15年ぶりに再会して30秒で幼馴染みから婚約破棄されたのだが、全く覚えがないと言ったら翌日からデレてきた。
香月よう子さま主催「春にはじまる恋物語」企画参加作品です。
「ユウくん。あなたとの婚約、破棄しますから」
15年ぶりに再会して30秒で、彼女はハッキリと宣言してきた。
三岬 舞。
家が近所で赤ちゃんの頃から一緒に育った幼馴染みで、まあ、俺にとっては双子の兄妹みたいなもんだ。
そして、15年前に家の事情で俺が引越してからは、音信不通になっていた。
ところがこの春。
就職戦争で討ち死にしかけて瀕死状態のところでなんとか拾ってもらった、ほんのりブラックな気配のする会社の配属先に、彼女は、いたのだった。
「ユウくん、久しぶり。これからまた、よろしくね」
「え…… 知り合いですか?」
掃き溜めにツル。雑草の中に咲きほこるユリの花。
そんな言葉を連想させる清楚な美人から、非常に積極的かつフレンドリーに声をかけられて、俺は固まった。今までの人生では前世まで含めても、たぶん一度もなかった事態だ。
「やだなぁ、ユウくん。舞だよ! 覚えてないの?」
「ええっ…… 舞!? ウソ!?」
言われてみれば、目元のあたりに面影が残っているようでもあるが……
なんというか昔は、もっとヤンチャで、もちろんこんなに清楚でもフレンドリーでもなくて、俺はしょっちゅう 『トロい』 とか 『バカ』 とか 『くらいよね』 などとディスられていたんだが。
「ホントだって。研修も一緒だったでしょ。気づいてなかった?」
「う、ううん、全然…… 」
正直なところ、研修中はウツ気分に支配されて、周りのことなんか、ほとんど目に入っていなかった。
この不景気な時代に言うべきではないことはわかっているが、志望でも何でもない会社に入ってしまったのだ。
そのうえ、研修の講師 (つまり先輩社員) は皆そろって、死んだ魚のような目をしていた。
さらに彼らの口から、やる気なさそうに出てくるのは、いたいけで純粋な新社会人を丸め込とうとするキーワードの数々 ―― 1#『少数精鋭』 2#『顧客第一』 3#『ひとりひとりが経営者の視点から』 etc. である。
言わずもがなだが、1は 『単なる人手不足』、2は 『従業員の福祉が悲惨な現状』、3は 『給料低くても不満を持たず意欲的に働け、との無茶振り』 だ。
暗澹とした心持ちにならないほうが、おかしいだろう。
1週間の研修期間を、俺は同期と仲良くするでもなく、ただスマホをいじって過ごした。ブラック企業で死なない方法を検索しまくっていたのだ。
「ごめん…… 全然、気づかなくて」
「しかたないなぁ、もう!」
うつむく俺を舞は笑って許してくれたあと、不意に口調を改めた。
目が、おそろしいほど真剣だ。
「わたし、ユウくんとの婚約は破棄します。理由…… 知りたい?」
「いや、えーと」
急に言われても。
そもそも舞との婚約自体、さっぱり覚えがない。
舞との思い出は、頭をはたかれるのが『おはよう』 代わりだったとか、学校の帰りにカバン持たされたとか、バレンタインデーにくれたやたら凝った包装の箱の中身がチョコじゃなく 『ひっかかったね! バーカ』 と書かれた紙切れ1枚だったとか、そういうものばかりである。
思い出のどこを探しても 『婚約』 の 『こ』 さえも見当たらないのだが。
「というか、舞と婚約をした覚えがまずない…… 引っ越してから、どっかで会ったっけ?」
「え? 覚えてないの? 全然?」
「…… ごめん。全然、覚えてない」
「…………」
舞は、今度は 『しかたない』 とは言ってくれなかった。ボソッと 『○にさらせ』 とか聞こえた気がするが、聞き返す前に、ニッコリされた。
「だったら、思い出させてあげるね」
「あ、ああ…… よろしく……?」
このとき課長が部屋に入ってきて、俺たちの話はその日は、これっきりになった。
そして、翌日。
「ユウくん、はい、お弁当」
「お、思い出した……!」
いきなり差し出されたカラフルな弁当箱を見たとたん、俺の背筋に戦慄が走った。
―― あれは幼稚園のころ。
