010:新英雄物語
その週末、ジークエルトはさくさくと『新聖女物語』を読み終え、更に翌休日に意を決して『新英雄物語』を読んだ。
その後のジークエルトはちょっと生ける屍のような様相だった。
セディスが部屋にいなくて良かった。本当に良かった。
経緯はただの事実だ。ジークエルトが捨て子だったのは事実だし、それを『還らずの森』で演習中だったジーディアス・サディアスとエクス・エーデルハルトが保護したのも事実。当時、一宮廷魔術師だったジーディアスの養子になったのも事実だし、当時の軍上層部の意向で英才教育を施されたのも、紛れもない事実だ。
初陣が七歳の時だった事も本当なら、参加した作戦行動も本当だし、挙げた功績も本当。頂戴した勲章も本当だ。
しかし脚色が酷い。
『お任せください。必ずや栄光あるアークライナに輝かしい勝利を持ち帰ります!』
『我こそはアークライナの麒麟児なり! 死にたい者だけ掛かって来い!』
そんなことを言った覚えはない。断じてない。
挙げ句一番酷いと思ったのがこれだ。
『ジークエルト、きっと帰って来てくださいね』
『ご安心ください、姫。私は必ず生きて帰ります。姫に勝利を捧げると約束しましょう』
アークライナ王国、末姫のイレーネ・フォン・アークライナ王女と【麒麟児】ジークエルトの、許されざる小さな恋の物語。
そんなものはない。どこにもない。
叙勲式等で何度か拝謁の機会は賜ったが、三歳年下だった公女からは、どちらかというと怖がられていたように思う。
しかし記述によれば大戦後、王女はジークエルトの訃報を酷く嘆き悲しんだという。
──いやそれ、父親が亡くなった悲しみの間違いでしょう? 娘を溺愛して可愛がってた父親が死んだから泣いたんでしょう?
しかし父である国王については殆ど触れず、当然のように悲恋として綴られている。
──憧れるの? これに?
「うわあああああぁぁぁ……!」
思わずベッドの上で身悶え、頭を抱えてしまった。
なんて酷い話だ。捏造に次ぐ捏造。どこをどうしてこうなった。
こうなると『新聖女物語』も怪しい。ジークエルトの方の捏造と同じだと仮定するならば作戦行動や叙勲等、軍の作戦行動に関係しない内容は信用しない方が良いだろう。
「こんな本の感想を求められるとか、これはなんの罰なんだ……?」
恐ろしい苦行だ。これまでの罪深い行動がこんな事態を呼び込んでいるのか。
などと少々大げさに嘆いたジークエルトはしばらく枕に頭を擦りつけたりとベッドに懐いていたが、談話室から戻ったセディスに引っ張られ、食堂に連れ出された。
約束の風の日の放課後、約束の時間まで余裕があったため、ジークエルトたちはいつもの魔力操作訓練を軽くこなしてから休息棟の談話室へ向かった。
総勢六名である。多過ぎるかと迷ったのだが、セディスとマリアンヌというエルロンド貴族組が「問題ないだろう」と判断したため、全員で参加することになった。
ちなみにテオとヴィヴィアンの平民組は辞退を強く希望したのだが、元々親しくしているため参加を免れなかったマリアンヌがヴィヴィアンの参加を強く望み、拒みきれなかったヴィヴィアンが「道連れ!」とテオの袖を握りしめて離さなかったという経緯がある。
「まあ、ようこそ」
咲き誇る花さえも頭を垂れてしまいそうな、艶やかな笑顔でジークエルトたち一行を迎えた王女殿下に、テオとヴィヴィアンはすっかり堅くなってしまった。一緒に固まって隅で大人しくしていたいな、とジークエルトは思った。
それからまず、マリアンヌとセディスが貴族らしからぬあっさりした挨拶を王女殿下と交わし、アレクの紹介だけは王族、貴族らしく長ったらしい礼儀を持って交わされ、ジークエルトとテオ、ヴィヴィアンの挨拶は予想以上にあっさりと終わった。緊張しまくっていたテオとヴィヴィアンは拍子抜けした表情だ。その心情を表すならば「いいの?」である。
