2.03 守る戦い
「――あー!疲れた!テレビとは違って今までに味わった事ないスリルだったよ!!楽しかった!!ありがとうお兄さん!」
「能天気だな…。見た目と雰囲気がちぐはぐだろ」
安心しきった美貴は被ってたシャツを脱いで気持ち良さそうに背筋を伸ばている。まだまだ安心出来ない俺はその姿に少し呆れそうになってしまった。
「えー?でもお兄さんも笑ってたような…。私ってネットじゃ性格悪いって言われてるけど、どう?悪いかな?」
そんでもって、初対面の相手には聞かない暴投の様な質問を投げ掛けられ困ってしまう。先程までの緊張感はどこへやら。
「あー…」
俺が思ったように、確かに性格が悪そうと思う人もいそうな程に整った顔つき。
だが、実際会ったらそんな事思わないと思う。
少なくとも俺は美貴と会話して悪くないと思った。
でも今の様子みたいに時々能天気な性格は喋ったり関わったりしたら苦手な人もいる気はする。追ってきたマネージャーらしき人も「いつも突然消えて」と言ってたし、現にあの人の様に振り回される人も多いんじゃないだろうか。
「…取り敢えず問題はその格好だな、どうにかしないと」
「え?無視?別に良いけど…。可愛いでしょ?この衣装結構気に入ってるの」
美貴は慣れた様にポーズを付けてクルッと一周回って衣装を披露する。
「どう?」
服装もそうだが、せめてこの世に知られ過ぎている顔だけでももっと自然と隠れるようにしないと不味い。マネージャーもファンを利用して探さないと言う事は今の状況を大事には出来ないはず。
だが逃げてくる最中思ったのは追ってくるマネージャー達よりも、あの生簀に入れられた稚魚の様な人数のファンにバレた方が俺達も面倒な事になる。顔隠す事を前提に、服装もせめて足元まで隠せる様にしないとこの先かなり不味い。
「可愛い可愛い。てか、よくそんな大きな鞄持って走れたな。ノートと教科書以外中何入ってんだ?」
美貴は何が入ってるか分からない謎の大きな鞄を背負っている。重かっただろうに、少しぐらい気を使えば良かった。それにしても結構大きいがノートや教科書以外に何が入っているのだろうか。
「適当だなぁ…。普段から鍛えてるから余裕だよ。中身わね、えっと…、これと、これとー」
次々と下ろされた鞄の中から出てくる物は教科書やノート、筆箱、飲み物――。色々と大量に出てくる中、途中何気なく出される黒い帽子とプライベート用であろう着替えが一着。
その光景に唖然としてしまった。
「こんなもんかな、結構色々入ってたね」
「…」
「…忘れてたわけじゃないよ?これもタイミング無かったし…。本当だよ?な、何で拳を握ってるのかな…?」
「いや…ふぅ…何でもない」
危ない危ない、大人気アイドルに手が出る寸前だった。唯でさえ後から許してもらえない事してるのに命や金銭問題、増しては警察問題に繋がってしまう。強く握った拳をそっと鎮めさせ、一度扉の隙間から外を確認する。
「パンツだけ着替えろ、また数分でノックしに戻って来るから」
「え?上は?着替えた方が良いんじゃない?」
「上は俺のシャツを着れば良い。全部着替えて私服になると身内にバレるかもしれないし、変に目立つ気がする。帽子は歩く時に絶対に被ってくれ」
「う、うん。分かった。じゃあすぐに着替えるね。後、お兄さん体の調子って…」
「ん?走ってたら良くなってきた。大丈夫、大丈夫」
そうして俺は美貴を置いて一度外に出る。
そして少し離れたトイレの入り口前に置かれてあるソファーに腰を下ろした。周りには幸いにも人は少ない。
一度右腕の緩くなった包帯を解く、そうして思いっ切りキツく巻き直す。二度と緩くならず、少しでも痛みを和らげる為なら血の巡りすら気にならない。
「こんなもんだろ」
巻き直した腕の力を抜いて下げる。今なら隠していた気を張る必要も無いだろう。左手で下がった頭を強く押さえる――。
「――っくそ…、調子悪ぃな。頭が痛ぇ…」
