道具を外し、亜空間からお茶とお菓子を取り出す。
そもそも、ジークエルトがここエリーデン学院都市に入学前、半年も滞在していたのはこのガルアスの存在が大きい。
人族の成人となる十五歳を期に、世話になったマディラ大陸を出て旅立つ際、エリーデンに腰を据えているリリアナとガルアスへの紹介状を持たされていたのだ。
学院に入学することにならなければ、リリアナには会う機会はなかったかもしれないが、ジークエルトはエリーデンに着いた時、真っ先に冒険者ギルドを訪れ紹介状を受付に預けた。
それまでの半年に渡る一人旅で、ジークエルトもどこか心寂しく思っていたのかもしれない。
ガルアスに初めて会った際、なんの秘密もなく素の自分で相対できたことに安堵の息を吐いたのは確かだ。
それ以来、ガルアスもジークエルトを気にかけて、非常によくしてくれている。
ジークエルト自身も気楽に接してくれるガルアスとの時間は楽しく感じているのだが、ガルアスの方は亜空間に納められているマディラ大陸産の酒や肴、菓子が目当てのように感じることも、なくはない。
「なんだ、酒はないのか」
「ありますけど、まだ昼ですよ。怒られるのは俺じゃなくてガルアスさんなんですから、自重してくださいよ」
「ふん」
残念そうに鼻を鳴らしたガルアスは、こちらも空間魔法で亜空間から一通の依頼書を取り出し、ジークエルトの前まで滑らせた。
「ワイバーンですか? ここのAランク冒険者で対応できるんじゃないですか?」
内容を一読し、これはわざわざジークエルトに話を持ってくるものなのかと首を傾げる。
それに対し、ガルアスはため息を一つ吐いた。
「西隣のムカナ村の裏手にある山、知ってるか」
「山は行ったことはないですけど、あるのは知ってます。ムカナ村自体は行ったことありますし」
ガルアスは時折、こうしてジークエルトに高ランクの依頼を持ってくることもあった。
その際はあくまで秘密裏に依頼を受ける。ジークエルトのギルドカードには依頼内容は記載されない。あくまでガルアスが個人でジークエルトに依頼し、ジークエルトが個人で受けているのだ。
そういった案件をギルド内部で、どう処理して誤魔化しているのかは知らない。
ジークエルトは人目を避けて魔道具を外し、空間転移で移動したらさっさと魔獣を片付けるだけだ。ユグレス大陸では滅多に現れない高位魔獣が相手の時もあったし、発見された大規模なゴブリンの巣を叩いたこともある。
「あそこでワイバーンの目撃情報が出たのは半年前だ。頻度が高くなってAランク冒険者のパーティを送って、無事に一匹討伐したのが二月前。しかしその後も目撃情報があってな。何度かAランクを送ってるんだが、討伐はできたりできなかったり。Aランクに上がったばかりの奴は逃げ帰ってきた。どうも巣があるんじゃねェかという話になってるんだが、その調査に出たパーティが戻らねェ」
告げられた内容に、ジークエルトの顔から表情が抜け落ちた。
「いつです?」
「出発したのは五日前だ」
「ランクは?」
「Aランクパーティ五名。うち個人でAランクなのは三名、二名はまだBランクだ」
端的に告げられた内容に思案する。
ムカナ村はここエリーデン学院都市から王都方面──西に向かう街道沿いにある宿場町だ。三十トゥースほど離れた場所にあり、徒歩でも朝に出発すれば夕方までに到着する。
村の裏手にある山はそれほど大きいわけでもないが、山の恵みが豊富で村人はよく山菜を採ったり、動物を狩ったりで出入りしているはずである。
山の中腹付近まで登ると中級回復薬の素材となる薬草が自生しているため、時折ギルドにも採取依頼が出される。強力な魔獣は少ないことが分かっている場所だがそこそこ実入りが良いため、D〜Cランクまでの冒険者がよく受ける。
村への到着まで一日、翌日から山中を探索したとしても、Aランク冒険者ならそろそろ終わって戻っていてもおかしくない。技量にもよるが、対象は図体のでかいワイバーンだ。発見が難しいとも思いにくい。
「こうして話している間にも帰ってくるんじゃないですか?」
「まあ慎重に動く性格の奴がリーダーだから、じっくり調べてる可能性もなくはないんだが。けっこう有能な奴らだし、索敵範囲を考えても遅い気がするんだ」
「それで俺にどうしろと? ワイバーンの巣を一人で潰してしまうと後始末が大変だと思いますけど」
言外にそれも可能だ、と告げるとガルアスは「いやいや」と苦笑して手を振った。
「ちょっと村まで行って、こっそり様子を見てきてくれるだけでいいんだ。これは俺の個人的な依頼だからな」
「……こっそり?」
「こっそり」
にこ、と笑うガルアス。柄は悪いが魔人族特有の美しい顔でやると効果覿面である。もっともジークエルトには通用しないのだが。
分かっていてやっているガルアスは平然と菓子を口に放り込み「これ美味ェな」と呟いている。
「友達が今、下で登録してるんですよ。終わったら一緒に簡単なFランクの依頼を受けるつもりでいたのに」
「ちゃちゃっと行けるだろ? 五分くらいなら俺が持たせてやるよ」
「……念のため十分でお願いします」
わざとらしくため息を吐いてから、ジークエルトはムカナ村へと『跳んだ』。