舞は、可愛いお弁当箱に石や木の葉や泥ダンゴやカブトムシの幼虫を入れて、毎日のように俺にくれていたのだ。
「ねえねえユウくん、たべないの?」
めちゃくちゃ期待した目で見つめられ、心の中で滝涙を流しながら幼虫をつまんで食べるマネをした思い出。
「…… ま、まさかまた幼虫……!」
「まさか。ちゃんとしたオニギリと卵焼きとタコさんウィンナーと手作りハンバーグです!」
「おおおお…… 舞ちゃん、成長したんだなぁ」
「親戚のおじちゃんか」
で、思い出した? といわんばかりの期待した眼差しを、あの頃と同じように投げかけられた俺だが。
「…… ごめん、さっぱり思い出せない」
「○にさらせ」
「……え?」
「なんでもない。明日から、毎日作ってきてあげるね」
舞は、本当に翌日からも弁当を作ってきてくれた。
おにぎり、卵焼き、タコさんウィンナー、ハンバーグ。
毎日同じメニューだが、それでもありがたい。
なにしろ、会社のほんのりブラックさは新人の俺たちにもすでに染み込みかけていて、配属後3日で、真実の退社時刻が夜10時過ぎるようになったのだから。
そしてさらに配属後10日目には、こんな会話が本心からできるようになってしまったのだから。
『あっ、今日はタイムカード9時に押していいよ。大口取引入ったから』
『わー! ありがとうございます! 係長!』
―― ちなみに 『タイムカードを押す時刻』 はその日の営業成績で決まるのが暗黙の了解で、成績が悪い日はなんと定時だ。
そんな日々で、毎日弁当を作ってきてくれる ―― これってもしかして、舞に 『デレられてる』 状態なのでは……?
いや、ないか。
(なにしろ再会30秒で覚えのない婚約破棄されたし)
ともかく、ここで勘違いできる要素の何一つない俺としては、最大限の感謝を示すしかない。
「あ、あの、舞。これ…… その、いつも弁当ありがとう」
「…… なに、これ?」
「人気ブランドチョコレート食べ比べセット。確か、チョコ好きだったろ?」
そう。
バレンタインデーの 『ひっかかったね! バーカ』 という紙切れのお返しで、ホワイトデーに口の中でパチパチなる飴をあげたら、 『チョコじゃないから、いらないもん! すきなひとにはチョコでしょ!?』 と拗ねられて、その場でスーパーまでパシらされた思い出があるのだ。
「うん、ありがと。 …… で? 思い出した?」
「………………。いやごめん、実はさっぱり。なにがなんだか」
「○にさらせ」
舞はボソッとつぶやいて、さっと俺に背をむけて席にすわってしまった。
―― 俺、なにかしましたっけ?
その日は、先輩に連れられて得意先を回っていて、お昼時には先輩のおすすめスポットだという公園を教えてもらった。
八重桜の名所のようだ。公園のあちこちで、少し盛りを過ぎた枝が折り重なるようにして、花の天井を作っている。
「今日も愛妻弁当かあ。いいなあ」
先輩が、パンをかじりながらいつもの弁当箱を覗きこんできた。
「愛妻弁当とかじゃありませんよ」
「じゃあなんだよ」
「失われた時を求めろ異議は許さぬ弁当…… ってところですかね」
おそらく、毎回同じメニューなのは、これがヒントなのだろう。
最近やっと、そう思い当たった。
だが、俺にはさっぱり……
―― ちょうどそのとき、桜の花びらがひらり、ひらりと舞い降りて、卵焼きの上に重なった。
きれいな黄色の上に音もなく、薄いピンクの花びらが2枚 …… なんだか、ハート型にみえる。
「あっ……」
「どうした?」
「いえ、なんでも…… 先輩、俺ちょっと用事が」
「トイレはあっちだぞ」
「はーいあざます…… じゃなくてですね、用事思い出したんで、すんませんが失礼します!」
俺は、急いで弁当を食べ、大慌てで会社に向かって走り出した。
途中、キレイな桜の花が落ちているのを見つけ、拾いあげてまた走る。
あれを本気にしていたなんて、舞…… なんて律儀な子なんだ。
―― まさか、俺のせいで青春棒に振ったりとかしてないよね?
―― いや、ありうる。
―― だとすれば、俺は一刻も早く婚約破棄されて…… ん?
それから、どうすればいいんだろう……?