体中の痛みによる熱からだと思うが、それにしても頭が痛い。これじゃあ病院にいた時と変わらない、いや、それ以上のしんどさだ。
途中何の為に俺まで逃げてるのか分からなくなりそうになる事が多々あったが、その都度頭に過るムカつく男の笑みがその理由を嫌と言う程思い出させる。
「あー…うぜぇ…」
悔しいが今の俺はその男に救われている、ムカつく顔が俺の背中を押してくれる。こんな状態を見られたらきっと笑って馬鹿にされる。悔しいが一刻も早く美貴を逃したら寝よう。
――けど、逃げた後はどうするのか。
藤枝美貴が望むモノはその先にあるのだろうか。見つけた先はどうするのか。そんな事考えても俺にはどうする事も出来ないのを分かっているのに、その先の事まで気になって考えてしまっている。
「…あんた何してんのよ」
「あ?」
幻覚だろうか、空間が歪むようなふわふわとした視界の中にふと――、裕子が現れた。
「あ?じゃなくて、あんたねぇ」
いつものようにキレる手前のムッとした顔。背中に小さな鞄と更にはついさっき買ったピアスの袋と俺の鞄を手に持っている。そう言えば鞄置いてきてたの忘れてた。
「はぁ、何回溜息吐かせれば気が済むのよ」
裕子は手に持った荷物を床に置く。そして俺の前に膝をついて、割れ物を扱う様に額にそっと優しく手を当てて隅々まで一つ一つ丁寧に体の様子を見る。その手から伝わる温もりは痛む体に安心感を与えてくれる。
「シャツも着てないし、馬鹿もここまで来ると凄いわね。汗もとんでもないわよ、何であんたこんな状態で体動かせてるのよ」
「…褒めんなよ。照れて熱上がるだろ」
「馬鹿言って無いでさっさと帰るわよ。スマホもなんで繋がらないのよ」
立ち上がり、この場を去ろうと誘う様な手をそっと顔の前に差し出される。
だがまだ俺はその手を握ることは出来ない、成し遂げなければならない事がある。一人のアイドルだった女の子との約束を、俺自身の理由の為に美貴を逃さないと。
「本当に困った奴ね。ここまでするって事は余程よ。ちゃんと理由を話しなさい」
「怒ってねぇの?」
「怒りなんて遥かに通り越してるわ。それにこういう時のあんたって何か理由があるし。今日の私が優しくて良かったわね、感謝しなさいよ」
目を擦るがその姿は変わらない。一瞬本物かと思ったが、やっぱり幻覚かもしれない。
こんなに裕子が優しいなんて有り得ないので目を細めて不審に見てしまう。いつもならゲンコツの一発は必ず入れられてるはずなのに。俺がいない一ヶ月で何か心境の変化でもあったのだろうか。
「何よ、そんな変なモノ見る様な目で」
「い、いや、何でもない。助けたい奴がいるんだ、俺の為にも」
「誰?亜弥?それとも遊兎?」
「違う、けど何とかしなきゃいけないんだ」
「そんな状態で?その人もその体を見たら止めてって言うんじゃないの?」
「あぁ、言うと思う。――だから言えない」
俺の体の状態を知ったら美貴は間違いなく今直ぐ逃げる事を諦めると思う。何となくだが分かる、あんな脳天気そうでも美貴は優しい人間だという事が。
だがそんなのは駄目だ。何があっても絶対にバレてはいけない。
裕子の前でこんな姿を晒すのは恥ずかしい、悔しい。だけど、今だけは頭を抱え荒くなっている呼吸を少しずつ整える。少しでも体力を回復させて、もう一度だけ走り出さないと。
「…はぁ。何となく分かったわよ、私も手伝うからその子に合わせなさい」
「俺の状態は」
「――内緒にしてあげるわよ、だから早くしなさい」
「良いのか?」
「…ピアスのお礼よ」
その言葉に裕子から差し出された手を苦虫を噛む様な思いで掴み歩き出す、心配されてるのは仕方ないとは思うがやっぱり癪に障る。
そして美貴に表情で悟られない様に痛む体と頭からくる辛い表情を押し殺す。普段通り、いつもの自分を演じる。簡単な事だ、あの日の喧嘩に比べたら何もかもが。
再び多目的トイレに着くと、一度扉をノックをして声をかける。
「大丈夫か?入るぞー」