「驚かせてしまったかしら。でもこれはあくまで学院内の私的な茶会だから、気にしないでちょうだいね」
人が集まって茶を飲むのだから茶会だろう、一応。
──くらいの気楽なものだと王女殿下が仰るので、慣れないテオとヴィヴィアンも「まあいいか」とあっさり流した。彼らもなかなかの胆力である。しかもそれをセディスやマリアンヌまでが微笑みで流しているので良いのだろう、たぶん。実際には同じことを学院外でやらかした場合、ジークエルトたち平民は不敬罪が適用される。しかしこの場にそれを指摘する者はいなかった。
「それでジーンくん、あれから本は読みまして?」
「はい。歴史書を三冊と、お勧めされた『新聖女物語』と『新英雄伝説』の五冊を読みました」
前回もっと砕けるように言われていたので、遠慮なくちょっと話し方を変えたジークエルトである。
「歴史書はどこのものを読みました?」
「まずこの国のものを。あとはステルナ聖公国とロダ王国のものを読みました」
「ではまず、その感想を聞きたいわ」
「そうですね、この国で書かれた歴史書は魔術の歴史と重なると大きく感じました。同時に理事長の偉大さを再確認したというところでしょうか。ステルナ聖公国のものは大陸全域に渡る歴史を可能な限り公平な視点を持って書かれた印象です。ロダ王国のものは……読み物として読む分には、面白いかと」
「その中でわたくしが読んだのは、我が国のものだけね。そちらもいずれ読みましょう。前回お話を聞いてから、わたくしもクリューゲン商国のものを読みましたのよ。聞いた通り、商人らしく目敏いやら耳聡いやら、あんなに違いがあるなんて驚いたわ」
「お役に立てたなら光栄です」
静かに目礼したジークエルトにくすりと小さく笑った王女殿下は、二人のやり取りに呆気に取られる周囲を見回した。
「歴史書が、発行している国によって内容が違うだなんて、言われるまで考えた事もなかったわ。他のものも読んでみるわね」
「楽しんでください」
「それで『新英雄物語』はどうでした?」
──来た。
「……大変申し訳ないのですが、史実にしか興味はありませんので、正直あまり……」
「なんですって!?」
「はっ!?」
「えええええええ!?」
「え、感想それだけ!?」
「マジか!?」
「本当ですの!?」
言葉を濁しつつも正直に伝えたところ、六人分の悲鳴が上がった。
そこまで驚かなくてもいいと思う。
「感動するって聞いてたけど、どこに感動すればいいのか分からなかったよ?」
呆然、という言葉を体現してみせる友人たち。しかしジークエルトは本当に、彼らが「読むべきだ」とか「感動するぜ!」とか言った根拠が分からなかった。
「ヒルナ大戦出発前夜の公女との別れのシーンなど、わたくしは読み返す度に涙が止まりませんのに!」
──その日は会ってません。
「最後の転移魔法行使するトコとか熱くなるだろ!?」
──使命感なんかありませんでした。
「公女がジークエルトを想って泣くトコなんか涙なしで読めないよ!?」
──読んだら身悶えただけでした。
「……女性陣は王女様との恋物語の場面が好きなのかな?」
首を傾げて言うと、女生徒三人は揃って頷いた。
「そして男性陣は戦闘場面が面白いと」
確認すると男子生徒三人も揃って頷いた。
うーん、としばしジークエルトは思い返してみる。戦闘場面は確かにあった。事実関係に間違いが合ったかと言われたら、当時のジークエルトの『動き』に問題はなかったのだが。
「【聖女】との口上とかカッコイイじゃん!」
「あー、憎き宿敵云々ってところ?」
「そう!」
作中でジークエルトとラナは宿敵として描かれていた。互いに以前から憎み合い、出会い頭から喧嘩腰で、激戦を繰り広げる──しかしそんな二人は時空龍の出現により、仕方なく休戦し魔力を共有し大規模転移魔法を行使した、となっていた。