「舞! 思い出した!」
休憩室の前で運良く、舞に会うことができた。ちょうどお昼休憩を終わるところだったようだ。
「……………… もー。遅いよー」
「ごめん」
舞は、笑ってるのと泣いてるの中間みたいな、不思議な表情になった。
―― 中学生の頃、俺は写真部だった。
なぜその部を選んだかといえば、文化部の中では唯一、近所の稜華女子学園と交流があるクラブだったからだ。
そして2年生の春に、花見を兼ねて、あの合同撮影会があったのだ ――
俺たちが飲み物とオヤツと場所取り担当、稜華の子たちが弁当担当。
各自がふたりぶんをわざわざ作って持ち寄ってくれたようなのだが、中に1つだけ悲惨な出来の弁当があった。
いびつな形のおにぎり、焦げて形が崩れた卵焼き、タコさんウィンナーの脚はとれ、ハンバーグは不毛の大地を彷彿とさせるひび割れ具合。
男どもはヒソヒソと 「これ誰が食うの?」 と相談しあい、女の子たちは 「えーっ、これないよー! ひどっ」 と笑い声を上げた…… だが。
俺の目は、その弁当に引き寄せられた。
7歳で両親が離婚して以来、俺の食事は惣菜かパンか冷食になっていた。
特に冷食には世話になりっぱなしで、おかずをひとめ見れば 『どのメーカーのどの食品で、何分加熱すれば一番美味くなるか』 を当ててしまえるほどに、ことこまかく俺の頭に刻み込まれている。
―― 男どもが 「すげー!」 「プロ!」 とほめているのは、ジャパレイ食品の 『有名料亭監修・6種のおかずセット』 ―― だが自然解凍だな残念、だ。
ほかの彩りよく美味そうなものもほぼ冷食。
冷食を否定するわけじゃない。実際美味いし。それに、弁当箱に詰めてもらえるだけでも有難いとは、思っている。
だが。
やつらにはわからんのだ。
でろこげの卵焼きの愛しさが。
みじん切りのタマネギが大きすぎてボロボロになってるハンバーグが、冷食に飽きた目にはどれだけ輝いて見えるかが。
「それ、俺がもらう!」
気づいたときには、俺は、その弁当を奪うようにして取って、がっついていた。
「…… 美味いの? それ?」
「………… 箸が止まらぬ味だ」
おにぎりは米がつぶれていた。
卵焼きは甘すぎた。
ウィンナーは火が通ってなかった。
ハンバーグは割るとそぼろのごとくに分裂してしまった。
正直いって、美味くはない。だが、胸がいっぱいになる。
「…… 尊い!」
「えっ……」
「結婚してください!」
気づいたときには俺は、泣きそうになりながらそう口走ってしまっていて、周囲はみな 「あーそういうことか……」 と納得の眼差しを俺に送っていた。
みんなにあっさり納得された理由。
それは、かの弁当の製作者が 『稜華女子の聖女』 こと 『ミサキさん』 だったからだ。聖女、とあだなされていることからもわかるとおり、おとなしい子だが密かに人気があった。
つまりみんなは、俺の言動を 『弁当にかこつけた告白が、陰キャなだけに緊張しすぎてああなった』 と解釈したのである。
そして、女子たちがからかい気味に渡してきた桜の花を、俺は、ひたすらその場の雰囲気を壊さないためだけに 『聖女のミサキさん』 に差し出してプロポーズをした。
『ミサキさん』 は、頬をかすかに赤くして花を受け取ってくれたのだが…… 『聖女ならではの神対応。すなわち、その場限りのノリ』 と解釈してみせるのが、良識ある陰キャとしては当然だろう。
調子に乗ってラ○ン交換などする勇気は当時の俺にはなく、結局、あのときは何もしないままに終わってしまった。
その後、母親の再婚で独り暮らしとなり、忙しさで部活から自然と足が遠のき……
あのプロポーズのことを、俺はすっかり忘れていたのだった。 ――
「まさか、こんなに思い出してもらえないとは思わなかったよ」
「いや、だって。あの舞が、お嬢様学校の 『聖女のミサキさん』 とは、思わなかったんだよ!」
「あの、ってなに」
「ひとことで言うなら、女ジャ○アン」
グーパンされた。
「ほら、そういうとこ! 『ミサキさん』 は、おとなしかったし眼鏡だったし、キャラ違うじゃん!」
「だってあのときは…… 」
舞の耳が、赤くなった。
「ユウくんが、セーラーキュアーズのシェリアちゃんが好きって小耳に挟んでたから!」
おとなしめの眼鏡っ娘キャラ……!