「うん!シャツの下に衣装だと透けて目立つから私服着ちゃった!でもこれなら見えないから良いよね?」
「女の子の声?それに何処かで聞いたような…」
向こう側から聞こえてくる音色と共に扉がゆっくりと開かれる。着替え終えたオーラ剥き出しの美貴が意味も無く周りを警戒しつつ外に出てきた。
「え、ふ、藤枝美貴?!」
「あ、ごめん!!!大丈夫だと思って帽子被ってなかった!」
「あんた!!そこに手を出したの?!結局顔なの?!?!心配して損したわ!!」
「ゔぅ゛…ッグェ」
驚く裕子に不意に胸ぐらを掴まれる。先程までの緊張感は何処へ。最初の反応は分かるのだが、何故胸ぐらを掴むのか。段々と足が地面から離れていく。さっきまでの心配は一体何処へ消えたんだろう、苦しい、し、死ぬ――。
「ギ、ギブ…し…死ぬ」
「あ、ご、ごめん。でも!!」
「ぐうぇ。…こ、殺されるかと思った…」
「言いすぎよ馬鹿!!そんなに強くやってないわよ!」
少し浮いていた足が地面に着地し、慌てて呼吸を整える。一瞬見えた暗闇の世界に死を覚悟してしまった。しかも更に追撃してこようとする裕子、一度関わり方を考えた方が見の為かもしれない。
「美貴、大丈夫だ。お前には絶対手を出さないから安心しろ」
「え?あぁ…うん」
そんな俺達のいつもの様な光景を美貴は不思議そうな顔で見ていた。そりゃ初見でこんなの見せられたら怖いと思う。もう少しだけ落ち着いてはくれないものだろうか。
着替え終えた美貴は大きめのシャツに黒のスキニーを履いた姿に変わっており、多少雰囲気が変わるかと思ったがその格好すらお洒落に見えてしまう。
やはりこれじゃあさっきとほとんど雰囲気は変わらない。帽子を被ればもう少し何とかなるとは思うけど、大丈夫だろうか、心配だ。
「えっと…お兄さんのお友達?」
「え、あ、はい!そうです!って、マジでどういう状況よ!あんたは本当に何をしてるの?!」
「何って、美貴をここから逃がす」
「み、美貴…。そ、そんな軽く言うけど、大丈夫なの?」
さっきから態とらしく驚いたり不安そうだったり、今日の裕子はやたらテンションが高い。やっぱり情緒不安定なのだろうか。
「さぁな、後の事なんて考えてねぇよ。それに俺がしたいからやってるんだ」
「は?どう言う事?あんたが逃げたいの??」
「とにかくやるんだよ。絶対に逃げないといけないんだ」
裕子が深刻そうに言う通り大丈夫じゃない事は分かっているが、本人が逃げたいと思っているなら俺はその思いを尊重したい。何よりもこれは俺の意思でもある。
「あ!そのピアス!」
俺達の真剣な会話の空気を壊す様な明るい声で割って入る美貴。先程買ったピアスの袋に反応して何故か嬉しそうな表情を浮かべていた。
「え?あ、あぁ!そうなんです!可愛くて買っちゃいました!」
「…それそんなに人気なのか?」
「これ美貴ちゃんが最近プロデュースしたピアスなのよ?この袋から中の箱まで全部ね。知らなかったの?」
ドヤ顔で自慢げに話されてもそもそもが興味無いので知るはずもない。ただそのムカつく顔がだけは俺の荒れた気に触れる。
するとそんな裕子を見て美貴は後ろを向いて何かを鞄から探り始めた。
「知らねぇよ、ピアスにも芸能人にも興味無いから」
「えっと、あ、あの…これ」
置いてある大きな鞄の中からいそいそとモグラの様に取り出される同じデザインの小さな四角い箱。
開かれるとそこには蝶がデザインされたシルバーネックレスが出てきた。それを手渡された裕子は目をキラキラさせながら見つめていた。
「まだ発売して無くて試作なんですけど、よ、良かったらどうぞ。お姉さん似合うと思うんですけど…」
「え?!マジ?!ありがと…あ、イヤイヤ。そ、そんな!申し訳ないですよ!」
慌てて手を振って拒否するが、アホみたいに顔に欲しいと書いてある。良くも悪くも本当に顔に出やすい、呆れてしまいそうになるがさっきの教訓を俺は忘れない。余計な事は言わない。