しかし実際には、個人としての憎しみは持った事がない。
最後の戦闘は苛烈だったので、巻き添えを恐れた周囲は距離を取るばかりだった。そのせいで当時の二人の会話を証言できる者がおらず、その辺りは想像で構成されたのだろう。皮肉なものである。
実際には戦闘しつつ、軽口の応酬が殆どだった。そこでジークエルトが抱いた印象は気が合いそうな冗談の分かる話しやすい相手、である。じっくり話した事はないが、もう一度会って話したい相手でもある。
「……格好良いの、あれ?」
そんな正直すぎる感想は、幼い少年時代の夢を壊すものだったらしい。
テオとアレク、セディスまでもがものすごく悲しそう……いや、可哀相なものを見るような目でジークエルトを見た。なぜ同情されなければならないのか。
「……いや、ジーンはそういう奴だった」
「そうだよね、のほほんとしたのんびり屋に見せかけて中身違うし」
「これなら分かるって思ったオレたちがバカだったんだ……」
揃ってため息をつかないで欲しい。なんだか違いを突きつけられているかのようで悲しくなってくる。
「まあ、男性は恋愛ものには興味ないものかもしれませんけれど……」
「まったく、ジーンも恋愛には疎いのですね」
「そんなんだとモテないよー?」
女性陣の感想は総じて「女心が分からないのね」的なものらしい。分かるわけがない。
その後は女性陣の勢いに押されて、彼女たちから「どこに女性がキュンとくるのか」という講義を頂戴する羽目になってしまった。王女殿下があちらについている時点で逆らえるわけがない。
来る前はすっかり萎縮していたはずのヴィヴィアンは、しばらくした頃にはすっかり王女殿下と仲良くなっていた。学院でしか成立しない友情なのだろうが、恋愛小説の好みの傾向が同じだったらしい。身分が違っても、学生時代くらいそうして盛り上がれる仲間がいても良いだろう。
それでも、本の貸し借りはマリアンヌを通す事にした。万が一にもヴィヴィアンに嫉妬等の悪感情が向かないように、と。そういった配慮が必要なのだそうだ。
去年、一年生時に王女殿下が仲良くなりかけた平民の少女が居たそうなのだが、王女殿下との縁を持ちたいのに上手くいかない貴族の生徒から執拗な虐めに遭い、心を病んで退学してしまったとか。それ以来、王女殿下は学院内で表立って平民の者と親しくしないようにしているのだという。
「本当は平民の方の声を直接聞ける、またとない機会なのでもっと親しくなりたいのですけど……難しいものですわね。そのせいで今回も、こんな変な時間でごめんなさいね」
確かに、授業終わりすぐならば菓子くらい食べても問題ないのだが、一刻ほどずれているせいで夕食の時間を考え、茶のみで過ごしている。
「それでも良ければ、月に一度くらいこうしてまた付き合ってくれないかしら?」
どこか寂しげにそう笑う王女殿下に断りを入れる者は、当然いなかった。
「意外と気さくで優しい人だった」
「思ったより話しやすかった」
というのがテオとヴィヴィアンの感想だ。
「王女殿下は本当にお優しい、懐の深いお方よ。民のためにあるのが王族である、という陛下のお考えを受け継ぎ、常に胸に抱いていらっしゃるわ」
「この学院に来たのも、義務もあるが民の生活に役立つ魔法を作りたいと希望されての事だったしな。だからテオの夢なんかは、きっとお喜びになる」
マリアンヌとセディスも嬉しそうだった。
それを見るアレクは「理想的だなー」と軽い口調で流していたが、その瞳が一瞬、苦しげに歪められたのをジークエルトは見てしまった。
なにか、自国の王家か貴族について思うところがあるのかもしれない。
しかしジークエルトは、深く考える事は放棄した。できる事は何もないと、知っているから。