「いや、俺だって知ってたら言ってくれたら良かったじゃん」
「まさか別人と思われてるとは知らなかったし、小さい頃のユウくんとのやり取りって、けっこう黒歴史で…… 思い出すと私がヒドすぎて恥ずかしかったから、こっちからは話しかけづらかった、っていうか……」
思春期あるある……!
「でも、あのお弁当は、かばってくれたんだ、って。すごく嬉しくて。その、プロポーズも、その場のノリかな、とは思ったんだけど…… やっぱり嬉しくて、あのときの写真もずっと持ってて……!」
ばっと突きつけられた画面の中では、中学生の頃の俺が照れながら、眼鏡っ娘に花を差し出している。
なんとスマホの待ち受けになっていたのだ、あのシーン。
恥ずかしいが、そこまで喜んでもらえていたとは……
「じゃあ、なんでいきなり婚約破棄?」
「それが、祖父が……」
話を聞いてびっくりした。
舞の祖父は某地元有名企業の社長だが、先日ガンが見つかってすっかり気落ちしてしまったそうだ。
そして、たったひとりの孫である舞に、専務 (おじいちゃんと仲良し) の孫と結婚して会社を継いでくれなきゃ死んじゃう、と迫っているらしい。
『もう婚約してるから』 と、舞が断ったところ、おじいちゃんは 『その男を連れてこい……!』 と騒いでるんだとか。
「迷惑かけるわけにいかないから破棄したことにするしかないけど、なんか勝手に破棄するのも悪いし。
でも連絡先知らないし、って困ってたら、新人研修にユウくんがいて。
配属先も一緒で、これはもう運命かな、どっかの女神様が婚約破棄を激推してるのかな…… って思ったのに、全然覚えてないっていうから、かなりイラッとしちゃって。それで思い出すまで頑張ってやるって……」
弁当攻撃を続けていた、ということか。
「ごめん…… 半月近くも弁当作ってもらっちゃったな。すごく美味くなってたから、なかなか思い出せなかったんだ」
「当たり前じゃん! あれから何年経ってると思ってるの!?」
「そうだよな…… …… 」
「………………」
しばらく待ったが、舞はなかなか、婚約破棄を言い出さない。
前にもう宣言しているから、あれでいい、ってことかな?
だがその割に、なんだかもじもじして、俺の様子をうかがってるような…… いや勘違いだったらブラジルまで続く穴掘ってマントルで焼死するほど恥ずかしいんだが……
もしかしたら、もしかして、もしかするんじゃないだろうか!?
つまりは、今やハイスペック美女となった彼女でも、もとは人の子。
毎日餌付けしてくれてる間に、俺に情が移ったとか、そういうことがあったりとか……!
ここは。
今こそ、頑張りどきじゃないだろうか。俺だっていつまでも、陰キャの良識に縛られた中学生ではないのだ。
―― 勘違いだったら、もう同じ部署にはいられないが……
そうなったら、いさぎよくフリーターに転身し3Kバイトを掛け持ちしよう。
決意を固めて、俺は口を開いた。
緊張のあまり、頭が半分以上白くなっている。頼むから、変なこと言い出すんじゃないぞ俺……!
「その、良かったら…… 婚約破棄する前に、おじいちゃんに会わせてくれないかな。一緒に、お見舞いに行こう」
「え…… ええ……?」
「カブト虫の幼虫はエグかったけど、食べるまねしたら喜んでくれるのが嬉しかったんだ。
冷食使うことも、お母さんに作ってもらうことも思い付かずに、自分で頑張って作る子って、すごくいいな、って思ったんだ。
んで、弁当…… 毎日同じでも飽きないくらい、美味しかったし嬉しかったんだ」
桜の花を、舞に差し出す。
「つまり、俺と付き合ってください。その、いやじゃなければ…… 結婚前提で……」
「 ……………………………… 」
びっくりした顔で、桜と俺とを何度も交互に見たあと、舞は。
「…… うん」
受け取った花を、手帳にそっと挟んで、大事そうにしまってくれたのだった。
そのあと、舞のおじいちゃんの手術が成功して、ビクビクしながらお見舞いに行ったら、なぜか気に入られて某地元有名企業に転職することになり、数年後に舞と結婚し、そしてまた時が経った春うららかなある日。
「あっ、ママ。このしおり、なに?」
「ふふふ…… この桜はね」
母親になった舞が、俺たちのかわいい娘に、赤面ものの恋物語を始めたのは…… また、別の話。