「いやいや!なにかの縁なんで貰ってください。メチャクチャ可愛いんで是非どうぞ」
「え、じゃ、じゃあ遠慮なく…」
「遠慮なくって、最初から貰うつもりだった」
「――殺すわよ?」
殴られた頬を抑える、せめて言ってから殴って欲しいのだが。しかし有り難い事に体の痛みを遥かに超える痛みで逆に楽になったかもしれない。
苦笑いする美貴は態々裕子の後ろに回って丁寧にネックレスを着けようとする。だが手が何故か震えているのだが、どうしたのだろうか。慣れてないのか、不慣れた様な手付きでネックレスを着け終えた。
「キャー!可愛い!!本当に良いの?!」
「は、はい!可愛いです!お兄さんもそう思うでしょ?」
「はい、その通りございます」
「ありがとう!!」
奥にあるトイレ鏡で自分の姿を確認すると、美貴の手を握ってブンブンと振り回しながら喜ぶ裕子。
さらっと何気なく馬鹿みたいに手を握って喜んでいるが、美貴がトップアイドルだと言う事を忘れてるんじゃないだろうか。さっきまで驚いていたのに。だがそこが裕子の良い所でもあるのかもしれないけど。
そんな手を握られた美貴は突然の行動に少し驚いていたが、段々とぎこちない表情から嬉しそうな表情へと変わっていった。
「馬鹿やってないでさっさと行くか。それじゃあ裕子は先に荷物持って戻っててくれ」
「…私も行くわよ」
「は?何でだよ。邪魔になるだけなんだが」
「まぁ良いじゃない、こういうのも久しぶりだし。それにあんたに理由があるみたいに私にも理由があるのよ。例えばこのネックレスみたいにね」
裕子は自慢げにネックレスを見せつけてくる。嬉しそうで何よりだが、俺の精神的問題もあると思うが今日の裕子は何かする度に弄りたくなる。言い方を変えれば可愛らしいとも捉えてくれるだろう。
「それ千切って良い?」
「駄目に決まってんでしょ!!!」
身を引いてネックレスを死守する裕子。冗談なのに、でも本当に引き千切ったらどんな顔をするんだろうな、俺の心の奥にある闇が好奇心を擽らせる。
「え…、私そんなつもりであげたんじゃないですよ?」
「え?じゃあ何でですか?」
「えっと…そ、その…」
何故かモジモジと照れ始める美貴。違うなら理由をハッキリ言ってやれば良いのに何故か黙ってしまう。
何となくだが、その理由は俺には分かる。けどそれを俺が言ってしまうのは少し違うと思い黙っておく事にした。
「とにかく、私の勝手でしょ。いつも好き勝手やってるあんたに指図される覚えはないわよ」
そう堂々と言われてしまったら何も言えなくなる。少し心配だが何かあったら何とかすれば良いし、今までも何とかしてきた。それに裕子ならきっと大丈夫だろう。
何をしてくれるのか分からないので何とも言えないが、体力的にも限界が来ていたから正直助かる所もあるかもしれない。
「うーん…やっぱりキツイか…?」
美貴の方へ心配を向ける。なら取り敢えず今からこの美貴から放たれてるオーラをどうにかしないといけない。
帽子を被った美貴だがさっきとあまり変わらなく、寧ろ芸能人ですよと言ってる様に見えてくる。何とかなるとは思えなくなってきた。不自然さは多少消えたのが、分かる人には分かるようなそんな雰囲気がどうも心配になる。
「流石にこの格好でもバレるな…、隠れながら行けば行けるか?」
「そうかな?大分地味だと思うんだけど?」
「んー…」
悩んでいる俺を背に裕子は鏡で再びネックレスを確認する。そして鏡越しに何か思いついた様な顔をして美貴の後ろに置かれた衣装を手に取った。着てみたいのか、鏡で体に合わせて裾などを何度もチェックしている。そして鏡越しに馬兎を思い出させる様なニヤッとした悪い顔をこちらに向けた――。
「――私に良い作戦があるわ」
そう言って俺達にその無謀な作戦内容を話す。納得しかねる作戦だったが、これ以上悩んでいても仕方がなかった。そして俺は再びトイレから出て準備がてら休憩を挟んだ。
――そして数分後。